「政治主導」とは何か?(What is the politicians’ initiative in Japan?)

「いったい政治主導とは何ですか?」という質問を受けることがある。日本でよく言われる「政治主導」は、多くの誤解を招いているようだ。中には、政治主導とは、より多くの政治家を省庁のトップに入れることだと考えている人がいたようだし、民主党政権の「事業仕分け」が政治主導の一つの形であり、また、その産物だと考えている人もいるようだ。一方、政治主導とは官僚主導の対極と考え、省益優先の官僚から、政策決定や予算作成の力を奪うことだと考えている人もいるようである。「政治主導」の理解は、全体の利益を考えた政治的な判断を重視する方向性では一致している点が多いものの、政治主導とは何か、という問いへの本質的な答えとなってはいないようだ。

結論から言うと、「より多くの政治家を省庁のトップに入れること」は政治主導ではない。日本で行った「事業仕分け」は政治主導とは言えない。官僚から政策決定権や予算作成の力を奪うことが政治主導の目的ではない。政治主導とは、基本的に、その業務を任された政治家が政策を決定し、その責任で実施し、その結果の責任を取るという体制である。政治家の数の問題ではない。「事業仕分け」のように、その仕事を直接任されていない人が意見を言い、言いっぱなしで、責任は他にあるというものではない。官僚に一定の範囲で裁量権を認め、実施させながらも、最終的にその責任は自分が負うという体制である。

英国の政治家の仕事ぶりを見ていると、日本の行き方とは相当異なるように思われる。2010年の総選挙後成立した保守党と自民党の連立政権では、巨額に上る政府債務に取組み、サッチャー保守党政権を上回る厳しい財政緊縮策を取ってきた。首相と財務相が打ち出したのは、基本的に4年間で25%の財政カットだ。財政カットの内容を決めるのは各省庁を司る政治家=大臣である。大臣が基本的な枠組みを官僚と決めた後、官僚が具体策を練り、それを大臣と相談した後、大臣の責任で財務相に提出する。もちろん財務相の下で働く財務省の官僚がそれぞれの省庁の官僚と連絡を取り合うが、それぞれの省庁の大臣が最終的な決定をする。そして提出した計画に問題や疑問などがあれば、財務相をはじめとするトップの大臣たちで構成するパネル、スターチェンバーと呼ばれるが、そこに所轄の大臣が呼ばれ、審問を受ける。それでもなおかつ意見がまとまらない時の最終的な決定権限者として首相が位置付けられる。実際には、このスターチェンバーにまで行かねばならなかった例はなかったと言われるが、この政策決定の過程は、内部での作業であり、財務相がその結果をまとめて公表した。

ここでは、トップ政治家が基本的な方向性、つまり財政削減の枠を決め、それを各所轄大臣が、自分のリーダーシップで、具体的な政策、削減策としていった。日本でも同じようなことができるだろうか?

「対立」を作り出す政治(Politics which create divisions)

私の英国政治勉強会で、かつての小泉首相や現在の橋下大阪市長の対決する姿勢、もしくはディヴィジョン(対立)を意識的に作り出す言動は、国民の関心を高め、人気を博したのではないかとの見方があった。確かに、この面があることは事実だ。ただし、政治家として成功するには優れた政治的なセンスが必要である。

つまり、これには条件がある。まず、国民や少なくとも選挙民によく知られているということだ。共感を集約できる存在である必要がある。それができる政治的なセンスが必要だ。さらに2人とも極めてハイリスクなストラテジーを取ってきた。小泉元首相の場合、まず、自民党の党首選で勝ち目がないと思われたにもかかわらず、出馬した。しかも郵政選挙はギャンブルだった(私はこの郵政解散を聞いた途端に、小泉首相の勝ちだと思ったが)。橋下市長は、「橋下」対「反橋下」の構図を作り、多くのマスメディアも敵にしてきた。英国の政治家ならまず取らない方法だ。いずれもハイリスクの方法を取りながら、勝ち残ってきた。要は、これができる、もしくはできるかもしれないと判断する政治的なセンスと、ここまでする勇気の問題だ。

英国では、政策のディヴィジョンを作り出すことは、政治手法の一つで、日常的に行われている。ただし、劇的で効果的なディヴィジョンを作り出すことは容易ではない。一般には、ディヴィジョンのためのディヴィジョンづくりに終始することになる。無理に違いを浮き彫りにしようとしたり、世論調査などを見て、多くの人が支持する方についたりする。つまり、自分たちの訴えることを信じていなくても、もしくは自分たちの議論に問題があるとわかっていてもそうする傾向がある。英国政治の残念な点だ。