不法移民取締:保守党のメッセージ戦略?(Immigration Spot Checks: Tory’s Message Strategy?)

8月1日に内務省国境局と鉄道警察が合同で、ロンドンの鉄道・地下鉄駅で本人証明のチェックをした。不法滞在者を取り締まるものだった。同時にイングランド各地で事業所などの不法移民取締りも行った。

このチェックが有色人種に偏っていたという報道から、禁じられている「人種による選別」ではないかという疑いが出たために、平等人権委員会(EHRC:The Equality and Human Rights Commission)が不法差別の疑いで取り調べを始めた。EHRCは政府の独立機関で、平等法の施行を監視する役目がある。

内務省の移民担当大臣のマーク・ハーパーは「人種による選別」を否定し、インテリジェンス(諜報)と妥当な疑いに基づきそのような職務質問をしていると答えた。

この国境局らによる行動は、先週、内務省がロンドンの6つの区で、「帰国するか逮捕されるか」と不法移民に警告する大きな看板を載せた自動車を走らせたことに引き続く動きであり、EHRCはこれも併せて取り調べることとした。

英国には50万から100万人の不法移民がいると見られている。移民には、正規・不正規にかかわらず、多くの国民が強い関心を持っている。移民が雇用を奪い、公共住宅への入居権利を与えられ、しかも社会保障制度に大きな負担をかけているとして、政府は移民を減らすべきだと考えている人が多い。ただし、政府の独立機関である予算責任局は、さらに移民を増やさなければ高齢化に対応できないという報告書を7月中旬に発表しているが。

2010年の総選挙でも、保守党は、移民対策を訴え、20万人台半ばの年間移民数(入国した人の数から出国した人の数を引いたもの)を10万人未満とすると約束した。

しかし、移民はそう簡単に減らせるものではない。しかも移民局は、滞在資格などの移民のケースで多くの問題を抱え、その仕事ぶりは頻繁に批判されている。

移民の問題は、英国独立党(UKIP)への支持が急速に伸び、保守党らの支持が減少した大きな原因の一つで、2015年5月に行われる予定の時期総選挙でも中心テーマの一つである。

世論調査の支持率で野党の労働党に後れを取る保守党は、昨年11月、オーストラリア人のリントン・クロスビーを選挙ストラテジストとして雇った。クロスビーは、オーストラリアでジョン・ハワード首相(在任1996-2007年)に続けて選挙勝利をもたらした人物であるが、移民問題など論議の多い問題ではっきりとした立場を打ち出し、他党と差をつける方策を取った。そのため右と見なされ、物議を醸した人物である。その戦略の基本は、「メッセージ」を重んじることだ。

今回の移民チェックもクロスビーがオーストラリアで行ったような移民対策の強硬策であり、その手が入っているのではないかという憶測がある。

この点、クロスビーがこれを打ち出したのは間違いないように思われる。これこそ、クロスビーの言う「メッセージ」そのものであるからだ。つまり、「移民を取しまる」という政策を打ち出しても、有権者はそのようなことは聞き飽きており、その効果は乏しい。しかし、「移民を取り締まる」行動をしている、という「メッセージ」を目に見える形で送ることは、はるかに強い印象を与えるからだ。

タイムズ紙(8月3日)は、今回の移民チェックが不法差別にあたる可能性があるためマスコミの大きな注目を浴び、保守党は「不満ではないだろう」というオブラートに包んだような表現をしたが、少なくとも保守党はこのような行動に注目が集まれば集まるほど有効だと考えているのではないかと思われる。

UKIPのファラージュ党首が、このチェックは「英国的でない」と批判し、このような方法で少数の不法移民を捕えるよりも、多くの港などで不法に入国してくる外国人を取り締まった方がはるかに有効だ、と正論を吐いた。しかし、保守党はこの行動で「メッセージ」を出すことを目的としているのである。

もちろん不法なことをすることは許されないが、これから保守党がどのような「メッセージ」を出してくるか注目される。

クロスビー問題(Crosby Problem)

2012年11月から保守党の選挙ストラテジストとなったオーストラリア人のリントン・クロスビーの本職はロビイストである。ロビイストとは、一般に、顧客からの依頼を受けて政府の政策に影響を与えようとして活動する人たちのことを言う。

クロスビーに、そのロビイストとしての立場と選挙ストラテジストとしての立場に「利害の対立」があるのではないかという疑問が出ている。

世界最大のタバコ会社フィリップ・モリスは、クロスビーの英国での顧客の一つであり、タバコの包装の無地化に反対してきている。キャメロン首相は元来タバコの包装の無地化に賛成であったが、その立場を変えた。その決定にクロスビーが関与しているのではないかという疑いが出た(参照 http://kikugawa.co.uk/?p=1737)。

