もし労働党政権が誕生すれば

7月4日(木)の英国総選挙では、野党の労働党の大勝利が予想されている。もしそうなれば、7月5日(金)にスターマー労働党党首がチャールズ国王に謁見して首相に任命され、直ちに組閣に入り、新政権を立ち上げていくこととなる。そして7月17日(水)のウェストミンスター議会での「国王のスピーチ」で、新労働党政権の政策が発表される。

英国は保守党の14年間の施政で、ほとんどあらゆる面で国が疲弊しており、その回復は並大抵のことではない。これまでの継続では到底やっていけない。

総選挙のマニフェストで各政党が競ったのは、いかにそれぞれの政策に財源の裏付けがあるかであった。労働党は、基本的に保守党の財政政策に基づいた政策を立て、所得税、国民保険、付加価値税の税率を上げないと約束している。世論調査の支持率で大きく劣っていた保守党は、労働党独自の政策に財源の裏付けがないとして、労働党が政権に就けば、一労働者家庭当たり、2000ポンド(約40万円)の増税があるとして話を作り上げ、スナク首相(保守党党首)は、最初のテレビ党首討論で、スターマーを突然攻撃した。スターマーは、それは「ウソだ」と言ったが、スナクは、その主張を1時間番組で10回ほども繰り返した。今回の総選挙では、財源の問題は、非常にセンシティブな問題であった。

財政が非常に厳しい中、NHS、地方自治体を含め、お金をつぎ込まねばならない分野は多い。この中で、スターマー率いる労働党政権がまず構想しているのは以下のようなものだ。

まず、何百万人もの人が診察待ち、治療待ち、手術待ちしている状況を改善することだ。

次に多くの国民の関心のある移民問題、特にフランスから小さなボートで渡ってくる亡命希望者をストップする対策である。

さらに、人口が増える中で遅れている住宅着工を促進するための方策である。

また、最も重要な経済成長を達成するためのGBエネルギーを始めとする経済戦略の推進である。

これらを進めて行くためにスターマーが行うことは、省庁の改廃ではない。それには時間がかかり、エネルギーの無駄だとする。また、影の内閣のメンバーを基本的にそのポストに就ける予定だ。そしていったんポストに就けば、長期間そのポストにとどまってもらう方針だ。影の内閣のポストでそれぞれの仕事の内容を既によくわかっているのに人を変えると一からやり直しということになりかねない。保守党の失敗の一つは、閣僚をくるくると変え過ぎたことである。

すなわち、形を変えるのではなく、実施する方法を変え、直ちにそれに向けて動き出すということである。

例えば、NHSの仕事のやり方を変えていく。うまくいっている例を全国(ウェストミンスター中央政府はNHSのイングランドだけを担当しており、それ以外の地域は分権されている)を回って広めていく。

住宅や刑務所、病院など必要な土地建築の建設許可制度を大きく変えて進めていく。これには大きなショックがあるだろう。反対を押し切って進めて行く必要があると思われる。すなわち、規制改革を新しい動きの基本に置き、スピーディに実施していく。さらにこれまでの省庁ごとのサイロメンタリティを変えるのに、個別の推進事業(経済成長、NHS、犯罪司法、グリーンエネルギー、機会向上など)で分けた大きな枠の委員会を設け、効率的にお金を使い、不必要な遅れをなくすことを目的とすることである。

確かにこれらの試みがどの程度うまく進むかには未知の要素がある。スターマーの首席補佐官のスー・グレイは、内閣府の第二事務次官だった人物で、ボリス・ジョンソンが首相時代に起きたパーティーゲートの調査を担当し、ジョンソンらのリーダーシップの欠如を指摘して、ジョンソンの首相辞任につながるきっかけを作った人物である。多くの政治家と官僚から恐れを持って見られていた人物だ。グレイは、行政と接触して着々と準備を進めているとされるが、どの程度できるか見ものである。

労働党の影の財相レイチェル・リーブズ

7月4日(木)に行われる総選挙。労働党の圧倒的な優勢が伝えられる。もし予想通り労働党が勝利を収めると、影の財相レイチェル・リーブズがスターマー労働党内閣の財務大臣となる。

