スターマー首相の首席補佐官の年俸への批判

スターマー首相の首席補佐官スー・グレイの年俸が首相より高いとの批判が、労働党政権内から出た。グレイに対する不満のせいだ。これを最初に報道したのは公共放送BBCだが、BBCの政治部長クリス・メイソンが、なぜこの報道をしたのか説明している。

スターマー政権の政治任用のスペシャルアドバイザーが、グレイに不満を持ち、メイソンにこの情報を提供したという。そこでメイソンがBBCの政治部のメンバーと関係者にあたってグレイの年俸の事実を確認したと言うが、その過程で、グレイに不満を持っている人が多いのに気付いたという。

まず、年俸の件の詳細を見てみよう。メイソンは、スターマー首相の年俸が166,786ポンド(約3170万円)であるのに対し、グレイの年俸は17万ポンド(約3230万円)だとする。グレイは、2023年3月まで内閣府の第二事務次官の国家公務員だったが、9月に当時野党だった労働党のスターマー党首の首席補佐官となった人物である。そして2024年7月の総選挙で労働党が政権を保守党から勝ち取った後、スターマー首相の首席補佐官となった。この任用は、政治任用のスペシャルアドバイザーである。

なお、メイソンの年俸は、BBCの公表したものによると、26万ポンドから26万5000ポンドの間(4940万円から5035万円の間)である。メイソンにとっては、グレイの年俸は高いと言うことは難しいだろう。そのため、メイソンの焦点は労働党のスペシャルアドバイザーたちのグレイへの不満に向かっている。

従来、政治任用のスペシャルアドバイザーの最高の年俸枠は、14万5千ポンドから15万ポンド(2755から2850万円)だったが、7月の総選挙後、スターマー首相がその増額を許可したとされ、グレイの年俸は、新しい年俸枠の最高額には達していないようだ。また、トップ国家公務員には年俸が20万ポンド(3800万円)以上の人も少なからずいる。

スターマー政権のスペシャルアドバイザーたちの中の不満は、労働党が野党だった時よりも報酬が下がったという点にあるようだ。そしてその矛先がグレイに向かっている。グレイは、労働党が次期政権を担当するのは間違いないと言われるようになってから労働党に来た人物であるが、今では、労働党政権を事実上牛耳っているといわれる。スペシャルアドバイザーたちの中には、自分たちの待遇にあまり注意が払われず、それまで苦労してきた者が粗末に扱われていると思っているようだ。

スペシャルアドバイザーの中には、自分のおかげで労働党は政権を取れたという自負のある人がいるかもしれない。しかし、野党時代の政党で仕事をするのは、政権を担当することとは、大きく異なる。政権を担当するということは、国と行政を運営するということであり、前保守党政権から受け継いだ負の遺産のため、大きな立て直しが必要な状態では、行政の経験が豊富なだけではなく、行政を批判的な目で見ることができ、さらに行政運営能力があり、政治家に的確なアドバイスを提供できる人物が必要だ。グレイの高い問題処理能力は広く知られている。ストリーティング厚相が、「スー(グレイ)がいて幸運だ」と言ったが、スターマー政権では、特に行政運営でグレイに頼っているといえる。

グレイの17万ポンドの年俸は、保守党政権時代の政治任用のスペシャルアドバイザーの年俸の最高額の15万ポンドを上回っているが、それが決められた以降の物価上昇を考慮に入れるとそれを下回っているという声もある。

なお、この問題の比較対象になったスターマー首相の年俸だが、首相の年俸自体にもおかしい面がある。首相の年俸は徐々に上がっていったわけではなく、過去に紆余曲折がある。2010年には、首相は198661ポンドの年俸を受け取る資格があった。(この金額は、現代では、322000ポンド(約6100万円)に匹敵するとされる。)しかし、当時の労働党のブラウン首相が15万ポンド(2850万円)受け取ると宣言した。2010年5月の総選挙で保守党と自民党の連立政権が発足し、その金額からさらに5%をカットし、首相の年俸は142500ポンド(約2700万円)となった。

実は、ここでいう首相の年俸とは、下院議員としての年俸と首相としての職給の合計である。下院議員の年俸は、2009年の議員経費問題以降、独立機関であるIPSOが担当している。この機関が毎年見直し、下院議員の年俸はこれまで毎年上昇しているが、首相の職給75440ポンド(受け取る資格のある金額はこの数字より大きいが、スターマー首相に至るまで同じ金額を受け取っている)は、増加していない。すなわち、スターマー首相の年俸166,786ポンドのうち、首相として受け取っている職給は、10年以上前のキャメロン首相と同額である。政治家はそれでいいかもしれないが、それ以外のスタッフもそれと一緒に右へ倣えと強制されるとそれは「いい迷惑」となるかもしれない。

いずれにしても、今回のグレイの年俸騒ぎでグレイの立場は強固になったように思われる。BBCに内部情報を通報したスペシャルアドバイザー(特定されていない)の意図は、明らかにグレイにダメージを与え、その地位から除くことが目的だったように思われる。しかし、逆にグレイの価値が改めて認識された結果となった。

スターマー政権のトップに不協和音?

