メイのBrexit

2017年3月29日、イギリスはEUに離脱通知を手渡す。2016年6月23日の国民投票で国民が52%対48%でEU離脱を選択して以来9か月、やっとそのプロセスが始まる。

この間、EU離脱の結果の責任をとってキャメロン首相が辞任、そして後任の保守党党首にテリーザ・メイ前内相が選ばれ、7月13日、首相に就任した。メイ首相は、もともと保守党内の右で、EU離脱を目指す欧州懐疑派に近いと見られていたが、EU国民投票ではEU残留派に名を連ねる。しかし、EU国民投票前のキャンペーンでは、できるだけ表面に立たないよう慎重に行動し、キャメロン首相の広報戦略局長が内情を明らかにした著作でメイの行動を批判した。

メイは閣僚の中でも最も重要なポストの一つ内相を6年間勤めてきており、しかも手堅いと思われたことが首相となった要因だが、首相就任後、レトリックで、その手堅さを捨て去り、国内的な政治的得点稼ぎにまい進し始めた。

メイはこれまでの8か月で自らほとんど何も成し遂げていない。しかし、そのレトリックと弱い労働党のおかげで、世論調査では高い支持率を維持している。

EUとの関係で、メイは、EUからの移民の制限が優先で、関税などの障壁がない欧州単一市場から離脱するとした。そしてEUとの離脱交渉、さらに貿易関係を含むEUとの将来の関係交渉を2年以内に終えるとし、しかも「悪い合意をするよりも合意のない方が良い」と主張するに至る。

このようなレトリックは、国民には強いリーダーのような印象を与え、期待が集まる。しかし、最近になって、これまでの主張は現実的ではないと悟るに至ったようだ。

2年後、合意なしでEUを離れた場合、輸出の半分近くを占めるEUへの輸出には、その日から関税がかかり始め、輸出関係書類などの複雑な手続きが必要となる。一方、EUからの輸入を審査するシステムを構築する必要があり、ある推計では、現在のスタッフを10倍近く増員する必要があるという。しかもEU以外の国との貿易もこれまでEU管轄下のシステムで行われていたが、それがWTO管轄下のシステムにスムーズに移行できるとは考えられていない。

イギリスの国家公務員たちは、財政削減と行政改革で第二次世界大戦後、最小のレベルであり、現在抱えている仕事の上に、過去40年余りの関係を清算し、またイギリス法の中のEU法を仕分けするような複雑で困難な仕事まで対処する能力には乏しい。メイは、一つの法律でイギリスがEUの前身に加入した際の1972年EC法を廃止し、一挙にEU法をイギリス法の中に組み入れる方針だが、それだけでこの問題が解決するわけではない。

スコットランドの独立住民投票の問題でも、そのような住民投票が許されるかもしれないのは、EUとの交渉が終わるばかりか、その後の調整等が終わった後だとして、事実上、無期限に先延ばしし、EUとの交渉が2年では終わらないだろうと考えていることがうかがえる。

実際、EUとの離脱交渉は2年で終えることができるかもしれないが、重要な離脱後の関係交渉をその期限内で終えることができるとみている人は少ない。いずれにしても何らかの移行合意が必要になると見られている。

メイは、これまで離脱交渉と将来の関係交渉を同時並行で進めることができると見ていたが、EU側は、離脱交渉の中で最も重要な「離別清算金」の交渉をまず優先する姿勢だ。これはすでにイギリスがEUのプロジェクトなどで支払うことを保証している金額である。すなわち、この問題が解決できなければ、将来の関係の実質的な交渉に入れない状況だ。

この「清算金」の金額は600億ユーロ(520億ポンド:7兆3000億円)との非公式の概算がある。イギリスには、この「清算金」を払うことなしに離脱できるという議論があるが、もしそのようなことをすれば、EUとの将来関係は、極めて困難なものとなる。離脱派は、現ジョンソン外相も含め、国民投票前のキャンペーンで、イギリスがEUから離脱すれば、イギリスが「週に3億5千万ポンド(490億円)のEUへの負担金をNHS(国民保健サービス)に向けられる」と訴えた。この離脱派の数字は正確ではなく、偽の情報だと攻撃されたが、離脱派はそれを貫き通した。その人たちは、巨額の「清算金」を支払うのには抵抗するだろう。

イギリスは、EU予算の12%を拠出している。イギリスの離脱でそれがなくなるのは大きな痛手だ。EUの中でも、東欧らの経済的に比較的恵まれていない国は、EUからの開発資金などに依存しているが、EUからの援助が大きく減少する状況に面している。これらの国がそう簡単に「清算金」の問題で譲歩するとは考えにくい。