労働党は、まず14年間の保守党政権の残した問題に追われることとなる。最初の100日間でNHSをはじめとする緊急の課題への対処をキックスタートする。しかし、労働党が直ちに取り組みはじめなければならないのは、経済成長である。経済を拡大し、その結果として、財収を増やさなければ、結果的に公共サービスをカットしなければならない事態となりかねない。今回の総選挙では、保守党と労働党はいずれも、国内総生産GDPの額に近い政府の債務を減らすことを約束している。労働党は、今回の総選挙で、保守党の財政政策を基本にして、それに独自の色を付ける方策に出た。その独自色をつけるための財源を明確にし、労働党のマニフェストはすべて財源の裏付けをしていると訴えて選挙を戦ってきている。また、所得税、国民保険、付加価値税の税率は変えないと約束している。

すなわち、リーブズは財相になっても、借金をして公共サービスの問題を直ちに改善するという方策は取らず、現在の財源の範囲で対処し、経済成長の見返りを待って、対応するという方針を取るということである。これは、例えば、スターマー党首の前任者コービンのマニフェストの考え方とは異なる。

リーブズの担当する財相は、限られた財源を振り分けて必要な分野にお金を配分することになることから、政府全体を俯瞰して財政政策を強力に実施していくことが必要である。そのために、ブレア労働党政権でのブラウン財相のような強い立場になることが予想される。ブラウンの場合には、ブレアの兄貴分として関係が始まり、ついには自分が首相となるためにブレアに首相を辞任させることになるなど非常に大きな影響力があった。リーブズの場合には、財政規律を守りながら、政府内の各分野での規制改革を含めてスターマー政権に絶対に必要な経済成長を推進させていくということになるため、リーブズに替わるものは誰もいないという非常に強力な立場になる。このような立場になることはリーブズにとって危険なこととなる可能性はある。

なお、リーブズは、1979年2月生まれの45歳。教員の両親を持つ。2児の母親。なお、夫は、国家公務員で、環境・食料省の第二事務次官である。

リーブズは、オックスフォード大学で、国家公務員や政治家に多いPPE(哲学・政治・経済)を学び、LSEで経済学の修士号を取得。英国の中央銀行であるイングランド銀行にエコノミストとして入行した。イングランド銀行時代には、日本担当だったこともある。また、アメリカのワシントンでの任務も与えられ、連邦準備金、議会、ホワイトハウスの高官とも交わったという。ワシントンで、英国財務省からIMFに出向していた夫と知り合ったと言われる。

リーブズは、17歳で労働党に入党した。2005年総選挙でロンドンの選挙区から立候補して落選。翌年、保守党現職が病死したため行われた同じ選挙区の補欠選挙に立候補するも保守党候補に大差をつけられ落選した。その際には、現在リフォームUK党の党首ナイジェル・ファラージュがUKIP(英国独立党)から立候補している。

イングランド銀行を退職した後、民間銀行の、リーズにあるHBOS銀行(ロイズTSBに吸収され、現在はロイズバンキンググループ)に勤務。リーズで労働党の候補者に選ばれ、2010年の総選挙で初当選した。労働党では、影の内閣の役職に2011年から就く。2015年に党首となった左のコービン党首とは一線を画し、影の内閣には入らず、2017年から下院のビジネス特別委員会の委員長を務めた。2020年にキア・スターマーが党首となった時には、直ちに影の財相には任じられなかったが、2021年の地方選挙で労働党の方針が疑問視され、また、労働党の強いはずの選挙区の補欠選挙で労働党の候補者が保守党の候補者に大差で敗れ、スターマーの権威に陰りが出た時、影の内閣が改造され、リーブズに影の財相の役割が回ってきた。

民間で働いたこともあることから、リーブズは、労働党がビジネスとの関係を作るのにも大きな役割を果たしている。しかも財政規律を重んじ、経済の安定を重んじ、英国が投資しやすく、投資を招きやすい環境に作り替えていくことを念頭に置いている。かつての労働党のような国有化(鉄道は別)や国の管理を重んじた時代とは決別し、経済を改革して国を富ましていくことを目的としている。リーブズの考え方は、セキュロノミクス(Securonomics)という言葉で表現されている。現代のような不確実な時代には、大きな国を作ることではなく、スマートで戦略的な国を作っていくことだとするのである。

リーブズが財相になって、どの程度その目標を達成できるか注目される。