BBCの何が問題なのか?(What went wrong with BBC?)

BBCが揺れている。会長が就任以来2か月持たずに辞任した。児童性的虐待をめぐる番組制作上の問題が原因である。具体的には、次の二つの出来事がこれを引き起こした。

①まず、BBCの看板番組の一つニュースナイトが、昨年12月にBBCのかつてのスタープレゼンター、ジミー・サヴィルの児童性的虐待疑惑を報道する準備ができていたにもかかわらずその報道を取りやめたことである。これは今年10月に発覚した。この報道取り止めには、同じ時期にBBCが多くの経費をつぎ込んだサヴィル追悼番組が報道されることになっていたことに関係していたのではないかと言われている。

②さらに、同じ番組ニュースナイトが、11月2日、北ウェールズで1970年代から80年代にかけて起きた、養護施設に収容されていた子供への性的虐待問題で、サッチャー政権当時の有力政治家の関与を報道した。その政治家の名前がツイッターなどで明らかにされたが、その性的虐待の被害者が人違いに気づき、それを認めたために、BBCが全面的に謝罪する事態となった。その結果、BBC会長の辞任を招いた。

これらを受け、BBCを監督する立場のBBCトラストの会長、パットン卿は、BBCの構造を徹底的に再点検する必要があると言った。しかし、これはシステムの問題だろうか?

この点、12日のファイナンシャルタイムズの視点が的をえているように思われる。これはむしろ人の問題だと言うのである。ファイナンシャルタイムズでは、BBCの元執行役員会のメンバーの言葉を借りて、ニュースの指揮系統はそう複雑なものではないと指摘し、これは、編集判断の失敗であると示唆した。さらに同紙のベン・フォスターは、BBC会長の失脚は、大きな仕事を十分なサポートなしに、経験も不足している中でしようとしたことにあると指摘している。

12日に出された、第二の問題の調査結果(中間報告)のまとめによると、サヴィルの番組の取りやめの件①でニュースナイトのエディターがその職務を一時離れることになった。しかも副エディターの一人が辞任したなどから、番組のリーダーシップが混乱していたという。この報告書では、②では、報道前に基本的なチェックが行われていなかったという。

さらにこの番組を統括管理する立場にある上司二人も、上記のサヴィル番組取りやめの件①で調査を受ける立場となったため、サヴィルや児童性的虐待の問題に関する決定に関与しないこととしたため、他の幹部がそれに関する問題を監督することとなったが、意思決定の面で混乱があったと言う。

中間報告書を受け、この意思決定の問題に対処するため、辞任した会長の後を受けた暫定会長は、新しい人を担当部署に就け、指揮系統を確立した。

この一連の動きを見ると、組織の陥りやすい問題に気づく。特にお役所的な体質を持つ場合である。

まず、第一の事件が起きた時、辞任した会長は、取りやめるという話は聞いたが、どういう経緯で番組のサヴィル児童性的虐待報道が取りやめになったか知らなかったと発言した。この会長は、もともとジャーナリスト出身で、BBCの生え抜きである。この取りやめ問題が起きたのは、BBCのテレビ部門を統括するビジョン部門の責任者だった時である。しかし、それ以上追及して聞くということはなかった。つまり、詳細を知らなければ、それは自分の責任ではないということである。もし、詳細を知っていて、それで動かなければ、それは自分の責任となる。知らないことは幸いだということである。

つまり、出世するためには、なるべく問題に巻き込まれないということが大切ということだった。問題は、いざ自分がトップの会長になった時、それでは通用しないことがわかったことだ。

BBCラジオ4の朝のTodayという番組で、11月10日(土)、この会長は厳しく問い詰められた。11月2日夜のニュースナイトの番組の内容は、ツイッターなどで放映よりかなり前からわかっていた。しかし、この会長は、その翌日までそれを知らなかったと言った。これでは危機下にあるBBCのトップの任には堪えないだろう。情報をいち早く集めて対応することが必要だった。

しかも、ニュースナイトの製作現場の管理を中途半端な形で間に合わせようとしたことも誤りだった。今回暫定会長が実施したように、きちんとした管理体制を敷くことが必要だった。これらは、システムの問題というより、人の問題である。責任者の能力と判断の問題である。もちろん、この会長を任命したBBCトラストのパットン会長の判断にも疑いが残るが。

NHS改革とマニフェスト(Was the NHS Reform in the Manifesto?)

