民主党政権の「政治主導」?(Japanese Democrats’ Misunderstandings 1)

2009年の総選挙で政権についた民主党は、英国流の政治を導入しようとしたようだ。「官僚主導」に代わって「政治主導」を行おうとし、さらにマニフェストに基づく政治を推進しようとした。これまでの政治から新しい形の政治のやり方に取り組もうとしたその意図は評価されるべきだが、どうも「英国流の政治」が何かを誤解していたために、これらはうまく機能しなかったように思われる。

まず、「政治主導」を行おうとすれば何が必要だろうか?首相並びに閣僚、そしてそれに次ぐ政府の要職に就く政治家の人々が「主導」するために必要なものだ。まず必要なのは人材だ。大臣として省を率いて行くことのできるリーダーシップのある人がいるだろうか?「官僚主導」の体制の構造と問題をよく知り、これまで知識を蓄積し、経験を積んできた官僚に対抗できる頭脳のある人がいるだろうか?実際のところ、英国でもこれらの質問にYesと答えられる場合はそう多くないと思われる。しかし、英国の制度には、人材を育てる仕組みが内在している。例えば、野党の影の内閣のメンバーは、下院で大臣らと丁々発止の議論を交わす過程で、それぞれの省の仕事を深く理解していくことができる。また、政策に関しては、政党内部で政策を作るためにスタッフがおり、それを可能にするショートマネーと呼ばれる補助金などが提供される。2010年5月の総選挙後、自民党が連立政権に入り、与党となったためにこの補助金が受けられなくなり、政策スタッフを多数解雇する必要に迫られたことがあるが、「政治主導」のためには、それぞれの政党がきちんとした政策を作ることが重要だ。また、英国には多くのシンクタンクがあり、政策を供給し、また、それぞれの政党の政策への批判がかなり活発に行われる土壌がある。一方、日本では、官僚が政策スタッフ並びにシンクタンクの役割まで担っている面があるように思われる。さらに、英国では、マスコミのそれぞれの政党の政策に関して批評する能力が高く、例えば、新聞紙では、それぞれがかなり異なった視点で評価し、その結果、かなり幅広い分析が行われる傾向がある。これらの条件が「政治主導」のひとつの背景となっていることを忘れてはならないだろう。

さらに、英国の政治の基本は、国家公務員はその省の大臣に対して責任を持つが、大臣は、国会に対してその省の責任を持つ。つまり、大臣の国会に対する位置づけが極めて明確だ。議員は政府に対して質問があれば、担当の職員に連絡して聞くのではなく、大臣に手紙を書く、もしくは議会で口頭の質問をする。国家公務員は、時の政権の大臣に対して仕えるからだ。もちろんサッチャー元首相も好んで見たと言われるテレビシリーズ「イエス、ミニスター」や「イエス、プライムミニスター」にあるように官僚と大臣との狐と狸の化かし合いのようなことはあるけれども。大臣たちにはレッドボックスと呼ばれるブリーフケースで、担当省、または担当部門に関する書類が次々送られ、大臣たちはこれらの書類に目を通し、決済する必要がある。これらの過程で、自分の担当省の内容を細かく理解することになる。

なお、財源の問題について、2010年の総選挙で保守党は、保守党が政権についた場合の政府の予算カットの財源として、保守党のために政府の無駄削減策を提言している元官僚の提案を入れ、それに基づいた数字を公に使っていた。ところが、英国の有力新聞フィナンシャル・タイムズ紙がこの人物に直接これらの数字について問いただしたところ、その数字がかなりあいまいであることがわかった。例えば、保守党は、国家公務員の削減は、定年や退職などの自然減で達成できると主張していたが、この計算の前提となる条件が適切ではないことがわかり、専門家が、大幅な人員解雇が行われなければその目標値は達成できないと指摘した。また、政府の契約関係の見直しで20から30億ポンド(2~3千億円余り)のお金が削減できるとの元官僚の計算は、連立政権が発足して見直しを始めた結果、契約解除や変更が予想ほど簡単ではなく、ほとんど無視できるほどのお金しか削減できなかった。これらに見られるように、英国でも野党は財源問題に苦しむ。問題は、政権の財政削減の目的が達成できるかどうかにあり、この点では現在の連立政権はこれまでのところ成功しているように見える。

財源問題では、ある程度似通った問題があるとはいえ、英国と日本とでは基礎的な条件がかなり異なっており、いきなり英国政治の一局面だけを捉え「政治主導」として日本にあてはめようとしても実際に運用できるだろうか?英国で長年の間に生まれ、育まれ、それぞれの時代に合うように変えられてきた慣習や条件なしに、「政治主導」のスローガンを唱え、その責任を与えようとするだけでは、その精神の導入はかなり困難だと言わざるをえない。

日本が英国自民党の失敗から何を学ぶことができるか?(What Can Japan learn from Nick Clegg’s Mistakes?)

英国の第3党、自民党の苦境から日本の政治が学べることがあると思われる。特に政党トップの意思決定に関することだ。自民党は、2010年総選挙後、党首クレッグのキャメロン保守党党首なら一緒に働けるという一種のフィーリングで保守党との連立に踏み切った。しかし、この決断のために自民党はその支持基盤を大きく揺るがせることとなった。

自民党は、近年、保守党と労働党の2つの大政党に飽き足らない有権者を惹きつけ、成長してきた。そして2010年総選挙では全体で23%の票を獲得した。しかし、保守党と連立政権を組んで以来、多くの支持者を失い、支持率は現在10%前後である。支持率は当然増減する、時間が経てば再び回復すると期待する向きは特に自民党に多いが、既に「汚染」されてしまった自民党への支持が急に回復すると見る人は少ない。2011年5月の地方選挙で自民党は40%の議席を失ったが、2012年の地方選挙でもさらに大きく議席を失うと見られている。地方議員は、自民党の足腰であり、その減少は、非常に大きな痛手だ。

クレッグの失敗は、総選挙で自民党に投票した有権者の期待がどのようなものだったか十分に把握していなかったことだ。総選挙後、選挙中のクレッグブームで大きく支持を伸ばしたように見えた自民党がなぜ予想外に低い議席数しか獲得できなかったのかの分析の混乱があり、はっきりと自民党の状況を把握することが難しかったこともある。しかし、フォーカスグループという世論の意識調査の方法や、それと併せた世論調査で、それを見極めることは可能だったと思われる。

フォーカスグループとは、ブレア元労働党党首・首相の下で、世論のトレンド分析を担当したグールド卿が草分けだが、少人数の様々なバックグラウンドの人を集め、自由に意見を言ってもらい、全体の意見を探る手掛かりに使う方法である。ブラウン前首相の下で世論調査を担当していた人が、その著書の中で、ブラウンがフォーカスグループで集めた結論を無視してそれとは反対の政策を打ち出し、それが、2007年秋に総選挙を断念する結果となったことを明らかにしているが、時に、大きな政治的な転機を生む可能性がある。もちろん、これに頼りすぎることには問題があるが、政治家の勘やフィーリング、さらに少数の側近の見解に頼る旧来の方法よりはるかに科学的だ。日本でも、有権者の期待を慎重にはかり、その上で政治的な決断をすることは極めて大切だろうと思われる。