コービンの信念

労働党の党首選最後の候補者討論・質疑応答会が9月18日に行われた。ジューイッシュ・ニュースというイギリスのユダヤ系新聞が主催したものである。

コービンは党首となる前にパレスチナのハマスやヘズボラを「友人」と呼んだことがあり、また、労働党内の反ユダヤ主義の調査を実施し、対応策を発表したものの、この問題に十分対応できていないという批判がある。そのため、労働党を支持するユダヤ人のグループからのコービン支持はわずか4%で、その92%は党首選の対抗馬スミスを支持している。そのため、この討論会でも、反ユダヤ主義の質問が繰り返しなされた。なお、反ユダヤ主義とは、ユダヤ人への人種差別である。

党首選の他の討論会では、主催者が聴衆のコービン支持、スミス支持のバランスを取るよう細心の注意を払っている。それにもかかわらず、例えば、9月14日のスカイニュースの主催した討論会では世論調査会社が慎重に聴衆を選んでいるにもかかわらず、スミスへのヤジが飛び、コービンへの拍手が大きく、コービン優勢がはっきりと窺われた。

しかし、今回の討論会では、聴衆の反応は、スミス優勢だった。コービンは、いかなる人種差別も否定している。イスラエルのパレスチナ人の取り扱いを批判しているが、それはユダヤ人に対するものではない。これは、左の人物によくある反米主義、反植民地主義で、イスラエルは西側の新植民地主義の象徴のように考えられているとする見方もある。ただし、多くのユダヤ人は、イスラエルへの批判は、ユダヤ人批判だと見なし、感じている。かつて労働党は、ユダヤ人の強い支持を受けていたが、今ではユダヤ人の多くの支持を失った。コービン党首の労働党は、わずか8.5%の支持となっていると言われる。

コービンのメディア報道にはバイアスがある。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)の学者が2015年9月1日から11月1日までの新聞を分析した結果、コービンは不公平に扱われているとした。ロンドン大学バークベックと、ロンドン大学ゴールドスミスのメディア改革連合の学者の行った、労働党影の内閣の大量辞任から2016年7月6日までの10日間のオンライン・テレビ報道分析では、民放のITVが公平な報道を行っているとされたのに対し、公共放送BBCのテレビニュースでは、コービンに批判的な報道が擁護的な報道の2倍近いことを指摘している。コービン自身メディアを批判しているが、コービン支持者の多くは、エスタブリッシュメントがコービンを引きずり落とそうとしていると捉え、メディア報道にかかわらず、コービン支持は増加する一方である。

コービンにはリーダーシップがないとする見方が強いが、1983年から下院議員を務めるコービンが、過去30年余りの間、その重要な判断が正しかった、判断が正しいことはリーダーにとって重要な特性だとする指摘がある。コービンは党首に就任するまで、労働党のリーダーたちに厄介者扱いされていた。党首脳部の指示に従わず、自分の信念を曲げなかったからである。

世論調査の労働党の支持率は保守党よりかなり低く、また、コービンへの評価も低い。それでもコービンの信念に共感している人が多く、コービン労働党は党員数が急増し、それまでの2倍の50万余となり、今では、欧州一の党員数の政党となったと言われる。

9月21日正午に党首選の投票は締め切られ、投票の結果は、9月24日に発表される。昨年9月の開票では、4人の立候補者のうち、コービンは最初の開票で全体の59.5%を獲得し、当選した。2人の立った今回の党首選では、コービン選対責任者のマクダネル影の財相が、前回の支持を下回る可能性を示唆した。6月23日のEU国民投票後、コービンが労働党下院議員たちから辞任圧力を受ける中、わずか1週間ほどで13万人が党員となったが、これらの新党員を含め、過去半年余りの加入者は投票が許されなかった。それでも、多くは、コービンに前回を上回る支持が集まると見ている。いずれにしても、党首に再選されるのは確実で、今回の迫られて行われた党首選でコービンの立場が弱まるどころか、さらに強まったと思われる。

メイの計算違い

メイが7月13日に首相に任ぜられてから2か月余り。今もなお、メイの首相としてのハネムーンは続いており、その支持率は高い。この間、イングランドの南部のサマーセットに建設する予定のヒンクリーポイントC原子力発電所の承認を遅らせ、中国との関係を危ぶむ声があったが、これは結局、微調整にとどまり、進行することとなった。何のための精査だったのかという疑問がある。ただし、このプロジェクトが会計検査院の警告したように、金額に見合う価値があるか、さらに中国が絡んでいるため、新首相として国のセキュリティに対する保障の確認などを行うことは理解できる。

しかし、7月14日の「首相への質問」でも取り上げたが、メイの政策の目玉とも言える「グラマースクール」の拡張・新設は、明らかにメイの計算違いだと言える。この学校は、11歳から16歳の子供を教育する公立学校だが、11歳で能力をテストし、優秀だとされる子供に選別教育を与えるものである。第2次世界大戦後、一時期、同年代の4分の1の子供がこの教育を受け、その高い教育レベルの恩恵を受けた人が多い。メイはこの点に力点を置いている。しかし、この学校に行けない、それ以外の4分の3の子供は、敗者のレッテルを貼られ、しかもその子供たちの行く学校(一般にSecondary Modernと呼ばれる)の成績が向上しなかったため、グラマースクールは徐々に廃止され、ほとんどは選別のない公立学校となった。現在ではイングランドに163校残っているが、選別のない学校のほうが、生徒全体のレベルを上げられると広く考えられている。メイの「グラマースクール」の話を聞いた首席学校監察官が「ナンセンス」とコメントしたほどである。

なお、教育は、それぞれの分権政府に権限が分権されており、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド政府にはそれぞれの教育政策があり、メイの「グラマースクール」は、イギリス全体の人口の84%を占めるイングランドだけにあてはまる。北アイルランドにはグラマースクールがあり、この議論には慣れている。一方、スコットランドとウェールズにはグラマースクールはないが、この政策の財政的な影響がそれぞれの教育財源にどの程度あるか注目している。

イギリス独立党(UKIP)が総選挙のマニフェストでグラマースクールの設置を訴えたが、保守党の下院議員にもこの政策に賛成の議員がかなりいる。一方、この政策に反対の議員も少なくない。保守党は下院の過半数を占めるが、その運営上のマジョリティ(「保守党議員の数」マイナス「それ以外の政党の議員の総数」)は17であり、多くの議員が反対に回るような事態は避けたい。また、上院では保守党は810人のうち255人を占めるのみで、反対の労働党・自民党の314人より少ないため、法案が上院で反対される可能性がある。

さて、教育相が、昨年、既存のグラマースクールの分校の設置を承認した。ブレア労働党政権で1998年グラマースクールの新設を禁止した法を制定しているため、それを迂回する手法である。ただし、これが合法であるかどうかには疑義がある。

メイが教育相に任命したグリニングは、メイのグラマースクール政策が下院議員に受け入れられやすいように、様々な対策を加えようとしているが、システムが非常に複雑になるばかりか、それで多くの支持が受けられそうな気配は乏しい。逆に、内乱中の労働党は、この政策反対で一致し、労働党をまとめさせただけだという見方もある。

総選挙のマニフェストでうたわれたわけではなく、突然出てきたこの政策が、現在の状況では、どこまで実現されるか不明だ。むしろ、メイの時間がこの問題にかなり取られるばかりではなく、ポリティカルキャピタルを大きく費やす可能性が高く、難しいBrexit問題を処理する必要のあるメイが、これを手掛けたことが賢明であったか疑問である。