選挙時のマニフェストは、政権に就いた後、何をするかを書いたものであり、それを見れば、どういう施策を実施するか分かり、それを基にどの政党に投票するか決められると考える人が多いかもしれない。しかし、ことはそう単純ではない。ここでは、キャメロン連立政権で実施中のNHS(国民保健サービス)の大改革の例を見てみる。

2010年5月の総選挙で過半数を占める政党がなかったため、保守党と自民党の連立政権が誕生した。キャメロン首相は、イングランドの健康・医療を司るNHSを担当する厚生大臣に保守党下院議員を任命した。この下院議員は、それまで「影の厚生大臣」を長く務めてきた人物で、保守党政権が誕生すれば、どのようなNHSにするかを考えてきていた。一番大きな問題は、その前の労働党政権でもはっきりとしていたことだったが、高齢化などで急速に増大する医療需要と薬品や機器の高額化で、NHS財源が危機的な状況となるということであった。この問題への対策は、この影の健康相の最も大切な検討課題であった。

保守党は、その前の2005年の総選挙のマニフェストで、患者の待ち時間を減らすために、私立の医療機関での治療にもNHS予算の投入を謳ったが、NHSの民営化だと大きな批判を浴びた。

2010年の総選挙の前には、無料で診察、治療の受けられるNHSの問題は、国民の最も大きな関心事の一つで、信用危機のもたらした経済問題の次に重要であった。保守党が選挙で勝つには、そのNHSへの立場のために票を失えない状況であり、キャメロン党首は、国の巨額の債務への対策を取るために財政削減を実施すると言いながらも、次の5年間、NHS予算を毎年増やすという約束をした。マニフェストでは、保守党は「NHSの党」であり、それまでNHSの価値を守るために継続して戦ってきた、労働党政権の予算カットや組織組み直しからNHSを守るために運動してきたと主張した。そして、NHS利用時に医療を無料で受けられる考えを決して変えることはないと言った。そこには2005年のマニフェストで「NHSの民営化」と非難された、私立の医療機関へのNHS予算の使用といった言葉はなかった。また、2005年のマニフェストで述べた、ストラテジック・ヘルス・オーソリティの廃止とプライマリ・ケア・トラストの大幅削減には触れなかった。2005年のものと同様、トップダウンの運営方式ではなく、地域のGP(家庭医)が患者の予算の使い道を判断し、どこに患者を送るかなど決定をする役割に触れ、NHSのお役所仕事を減らすために、管理費の3分の1削減などといった考え方を表明した。

保守党のマニフェストを見た専門家たち、例えば、評価の高い中立系の医療健康問題のシンクタンク、キングズ・ファンドは、主要三党のマニフェストは似通っており、あまり大きな差はないとコメントした。そして、緊縮財政下、NHS予算が減るかどうかに注意を削がれたせいか、保守党のマニフェストの内容はほとんど議論されないままだった。

保守党と自民党の連立政権合意書でも、その内容についてはほとんど明らかにされることはなかった。①NHSの予算を5年間毎年純増する、②NHSの管理コストを3分の1減らす、などと触れていただけで、むしろプライマリ・ケア・トラストの役割にも触れている。この連立政権交渉に当たった、自民党のデービッド・ロウズの、交渉過程を扱った著書「22DAYS IN MAY」ではNHSの交渉についてはほとんど触れておらず、その内容についてはほとんど話し合われなかったようだ。

ところが、2010年6月に厚生大臣が発表した白書を見て、大騒ぎになった。保守党系のテレグラフ紙が、NHS創設以来最大の大改革だとコメントした。これには、医療関係団体のほとんどが反対する騒ぎとなった。ストラテジック・ヘルス・オーソリティとプライマリ・ケア・トラストを廃止し、その役割をGPなどにコンソーシアムを作らせて担わせる制度とする方針だったからだ。NHSは140万人が働く世界でも有数の大きな組織である。その組織の、例えば、日本で言うと、地方管区と都道府県レベルの組織を廃止し、その役割を、その先の地域のGPらの集合体に担わせようというわけである。確かにそのような組織改革を行えば、管理費は削減できるかもしれない。しかし、多くの人を解雇せねばならず、組織替えの費用は莫大なものとなる。その上、そのようなシステムがきちんと目的通り働くか、非常に大きなリスクがある。

そのため、マニフェストで言わずに突然大改革をするつもりだと大きな批判が巻き起こったが、実は、その考え方の大枠の骨子は、マニフェストに入っていた。しかし、実際にそれをどのように実施するかの詳細が抜けていたのである。そのために、保守党の本当の意図が選挙時にはわかっていなかった。キングズ・ファンドの医療問題の専門家でも、それが見抜けなかった。保守党のマニフェストを書いたオリバー・レトウィンが、キャメロンらの指示を受けたのだろうが、真意がわからないよう筆を控えたのは明らかである。

しかし、自民党は、その白書を飲み、改革に協力した。確かにNHSの面する財政問題を考慮すれば、大きな改革が必要なのは明らかであり、この大変革の理論を受け入れたのである。関係者からの大きな反発のために、ヒアリングの時期も設けたが、2012年3月に「医療・社会的介護法」として成立し、実施に移されることとなった。もしこの計画が、マニフェストで明らかであったならば、保守党が実施に移せる可能性はなかったように思える。