スターマー労働党政権を支える、政治家以外のキーとなる人は2人に集約されるだろう。1人は、スターマー首相の首席補佐官(Chief of Staff)のスー・グレイ。もう1人は、7月の総選挙でも選挙戦略を担当し、スターマー首相の政治戦略担当のモーガン・マクスィーニーである。

政権が発足してからまだ1か月半である。しかし、この2人の関係に問題が発生していると、「インサイダー」の情報をいくつかのメディアが取り上げている。保守党支持のデイリーメールやデイリーテレグラフ、また、タイムズ、さらに経済紙のフィナンシャルタイムズなどである。さらにそれらをまとめた、ガーディアンの記事もある。

これらにどの程度の信憑性があるのだろうか?

グレイは、元国家公務員である。高卒からのしあがり、内閣府の第二事務次官を務めた人物である。かつて「国を動かす女性」とも呼ばれたことがある。ボリス・ジョンソン元首相のパーティゲートの調査を行い、リーダーシップの欠如を指摘し、ジョンソン首相の辞任に至る引き金を引いた人物でもある。内閣府で、政治家や国家公務員の倫理や規律に関する部門の責任者も務め、政治家にも恐れられていた。北アイルランド政府の財政の国家公務員のトップとして北アイルランドに赴任した後、北アイルランド政府のトップ公務員のポストが空席になった際にそのポストに就きたい意向を示したが、政治家がグレイの鼻っ柱の強さを恐れ、他の人を選んだために、ロンドンに帰ってきて内閣府に戻った人物である。第一事務次官のポストに就きたかったが、結局、第二事務次官止まりだった。なお、スターマー労働党は、世論調査で保守党に大きな差をつけており、次期政権は間違いないという状況の中、スターマーに首席補佐官として働くことを頼まれ、国家公務員を辞任し、スターマーの下で2023年9月から働き始めた。

一方、マクスウィニーは、たたき上げの労働党マンである。ロンドンの労働党のオーガナイザーとして働き、労働党左派のコービン時代には、イングランドとウェールズの地方自治体の団体の労働党グループをまとめるポストに移った。労働党中道をまとめるグループの責任者になった。スターマーが2015年に下院議員に当選した後、スターマーを将来の労働党党首候補として推し、2019年末から2020年初めの労働党党首選でスターマーの事務局長を務めた人物である。

グレイは、スターマーの政府運営で既に格別の能力を発揮しており、7月末から始まったイングランドなどの暴動騒ぎでも、政府内をまとめ、連携させ、早期の終結に導いている。グレイの中央政府内での経験は、かなり広いものがあり、政府の運営ばかりではなく、それを超えた知識がある。

一方、マクスウィニーは、スターマーの最も信頼する人と言われ、次期総選挙に向けて働き始めている。

すなわち、グレイとマクスウィニーは、車の両輪のようなもので、スターマーは2人とも必要だ。特に政権が始まったばかりで、グレイの助けは重要だ。

グレイは60代半ばで、マクスウィニーは40代半ばである。しかし、グレイとマクスウィニーは、共通するものがある。グレイの息子は身体障碍者だが、7月の総選挙でロンドンの下院議員に選ばれた。マクスウィニーの妻は、スコットランドで同じく下院議員に選ばれた。2019年の総選挙で、200議席程度に落ち込んだ労働党は、630人ほどの候補者を立てるために多くの新しい人材を必要としたのである。なお、グレイの息子もマクスウィニーの妻も初当選にもかかわらず、2人とも大臣職の一番下のポスト(Parliamentary Private Secretary)に任じられた。

グレイには、これまでの労働党のやり方にそぐわない点もあるかもしれない。それでも明らかに自分の仕事はちゃんとやり遂げる人のようだ。細かすぎるという批判もあるようである。息子のこともあるだろうが、何としてもスターマー政権を軌道に乗せたいという思いがあるだろう。一方、マクスウィニーは、労働党全体の選挙戦略だけではなく、妻の選挙も考えなくてはならない。それを考えると慎重に行動する必要があるだろう。

結局、グレイもマクスウィニーも究極的には、スターマーの信任を得て、それゆえに労働党の重要な仕事をしているのである。

グレイとマクスウィニーの間に不協和音があるという「インサイダー」の話は、何らかの理由で不満を持つ人によるものだろう。圧倒的な力を持つグレイをやっかんだもので、それにスターマー労働党政権に傷をつけたい保守党寄りのメディアが乗った動きのように思われる。