高まる「合意なし」の可能性で緊張する政治

イギリスのEU離脱で、日本の企業が欧州本社をイギリスからEU内に移転する動きを見せている。その理由の一つは、イギリスがEU離脱後、企業誘致のために法人税を大幅に引き下げると、日本政府がイギリスをタックスヘイブン(租税回避地)とみなす可能性があり、そうなれば日本での大幅な増税に結びつきかねないという危惧があるようだ。

フォックス国際貿易相も、このような問題をかつて無視していたようだが、イギリス政府はこれまでブレクシットの影響を十分考えていなかった点がある。メイ首相は、2017年初めに「合意なしは、悪い合意よりよい」と主張しながら「合意なし」の準備を怠ってきた。しかし、ここにきて来年3月の離脱前に合意なされるには「この秋」までに合意がなされなければならず、時間がなくなり、遅まきながら「合意なし」の場合への準備も進めていかざるを得なくなっている。

本来、2016年のEU国民投票の後、イギリスとEUが、お互いのできること、できないことを冷静に話し合い、そこから交渉をスタートしていれば話ははるかに簡単であったろう。しかし、メイ首相が、保守党内の欧州懐疑派を慮り、しかもEU側を見くびっていたために、イギリス側が敷居を高くしすぎた。そのため、今や交渉は一種の行き詰まりの状態に来ている。そして今や、メイ首相は、その率いる保守党内の事情のためにEU離脱交渉で柔軟に対応できない状態に追い込まれている。

もしイギリスが「合意なし」でEUを離脱すれば、もちろんイギリスもEUも両方ともかなり大きな打撃を受ける。イギリスが「合意なし」で離脱すれば、既に基本的に合意している清算金を支払わずに済むというわけにはいかない。これまでメンバー国としてEUに約束してきた支払いは済まさずにはおれないからだ。そしてイギリスが「合意なし」で離脱すれば、今後の関係に大きな溝を生むばかりか、大きな債務まで背負って離脱するということになる。

メイ首相が、イギリス側は7月に首相別邸で決めた立場を変えないと言い張り、一方では、EU側は、その立場は容認できないと主張している。メイの立場には整合性がなくなってきているメイ首相つぶしを図る動きも伝えられる中、今の政局は、わずかなはずみで大きく動く状態で、予測は困難だ。夏休みだった下院は9月4日に再開するが、9月13日には党大会シーズンで再び休会となり、下院が再開するのは10月9日である。これから秋、そして年末にかけて政局は極めて興味深い。

下院議員のリコール

今年7月、北アイルランドの民主統一党(DUP)所属のイアン・ペーズリー・ジュニア下院議員が、イギリスの下院から30日の登院停止処分を受けた。オンラインで記録をさかのぼることのできる1949年以来最長の登院停止処分である。そして、現在、2015年下院議員リコール法が設けられて以来初めて、リコールするかどうかの公式な署名がペーズリーの選挙区で行われている。 

このリコール法では、下院議長の要請で選挙管理官が選挙区内に署名所を設け、有権者総数の10%がリコールに賛成すれば、現職議員が失職し。補欠選挙が実施されることとなる。今回の署名期間は、88日から919日までであり、3つの署名所で、平日午前9時から午後5時まで、そして96日から13日までは午後9時まで行われる。失職した議員は再び立候補でき、ペーズリーはたとえ失職しても再立候補する意思をすでに表明している。 

北アイルランドの選挙は、極めて特殊であり、党派色が極めて強い。ペーズリーの父親は、DUPの創立者の宗教家で、下院議員、北アイルランド政府首席大臣、上院議員も務めた人物である。個人の信奉者が多かったため、それらの人々がペーズリーを今でも支援している。2017年の総選挙では、この選挙区(North Antrim)では、76000人ほどの有権者で、投票率が約64%、ペーズリーは60%ほどを得票した。その選挙で他の政党に投票した有権者数は約2万人で、全有権者数の10%の7600人署名は到達可能な数字だ。補欠選挙があっても、ペーズリーが立たず、DUPから他の候補者が立てば楽勝するだろうが、ペーズリーの背景からそれはできず、結果はDUP支持者の投票率次第だろう。それでも、ペーズリーが再選される可能性は極めて大きい。

なお、DUPもペーズリーもEU離脱派だ。2016年のEU国民投票では、北アイルランド全体の56%が残留に投票したのに対し、この選挙区では離脱賛成派が62%だった。この選挙区は南のアイルランド共和国との国境から遠く離れているため、イギリスとEUとのブレクシット交渉で「合意なし」の可能性が高まっていることはそう大きく影響しないだろう。 

ペーズリーの登院停止処分を引き起こした問題は、2013年の家族でのスリランカへの3度にわたる招待旅行で、スリランカ政府から旅費などを含む過剰な接待を受けたことだ。その金額は、10万ポンド(1400万円)ともいわれる。下院議員の利益供与などの登録をきちんとしていなかった上、スリランカ政府の要請を受けてイギリス政府に対してロビイングをしていた。これは明らかに「有償受託ルール(Paid advocacy rules)」に反しているとして、下院の倫理基準委員会が、夏休み後下院の再開する94日から30日の登院停止(30日間ではなく、30日の登院日の登院停止のため、政党の党大会休会期間も含み、かなり長くなる)を提案し、下院がそれを承認したのである。 

メイ首相は、DUPから閣外協力を受けて政権を運営しているが、DUPの下院議員数が当面10人から9人となったことは痛手だ。これが秋の政局にどのように影響するか注目される。