侮れない小国アイルランド

アイルランドは人口480万人ほどの小さな国である。しかし、政治家の質は高い。アイルランドはキリスト教のカトリックの国だ。カトリックは通常妊娠中絶を禁止しているが、バラッカー首相は、妊娠中絶の禁止を改めるかどうかの国民投票で、地滑り的といえる改正支持票を獲得した。首相に就任してまだ1年もたっていないが、リスクを冒してこの国民投票を巧みに準備し、実施したと高い評価を受けている。

なお、人口530万人のスコットランドでもそうだが、スコットランド国民党(SNP)の党首でスコットランド政府のスタージョン首席大臣やスコットランド保守党のダビッドソン党首は優れた政治家だ。小さな国だからといっても侮れない。

そのアイルランド共和国が、イギリスとEUとのブレクシット交渉で、イギリスの交渉の成否を握っている。イギリスの北アイルランドと南のアイルランド共和国との国境がイギリスとEUとの陸上の国境となるからである。また、血にまみれた過去を持つ北アイルランドの和平は1998年のグッドフライデー(ベルファスト)合意で成し遂げられたが、ブレクシット交渉の当事者はすべてこの合意を堅持する方針であり、現在の国境はあるが、通行を妨げるものはない状態を維持するとしている。さらに、この国境は毎日3万5千人が行き来して、仕事や学校などにも通っており、モノの輸送も含めてお互いの経済・社会に影響がないようにする目的がある。すなわち、アイルランドが納得できる解決策が合意できなければ、離脱合意もできないということである。

これはアイルランド共和国にとっても北アイルランドにとっても非常に重要な問題である。特に貿易関係では、これまでいずれもEUの単一市場と関税同盟のメンバーであるため、関税もなく、書類も必要なく国境を越えていたが、合意の内容によっては、もしくは合意できなければ、それができなくなる可能性がある。しかも、イギリスとEUとの交渉では、この問題の解決はまだ遠いとみられている。その一方、時間がなくなってきており、EU側は、6月末のEUサミットまでにこの問題を解決したいと要求している。

アイルランドの元首相が、イギリスの公共放送BBCのラジオ番組に出演し「EUは、一つの機構が作ったルールのシステム」であると指摘した。これまで40年以上そのシステムの中に身を置いてきてその便益を受けてきたイギリスが、すっぱりと離脱するのならともかく(その場合には経済的に大きなショックがあると見られている)、経済的な影響を最小限にするように離脱したいが、その際、そのシステムを自分に都合のよいように変えられると誤解していたようだ。すなわち、それがEUとイギリスの両者にとってよいと見ていたようだ。

ところが、イギリス側が、EU側が容易に妥協すると思っていたことにEUが妥協しないのである。EU側には、EUから離れる国の都合でEUのルールをなぜ曲げなければならないのかという点がある。

アイルランドの国境の問題は、ブレクシット交渉の最初から、3つの基礎条件の一つだった。バラッカー首相は、国境に検問などを設ける解決策ははっきりと受け入れられないとしている。メイ首相は、保守党党内の対立のため、容易に方策を決められない状況にあるが、中絶国民投票で大勝利を収め、自信をつけたこのアイルランド首相を侮ることはできない。

DUPの妊娠中絶に対する立場に縛られるメイ首相

北アイルランドの民主統一党(DUP)は、イギリスの下院に10議席持ち、メイ保守党政権を閣外協力で支えている。昨年6月の総選挙で過半数を割った保守党は、下院で過半数を確保するためにDUPの協力が必要だ。その上、ブレクシットをめぐり、保守党内で強硬離脱派とソフトな離脱を求めるグループが対峙している中、EU離脱支持派であり、ほとんど一丸となって動くDUPの協力は不可欠だ。

2018年5月25日のアイルランドの妊娠中絶を認めるかどうかの国民投票で、3分の2が認めるとし、認めないとする方が3分の1であった。これでアイルランド共和国では認められることとなる。ただし、同じアイルランド島の中の、イギリスの北アイルランドでは認めないままであることから、メイ保守党の女性議員の中にも認められるようにすべきであるという意見が強まっている

北アイルランドはイギリスの一部ではあるが、イギリスが妊娠中絶を1967年に認めたのは適用されず、今もなお、妊娠中絶は犯罪である。妊娠がどのような理由によってもたらされたとしても、医師が母体を守るために他に手段がないと判断した時以外、禁止されている

2016年11月、北アイルランドの裁判所がそれを国際人権法に反するとしたが、DUPらは法律を変えることに反対してきた。これは、DUPを創設し、後に首席大臣となったイアン・ペースリー牧師らの宗教的信念に基づいたものだ。

なお、北アイルランド第二党のシンフェイン党は、アイルランド共和国とまたがって両方に政治勢力を広げている。このカトリック政党のリーダーに今年就いたばかりの女性党首は、アイルランドの中絶認可に賛成した。そして、シンフェイン党は妊娠中絶のルールについてアイルランド島全体で統一されたものとすべきと訴えている。

しかしながら、メイ首相は、保守党内の女性議員らから突き上げがあっても、DUPに配慮し、北アイルランドでの法律改正には慎重だろう。数か月先には最高裁で北アイルランドの中絶禁止が女性の人権侵害になっているかどうかの判断が下される予定だ。状況が変わる可能性があるが、メイ首相は、DUPの意向を無視して行動できず、ブレクシットも含め、手が縛られた形となっている。