上院の役割

イギリス議会の上院が、政府の提出したブレクジット法案に修正を加え、もし下院がメイ政権のEUとの離脱合意(もしくは合意なし)に満足しなければ、議会がメイ政権にEUと再交渉させることができるようにした投票結果)。この修正案は下院に再び帰ってきて、さらに審議されるが、そのまま残る可能性が高い。

メイ政権の案では、EUとの交渉結果は議会に諮るが、その合意(もしくは合意なし)を全体として受け入れるか、もしくは受け入れない(すなわち合意なしで離脱)の二者択一としていた。

メイ政権はEUの単一市場も関税同盟も離脱するとしている。しかし、メイ率いる保守党の中には、EUとの関税同盟に残るべきだという考えの下院議員もおり、メイ政権の最終的な交渉結果に反対する保守党下院議員がかなり出ると見られている。そのため、メイ政権の最終的な交渉結果が下院で覆される可能性がある。

強硬離脱派の国際貿易相は、この上院の動きに、選挙で選ばれていない上院が国民の意思(EU離脱の国民投票の結果)に反していると攻撃した。

ただし、選挙で選ばれていない上院を残そうとしてきたのは、保守党である。2010年から2015年まで続いた、キャメロン首相率いる保守党と自民党の連立政権では、連立政権合意に基づいて自民党が上院のほとんどを選挙で選ぶ制度に改革しようとしたが、保守党が反対したためにできなかった。そのようなことを棚に上げて、上院が国民の意思に反するなどと主張するのは、まったくのご都合主義だと言わざるをえない。

むしろメイは、ブレクジットに関し、できるだけ議会の関与を避けようとしてきた。国民の意思云々という主張は、議会からの横やりを防ぐための一つの言い訳である。最高裁判所が明言したように、2016年のEU国民投票の結果は、あくまでも「諮問的」なものだ。

イギリスは日本の国民主権と異なり、議会主権の国である。そのような国で、議会の意思をきちんと尊重せずに、政権が自分たちの判断だけでEU離脱を進めるのはおかしい。これはメイの仕事のやり方を反映していると言えるだろう。保守党内に小さな反乱があれば下院の判断が変わる状況では、上院の意思はこれまで以上に重要だと言える。

ブレクジット交渉の難問の一つアイルランド問題

イギリスはEUから2019年3月末に離脱する。EU側のイギリス離脱交渉責任者ミシェル・バーニエによると、交渉の75%は合意したという。しかし、バーニエは、離脱合意に至るには、アイルランド問題での合意が不可欠だとする

ここでのアイルランド問題とは、アイルランド島内のイギリス領北アイルランドとアイルランド共和国の国境の問題である。イギリスがEUを離脱した後、イギリスとEUとの地上での国境が接するのはここだけである。現在、両者の間には地図上の国境はあるが、建物も検問もない。ところが、イギリスが、EU離脱後、EUの単一市場も関税同盟も離脱する方針であることから、EU側は、EU内の統一性を維持するために現状のまま放置できず、何らかの対策を立てなければならない。昨年12月の交渉で、イギリスは、もしこの国境問題で両者が合意できなければ、EU内の統一性を守るための方策を講じることに合意したが、その内容について争っている。

イギリスのメイ政権は昨年の総選挙で過半数を失ったが、その政権を閣外協力で支えているのが、北アイルランドの民主統一党(DUP)である。このユニオニスト(イギリスとの関係を維持していく立場)政党はイギリスのEU離脱に賛成しているが、アイルランド共和国との国境に新たな建物や検問を設けることに反対する一方、イギリス本土と異なる扱いを受けるのに反対している。北アイルランドのナショナリスト(アイルランド共和国との統一を目指す立場)政党も新たな国境制度を設けるのには反対しており、アイルランド共和国も基本的に同じ立場だ。北アイルランドをアイルランド共和国と共に関税共通地域として、アイルランド島とイギリス本土との間に関税などの国境を設ける方策にはDUPが反対している。イギリス政府は、絶対譲歩できない立場(レッドライン)として単一市場も関税同盟も離脱するとし、北アイルランドとアイルランド共和国との間は新しい国境制度を設けず、テクノロジーで対応するとしているが、これがきちんと機能すると考える人は少ない。

離脱合意が達成できなければ、離脱後予定されている「移行期間」もなくなり、イギリスは2019年3月末で、いわゆる「崖っぷち離脱」することとなる。すなわち、来年3月末で法制が変わり、貿易関係やそれ以外のイギリスとEUの関係が大きく混乱することとなる。

その一方、きちんと離脱合意がなされるには、イギリス議会や欧州議会での合意内容の吟味や審議、それに採決もあるため、今年秋までには基本的な離脱合意がなされる必要がある。そのためにはアイルランド問題はこの6月のEUサミットまでに解決される必要があるとされている。すなわちほとんど時間がない。

DUPのフォスター党首は、バーニエを攻撃し、バーニエは北アイルランドの状況を理解していない、「誠実な仲介者」ではないなどと発言したが、フォスターはバーニエの役割をわかっていないようだ。バーニエは、EU側の交渉担当者である。EU側(アイルランド共和国を含む)の利益を優先するのが、その立場である。この事態を招いているのは、その立場に固執しているメイ政権といえる。

メイは、ラッド内相が辞任し、自分の内相時代に推進した移民政策の批判に直接さらされる状況にある上、さらに5月3日の地方選挙では保守党がかなり劣勢と見られている。その上、議会の上院で政府のブレクジット政策が次々と覆されている中、メイ政権内の離脱派・残留派のバランスを取り、さらに政権を維持していくために保守党内の離脱派・残留派の対立もまとめていく必要がある。これらに関連したアイルランド問題を処理し、EU側との離脱交渉を進めていくのも簡単ではない。これらは実はメイが自ら作り出した状況である。