プレスの新自主規制機関の段取り(Schedule for New Press Regulation)

3月18日に主要三党の間で合意されたプレスの新自主規制機関に関する勅許は、今年5月に出される予定である。

この勅許に関連した法は、以下の二つの法案に取り入れられた。いずれの法案も今回のプレスの自主規制には関係のないものであるが、たまたま上下両院で審議が最終段階に入っていたものである。

下院では、犯罪・裁判所法案が使われ、裁判所が新規制機関に加入していない新聞などのプレスの常軌を逸した行動に懲罰的賠償金を科す条項が入れられた。この法案そのものは既に上院の審議を一度終えており、下院で審議中であった。この条項を付け加えた法案は下院で3月18日に賛成多数で可決されており、上院に最後の修正のために送られた。

上院では、エンタープライズ・規制改革法案が使われた。この法案に「2013年3月1日以降に勅許で設けられた機関」については、勅許の中に定められた要件を満たさないと規定を変更できないことを明記した。この法案そのものは既に下院の審議を一度終えており、3月20日に上院を通過する。その後、下院に修正のために送られる。

以上からこれらの二法案は、来週にも法となる予定だ。その後、5月に枢密院に勅許案が提出され、女王の勅許が出されるという段取りである。

なお、プレスの自主規制機関に加入しないまま、もし被害者から訴えられるようなことがあれば、通常よりはるかに高額の懲罰的な賠償金を科される可能性があることは、日本では憲法上の問題となるかもしれない。しかし、英国は「国会主権」であり、日本の「国民主権」下での憲法の枠組みとは異なり、基本的に国会は、国会がふさわしいとみなす法を制定できる。

もちろん、今回の合意の内容が、欧州人権条約10条の表現の自由に反するという見解を持つ専門家もいるが、それが今回の合意を妨げるものとはなっていない。

一方、このプレスの自主規制機関のような極めてセンシティブな問題が政治的に急に決着が図られるということについて、納得のいかない人もいるかもしれない。しかし、これも上記の「国会主権」の産物の一つであり、国会で決定されれば、従わざるをえないという民主主義の基本原則に関連している。

ファラージュUKIP党首の人物像(Nigel Farage)

UKIP(ユーキップ:The UK Independence Party:英国独立党)は、英国をEU(欧州連合)から撤退させることを目的に設立された政党である。そしてそれがこの政党の基本政策だ。ナイジェル・ファラージュは、EUの議会である欧州議会の議員を1999年から務めている。英国がEUのメンバーであるために、英国に割り当てられた欧州議会72議席のうちUKIPは2009年の議会議員選挙で13議席を獲得したが、もし、英国がEUから撤退すれば、UKIPの欧州議会議員全員が、ファラージュを含めその職を失う。つまり、ファラージュらは、自分たちの職を失うように懸命に働いていることになる。

ファラージュは、1964年4月3日にイングランド東南部のケントで生まれた。私立のダリッジ・カレッジで学んだ後、ロンドンのシティーの商品取引業者となった。ファラージュは、14歳で保守党に入ったといわれるが、そう積極的な活動家ではなかったらしい。しかし、1990年に英国がERM(Exchange Rate Mechanism:欧州為替相場メカニズム)に加入した時、ファラージュに大きな転機が訪れた。

ファラージュは英国がERMに入った日のことを思い出す。「亜鉛市場がものすごくひどかった。損をして、うんざりしてパブで他の取引業者と飲んで、自分の悲運を嘆いていた。その時だった。誰かが走って入ってきて、『英国がERMに入った』と言ったのだ。驚いた。たいへんばかげている。機能するはずがない。そして、ERMの事ばかり話す奴になった。どこに行っても誰にでもこれは大失敗だと言った。そして、実際そうだった」(タイムズ紙マガジン2013年3月2日)英国は、「暗黒の水曜日」と呼ばれる、ポンドの為替レートが急落する経験を経てERMから撤退した。

それからファラージュは、演説会に出席し始め、1993年に反連邦連盟(Anti-Federalist League)に入り、それが母体となってUKIPに発展した。

ファラージュは、これまで何回も死に面したことがある。自動車にはねられ、脚がひどく骨折した上、頭がい骨を骨折。睾丸癌(完治したと言われる)。そして2010年5月6日には、選挙の宣伝横断幕を空に掲げるために乗っていた軽飛行機が墜落し、胸骨を折った。こういう人にとっては、その日その日を生きていることが貴重だと感じられるのかもしれない。