EU側の交渉担当者は、交渉の経緯を透明にすると発表している。すなわち、裏取引のようなことを排除し、またイギリス国民にはっきりと交渉経過を見せることが念頭にある。

結局、強いレトリックで国民の期待を煽り、「悪い合意をするよりも合意のない方が良い」と主張したメイだが、「清算金」の問題で、国内的にもEUとの関係でも躓く可能性がある。この問題をいかに乗り越えられるかがメイの最初の大きな課題である。

どうなる北アイルランド

北アイルランドの政治は、イギリスとの関係を維持しようとするユニオニスト側の政党と南のアイルランド共和国との統一を目指すナショナリスト側政党との共同統治である。すなわち、両側が協力しなければ運営できない仕組みだ。政府のトップである首席大臣と副首席大臣は全く同じ権限を持つが、ユニオニスト側とナショナリスト側の最大政党から一人ずつ選ばれ、そのうち最も多数の議員を擁する政党から首席大臣が選ばれることとなる。

昨年、ユニオニスト側の民主統一党(DUP)党首で首席大臣であるアーリン・フォスターがかつて企業相時代に導入した、再生可能エネルギー政策(Renewable Heating Initiative:RHI)の不備で、4億9千万ポンド(690億円:£1=140円)の欠損が出ることが判明した。これは、人口185万人の北アイルランドでは極めて大きな金額である。ナショナリスト側のシンフェイン党は、この問題の公的な調査の結果が出るまで、フォスターが首席大臣の地位から一時的に身を引くべきとしたが、フォスターは拒否。それ以外の政策でも不満を持っていたシンフェインのマーティン・マクギネス(3月21日死去)は、副首席大臣を辞任した。シンフェイン党が代わりの候補者を立てることを拒否した結果、首席大臣が自動的に失職し、選挙が行われることとなった。

2017年3月選挙

3月2日に行われた北アイルランド議会選挙は、議席数が108議席から90議席に減らされた。前回の議会選挙は2016年5月に行われたばかりで、次期選挙予定の2021年5月にこの議席数削減が実施されるはずだったが、この突然の選挙でそれが大幅に早められることになった。なお、この選挙は、18の選挙区に分かれた比例代表制で、各選挙区から5人ずつ選出される。有権者はその選好に従い順位をつけて投票する。

前回2016年5月選挙結果(投票率54.2%)

政党 議席数 派別 第一選好得票
DUP 38 ユニオニスト 29.2%
SF 28 ナショナリスト 24.0%
UUP 16 ユニオニスト 12.6%
SDLP 12 ナショナリスト 12.0%
APNI 8 中立 7.0%
その他 6    
合計 108    

DUP: 民主統一党、SF:シンフェイン、UUP:アルスター統一党、SDLP:社会民主労働党、APNI: 同盟党

2017年3月選挙結果(投票率64.8%)

政党 議席数 派別 第一選好得票
DUP 28 ユニオニスト 28.1%
SF 27 ナショナリスト 27.9%
SDLP 12 ナショナリスト 11.9%
UUP 10 ユニオニスト 12.9%
APNI 8 中立 9.1%
その他 5    
合計 90    

この選挙で、最大政党のDUPが議席を38議席から28議席へと大きく減らし、党単独で法制等の拒否権が行使できる30議席も下回った。一方、シンフェインは1議席減らしただけで27議席を獲得し、2党の差が、得票でわずか1168票差、議席数で1議席となり、大きく躍進した。

RHI問題が起こり、投票率が前回2016年よりも10%余り上昇し、DUPは得票を伸ばしたものの、得票率を落としたのに対し、シンフェインは、得票率を4%近く伸ばした。ユニオニスト側は、それまで過半数を維持していたが、それも失うこととなる。

選挙後、イギリス中央政府の北アイルランド相は、3週間の交渉期間で新政府樹立の話が政党間でまとまらなければ、規定に従い、再び選挙を実施するという方針を示した。この期限は、3月27日である。

RHI問題の調査委員長の判事が、調査には少なくとも半年はかかるとしたことから、この問題の解決はまだはるかに遠いといえる。シンフェインはRHI問題ばかりではなく、「トラブルズの遺産問題」、すなわち多くの未解決の殺人事件の解明への中央政府からの財政援助やアイルランド語への補助を要求し、一方、DUPは「遺産問題」で、かつての軍人らが未解決の殺人事件の容疑者となっているとしてそれらの関係者が訴追されないよう赦免すべきだと要求している。今のところDUPとシンフェインが折れ合う可能性は乏しく、事態は膠着状態といえる。

