レナード卿問題での自民党ダメージ軽減戦略(Lib Dem’s Damage Limitation Exercise on Lord Rennard Scandal)

自民党の上院議員(貴族院議員)レナード卿が自民党のチーフ・エグゼクティブ在任当時、女性の党関係者に対してセクシャル・ハラスメントをしたという疑いが出ている。この問題に対して自民党は、どのように対応をしているのだろうか。

疑惑の内容

テレビ局のチャンネル4が、2月21日夕方のニュースでレナード卿の過去のセクシャル・ハラスメント問題の特集番組を組んだ。二人の女性(クレッグ副首相の元スペシャルアドバイザーとオックスフォード大学政治学講師)が実名で出演し、もう一人が匿名で自分たちの経験を語った。実名の二人は党の幹部にそのことを伝えたが、きちんと対応しなかったという。その後、ある報道によると現在までに少なくとも10人の女性が被害を訴えているそうだ。

 レナード卿

クリス・レナード卿(1960年7月8日生まれ)は、12歳から自民党の活動を始め、大学卒業後、自民党のスタッフとなる。選挙に卓越した能力を発揮し、補欠選挙で自民党にいくつもの議席を勝ち取った上、総選挙でも自民党の勢力を大きく増大させた。

1989年に自民党の全国の選挙の責任者となったが、その後は、1992年の総選挙までに3つの補欠選挙に勝ち、1992年総選挙で2議席減らし20議席となったものの、1997年の総選挙までに4つの補欠選挙で議席を増やした。1997年総選挙では、46議席とし、それまでの功績で、レナードは39歳で一代貴族に任ぜられ、上院議員となる。2003年に自民党のチーフ・エグゼクティブとなり、2009年まで務めた。この間、2001年総選挙を経て、2005年総選挙では62議席を獲得し、党勢を伸ばした。

レナード卿は、お金の分配や党の支援をどの候補者に振り向けるかなどに大きな権限を持ち、非常に大きな力を持っていたと言われる。党首より力があったという声もある。

自民党の対応戦略

大きく分けて3つあるように思われる。

①党首のニック・クレッグ副首相をなるべくこの問題から遠ざける。

クレッグは、2007年に党首となったが、レナードがチーフ・エグゼクティブを辞職する2009年までにも、セクシャル・ハラスメントを起こしていた疑いが出ており、クレッグがどこまでそれを知っていたかが、大きなカギとなる。クレッグの直接の部下(次席補佐官)がそれを知っていたと言われ、クレッグがそれを知らなかったはずがないという見方がある。

2009年にレナードはチーフ・エグゼクティブを辞職した。クレッグは、レナードの功績をたたえた。レナードのクレッグの欧州議会議員選挙やその後の総選挙などの助力に感謝し、レナードなしには党首になれなかったと発言している。そのため、クレッグがレナードのセクシャル・ハラスメントを知りながらそれが表ざたになるのを抑えていたのではないかという疑いがある。レナードの辞職は、そのセクシャル・ハラスメントに関係していると見る人がいるが、健康(糖尿病)と家族を理由にしたレナードはそれを否定している。

クレッグは、2月20日からスペインにホリデーに出かけた。クレッグの妻はスペイン人で、これまでにも子供を連れてスペインの妻の実家にはよく行っている。ちょうど学校がハーフタームと呼ばれる1週間の休み期間中だが、2月28日には、重要な補欠選挙がある。自民党の党首選挙で自分と競い合い、連立政権参画後は、エネルギー相となったクリス・ヒューンが議員辞職したための補欠選挙である。この選挙では、自民党が優勢を伝えられるものの、この重要な週末にホリデーに出かけるのは少し不自然である。なお、クレッグは、チャンネル4の放送の36時間前までレナードのセクシャル・ハラスメントの疑いを知らなかったといわれており、それが正しいとすれば、ホリデーに出かける前にこの問題を知っていたこととなる。チャンネル4の放送後、事態がどうなるかを見極める狙いがあった可能性がある。英国では、日曜日の新聞にこういう問題の深い分析や新しい情報が出てくることが多く、それらが出つくした後、今後の対応を検討する方が好ましい。