キャメロン首相は、そのような疑惑を否定し、この疑惑を早く片付けたいと努力しているが、それがなかなか思ったようにいっていない。ウィリアム王子の妻キャサリン妃が男の子を出産し、多くの国民が将来に楽観的になっている中、この問題が影を投げかけている。

保守党支持の新聞テレグラフ紙のコメンテーターは、この問題に関心のある人は少なくなっているが、ガーディアン紙とタイムズ紙がしつこく追っていると書いている(http://blogs.telegraph.co.uk/news/benedictbrogan/100227859/the-lynton-crosby-story-is-fast-losing-its-audience/)。それにロンドンの夕刊紙イブニング・スタンダードも加わっている(http://www.standard.co.uk/news/politics/lynton-crosby-tory-strategist-could-keep-lobby-role-and-work-for-david-cameron-8729699.html)。

この問題に決着をつけようと、7月23日、クロスビーが声明を発表し、首相とタバコの包装について話したことはないと否定した(http://www.bbc.co.uk/news/uk-politics-23423947)。

また、労働党のミリバンド党首が内閣書記官長(Cabinet Secretary)にクロスビーの行動について調査するよう求めていたが、その返事で、クロスビーは保守党の仕事に従事する際の指針通りに行動しているのでその調査の必要はないとした(http://www.guardian.co.uk/politics/interactive/2013/jul/23/letter-ed-miliband-lynton-crobsy-pdf)。

ところが、この返事がきっかけでさらに次の問題が出てきたようだ。

クロスビーは、一週間に一日だけ保守党の本部の仕事をすることになっているそうだが、それでも年俸は、22万ポンド(3300万円:1ポンド=150円)と言われる。クロスビーがいかに高く評価されているかの証しである。

イブニング・スタンダードによると、クロスビーは、来年5月からフルタイムで保守党のために働くことになっている。しかし、先述の「指針」にはそのことが触れられていない。つまり、この「指針」は雇用条件を網羅したものではなく、最近になって書かれたもので、しかも口頭での合意をまとめたものだというのである。つまり、雇用条件は最初からかなり柔軟だったようだ

こういうことは実はキャメロン政権ではそう稀なことではないようだ。キャメロン政権には、最も有能な人を雇いたいという強い願望がある。

この7月から英国の中央銀行であるイングランド銀行の総裁となったカナダ人のマーク・カーニーの例にもみられる。オズボーン財相はカーニーを直接口説いたと言われるが、その過程で、総裁の任期を7年から5年とするなどカーニーの希望を取り入れた。

キャメロン首相の広報局長だったアンディ・クールソンでも同様である。クールソンは英国最大の売り上げ数を誇っていたタブロイド紙の編集長で、ニュースに非常に鋭敏な感覚を持った人物であった。育ちのよいキャメロン首相やオズボーン財相にはないタフさがあったと言われる。野党時代の保守党に広報担当としてキャメロン党首の二倍以上と言われる年俸で雇われたが、その時既に電話盗聴問題でニューズ・オブ・ザ・ワールド編集長を辞職していた。既にその時から「やばい」人物であったが、それでもキャメロンは雇った。

そして今回のクロスビーである。クロスビーには保守党内でもアッシュクロフト卿に見られるように反対があった。しかし、オーストラリアの選挙やロンドン市長選で発揮したその能力は、保守党が最も必要なストラテジストだと思わせたようだ。特にキャメロン首相に必要なのは、修羅場のような現場をくぐってきた並々ならぬ能力を発揮する人物であり、そのような人物に完全に「きれいな」人は少ないだろう。

さらに、上の3人はすべて本人が当初断ったと言われるが、説得して就任してもらった。つまり、キャメロン側は、条件を呑む側であり、決して強い立場ではなかった。このクロスビーの雇用に関する約束を「口頭」でしていたというのは、最初から「利害の対立」があろうがなかろうが気にしていなかった、もしくは触れないようにしていたというのが本当ではないか?

キャメロン首相は、クロスビーを失うことはできないので、あくまで守ろうとするだろう。オーストラリアにはクロスビーに帰ってきて選挙を手伝ってほしいと考えている政治家がいるようだが。

しかしながら、保守党の選挙を手伝う上で、クロスビーがその行動の自由を大きく制約されるのは間違いないように思われる。つまり、メディアの注目が高くなっており、保守党とクロスビーの両方を守るためにその行動を誰かが記録しておく必要があるだろうからである。