このような中、中央政府の北アイルランド相は、昨年5月以来3回目となる選挙を実施するかどうか、もしくは中央政府が直接統治するかの選択肢を迫られることとなる。

もし選挙を実施することとなれば、3月に躍進したシンフェインが、マクギネス死去後の弔い合戦でさらに躍進する可能性があるのに対し、DUP、さらにユニオニスト側の勢力がさらに弱まる可能性がある。

問題の一つは、メイ政権が、EU離脱派のDUP(イギリス下院に8議席持つ)の協力を下院で得るため、特別扱いしてきたという印象を与えたことだ。すなわち、北アイルランド相は中立的な立場であるべきであるのに、それがえこひいきをしているように受け止められている。

さらに、中央政府が直接統治することとなれば、かつてブレア、ブラウン首相らも経験してきたように、メイ首相がDUPやシンフェインのトップからの直接の電話に悩まされることとなる。メイ首相は、特にシンフェインのアダムズ党首の扱いには苦労するだろう。

シンフェインは、既に、南のアイルランド共和国との統一を望むかどうかの北アイルランド住民投票の実施を要求し、メイ首相が拒否した。この要求の背景には、昨年6月23日のEU国民投票で、北アイルランド住民の55.8%が残留に投票したことがある。

現在、アイルランド島内の北アイルランドとアイルランド共和国の間の国境には「仕切り」がなく、自由に往来できるが、イギリスがEUから離脱すれば、その「仕切り」が必要になるのではないかという危惧がある。ただし、昨年9月にBBCが行った世論調査では、住民の63%はそのような住民投票を望んでおらず、今のところユニオニストだけではなく、カソリックのかなり多くもイギリス残留を望んでいる。

なお、北アイルランドの住民は、アイルランド共和国のパスポートを得られるが、イギリスのEU離脱で、プロテスタントやユニオニストまでもがアイルランド共和国のパスポートを入手しているとされる。すわなち、これらの人たちのナショナリスト側への反感が減ってきている一方、カソリックは反カソリックのオレンジ結社やユニオニスト運動に未だに強い不信感を持っている人が多い。

アイルランド共和国でのシンフェイン

南のアイルランド共和国では、自分をカソリックと考える人が人口の84%、プロテスタントと考える人が4%(北アイルランドでは48%)であるが、テロ組織のイメージの重なるシンフェインへの不信が強かった。シンフェインは、1986年、アイルランド議会の議席に就くことに方針を変えたが、選挙での支持を増やすのはそう簡単ではなかった。

党首のアダムズは、イギリスの下院議員を2011年に辞職し、アイルランド下院議員選挙に出馬、当選し、また、同年、上述のマーティン・マクギネスがアイルランド大統領選挙に出馬した。マクギネスは3位となり当選しなかったが、シンフェインがアイルランドで本格的に政治運動に取り組み始めた。2012年にマクギネスが、北アイルランドを訪れたエリザベス女王と握手し、また、アダムズは2015年にアイルランドを訪れたチャールズ皇太子と握手した。

なお、2016年のアイルランド下院議員選挙で、157議席が争われ(議長は無投票)、シンフェインは14%の第一選好票を獲得し、23議席を獲得。この3月の世論調査ではシンフェインの支持率が23%とアップした。比例代表制のため、次期選挙ではシンフェインの大幅議席増が予測される。

また、マクギネスの葬儀にはクリントン元米大統領がアイルランド大統領や首相らとともに出席した。アイルランドでのシンフェインのプロフィールは上昇している。

さらにアイルランドのケニー首相らは、大統領選挙に北アイルランド住民も投票できるようにする方針だ。北アイルランドに住むマクギネスは、アイルランド大統領選に立候補できたが、自分に投票できなかった。北アイルランド住民に大統領選挙投票権を与えれば、アイルランドへの見方が大きく変わる可能性がある。

北アイルランドはどうなるか

もし選挙が行われれば、その選挙の結果は、いずれにしてもDUPとシンフェインがそれぞれの立場で第一党となるのは間違いなく、事態は膠着状態のままだろう。

いつまでも選挙をし続けるわけにはいかず、北アイルランドの不透明な政治状況は、まだまだ続きそうだ。

その一方、もしメイ首相らがBrexitの対応を誤り、北アイルランド住民が、中長期的にイギリスよりアイルランド共和国の方が有利だと判断するようなこととなれば、プロフィールを向上させるシンフェインが行動に出て、イギリスが北アイルランドを失うような危機に面する可能性も出てくるかもしれない。