いずれにしても、クレッグはスペインにいるためにそのもとへマスコミが大挙して押しかけ、コメントを求めるという事態は避けられた。クレッグのコメントはすべて公式スポークスマンを通して慎重に出されるという体制を取っている。24日の日曜紙にクレッグは知っていたという見出しを掲げたものがあるが、これに対しては、「全く知らなかった」とスポークスマン、それに自民党のビジネス大臣のヴィンス・ケーブルを通じて否定している。

クレッグは、自民党のプレジデントであるティム・ファロン下院議員に過去にこのような問題に対いてどのような処理をしたかを含めて手続きに関する調査を進めるよう指示した。自らをこの問題から引き離すとともに、一方ではこの調査委員会にクレッグも証人として出席し、自分の身の潔白をその場で訴える機会とするようだ。

自民党は、大学学費問題でその信用を大きく傷つけたが、この問題は、それよりはるかに深刻な影響を自民党に与える可能性がある。自民党はこれまで女性の権利の擁護・向上を訴え、誰もが公平に扱われることを求めてきたが、その基本原則に関する問題で自分たちがきちんと対応していないことが明らかになってきたからである。レナードのセクシャル・ハラスメントに対する苦情が握りつぶされたり、苦情を訴えたりしたために辞めさされたという話も浮上してきている。それらをクレッグが知っていたということになれば、事態は極めて深刻だ。

なお、現在の自民党のチーフ・エグゼクティブのティム・ゴードンは、「我々は自分たちの政治理念に十分にかなった行動をしなかったようだ。それを残念に思う」と言っている。

②自民党がこの問題を深刻に捉え、素早くこの問題に対応しているという印象を与える。

自民党は、チャンネル4がこの問題を放送した時には、既に最初の調査委員会を持って対応を始めていると主張した。これは、自民党プレジデントのファロン下院議員の委員会のことで、チャンネル4の放送した木曜日に第一回目の会合を持った。そこでは、実際に何が起きたかを調べるとともに、このような問題の苦情処理手続きが妥当だったか検証するようだ。手続きについては、上記のゴードンも別の委員会を設けると言っている。

つまり、この問題は、既に党が上げて取り組んでいるから大丈夫だという印象を与えることを目的としている。この手法は、英国では至る所で使われている。報道機関が問題を取り上げた時には、既に手を打っていると主張するのである。

なお、手続き上の問題を取り上げるのは、もし手続きに問題があれば、それを改め、改善するという意思を示すものであるが、実際には、これは一種の隠れ蓑ともいえるものである。手続きがあろうがなかろうが、悪いと思われることは直ちに対応されるべきで、もし対応されなければ、それはその組織を与る人の責任である。手続きを設け、または改めることが必ずしも問題の解決策とはならない場合が多い。

まずは委員会を設け、問題の深刻さを十分に認識していると主張しながら、世の中の関心が鎮まるまで時間を稼ぐこととなる。

特に今回の問題は、2月28日の補欠選挙へ影響を与える可能性もあり、素早く対応する必要があった。

③レナード卿とのコミュニケーションのラインを維持する。

レナード卿は、疑惑を完全に否定した。しかし、自民党に迷惑をかけないという名目で、自発的に自民党関係の職を一時的に退いた。それでもレナード卿は今でも大きな影響力を自民党に持っている。

一方レナード卿は、自民党の要職を長く務めてきたため、自民党下院議員や関係者の「内輪の秘密」をかなり知っていると思われる。そのような人物との関係を悪くすることは危険だ。

そのため、レナード卿と連携して対応した方が得策と言える。ただし、事態の進展によってはその連携が批判される可能性があるため、これは、非公式なラインとなるだろう。

さらに、事態が沈静化した後のレナード卿のセクシャル・ハラスメントの疑いに対する処分について、それなりの落としどころを予め想定しておく必要がある。自民党が党としてどういう行動を取るにしても、その結果を想定せずに行動することはない。

チャンネル4で報道された疑いは、「被害者の話」であり、その具体的な証拠に欠ける面がある。この形式の話が多く集まっても、疑いは深まるが、決定的な証拠とはならない。そのため、最終的な処分にはかなり大きな裁量の余地がある可能性がある。

そのため、結果は以下のようなことになる可能性がある。

「本人は否定している。決定的な証拠はないが、多くの女性の元党関係者に批判されたレナードは党の重要な役職から身を引く。しかし、上院で自民党所属議員として引き続き活動することを許す」

なお、自民党が、幹部の女性スタッフへのセクシャル・ハラスメントを党として大目に見ていたという批判をなるべく少なくするためには、この問題の責任を取る人を決め、その人の判断が不十分だったということにする可能性があろう。事態を見極めながら、その時々の時点で高度な政治的判断が必要だろう。今後の展開が待たれる。

謝罪して男を上げた教育大臣マイケル・ゴブ(Apologetic Michael Gove Praised)

教育大臣のマイケル・ゴブが、2月7日、下院で政策変更を発表し、政策の一つが行き過ぎで誤りだった、と謝罪した。GCSEという16歳の中等教育修了試験に代わって「イングランド・バカロレア証明書」の制度を導入する計画で、英語、数学、科学、歴史、地理は2015年から教え始めるはずであったが、これを中止し、GCSEの仕組みを強化することとした。なお、ゴブ教育大臣の管轄はイングランドのみで、それ以外の地域は分権政府の管轄である。

ゴブは、どの大臣も失敗する、「将来の学校建設プロジェクト」の件でも失敗したが、これも誤ったと言って謝罪した。

このスピーチを聞いて、このように率直に自分の失敗を認めるのは最近では珍しいと思った。野党の労働党は、これは政府のひどい失態だとして、ゴブを攻撃したが、保守党からはゴブを称賛する声がきかれた。

ゴブはもともとタイムズ紙のジャーナリストだった人物で、キャメロン首相の側近の一人である。保守党の「影の教育大臣」として、保守党の教育政策の準備を進め、キャメロン政権誕生後は、教育大臣としてキャメロン政権の中で最も改革志向の大臣である。もちろんそのために、教員たちからはかなり嫌われている。

マイケル・ゴブは教育相として以下のようなことを実施しようとしてきた。

①学校の規律を重んじる校長を支持する。
②できの悪い校長は首にする。
③自律性の高いアカデミーの数を増やす。
④フリースクール制度を設ける。
⑤教育水準を上げるために既存のGCSEとその上のAレベルの試験制度を改革し、カリキュラムを書き換える。

①と②では、学校監視官に、学校の規律を重んじ、生徒の能力向上に大きな成果を上げ有名だった学校長を口説き落とし、任命し、学校評価基準を厳しくした。
③では、2010年に203校であったアカデミーが2012年9月末で2309校となっている。アカデミー校は、公立校であるが、地方自治体の管轄を離れ、政府直轄の学校であり、学校運営にかなりの自由が許される。
④では、2012年9月末までに79校設けられている。
そして⑤への取り組みに関してこの「失敗」が発生した。

ゴブのGCSEを廃止して、イングランド・バカロレア証明書を設ける案には、教員だけではなく、連立を組む自民党、下院の教育委員会、それに資格試験監視機関(Ofqual)からもリスクが大きすぎると反対された。

ゴブは同時にGCSEの大幅改革を発表した。さらに学校評価制度を改革し、イングランドのナショナル・カリキュラムの原案を発表した。それには7歳から外国語を学ぶことが含まれている。

ゴブの政策の効果はともかく、ゴブの教育水準向上にかける熱意にはかなりのものがある。同僚の保守党下院議員からの評判もよく、キャメロン後の保守党党首候補の賭け率では、ロンドン市長のボリス・ジョンソンに次ぐ有力候補である。