大臣の行動規範(Ministerial Codes and a minister’s behavior)

文化・スポーツ・オリンピック大臣が「大臣の行動規範」に違反したのではないかという疑いが出ている。決定権限を持つ大臣のスペシャルアドバイザーが利害関係者と頻繁に接触し、様々な情報を提供したことがわかったが、大臣がスペシャルアドバイザーへの管理監督義務を怠り、また議会を欺いたのではないかというのである。

実はこれは表面的な議論である。キャメロン首相は、この問題を早く幕引きするか先送りにしたいと努力してきている。実際には、大臣とこの利害関係者との関係、キャメロン首相とこの利害関係者との関係、キャメロン首相の政治的判断など多くの不透明な問題を含んでおり、この問題はかなり深化する可能性を秘めている。ここでは、大臣の行動規範とスペシャルアドバイザーに簡単に触れておきたい。

英国の「大臣の行動規範」は、1980年代には既に存在していたと言われるが、それが公になったのは1990年代に入ってである。この行動規範は、首相の責任で出され、首相が責任を持つ。つまり、大臣が行動規範に反したかどうかを判断するのは首相である。

なお、スペシャルアドバイザーは、大臣を補佐するための特別国家公務員である。ハロルド・ウィルソン労働党政権で生まれたと言われるが、この職は、一般の国家公務員が政治的に中立の立場をとる必要があるのに対し、政治的な動きを担当するための存在だ。それぞれの大臣が任命するのであり、基本的に仕える大臣が職務を離れれば、同時に職務を離れることとなる。スペシャルアドバイザーの職務は、大臣に対してアドバイスすることで、国家公務員との関係には様々な制約がある。一方、国家公務員の中立性が次第に侵されてきており、大半の国家公務員はその職務の中立性を守ろうとしているが、一部にかなり政治的な動きをする人も出てきている。例えば、サッチャー保守党政権では、もともと国家公務員の広報官や、外交担当アドバイザーが、サッチャー首相に近づき過ぎ、本来の職務に戻ることが難しくなったが、その時代には、国家公務員の中立性は、現在よりもかなり強く保たれていたと思われる。しかし、近年は、スペシャルアドバイザーと国家公務員との垣根がはるかに低くなっている。むしろ、国家公務員の中に大臣らとの接触を好む人が増えているようだ。特に日本のキャリア組に相当するファースト・ストリーマー(制度はFast Streamと呼ばれる)にはその傾向が強いようだ。

なお、大臣規範では、大臣のスペシャルアドバイザーに対する責任は以下のように定められている。

The responsibility for the management and conduct of special advisers, including discipline, rests with the Minister who made the appointment. Individual Ministers will be accountable to the Prime Minister, Parliament and the public for their actions and decisions in respect of their special advisers.

一方、スペシャルアドバイザーに対しては、その倫理綱領があり、その中でも以下のものは今回に当てはまる。

They should not without authority disclose official information which has been communicated in confidence in Government or received in confidence from others.

これまでの例としては、運輸大臣のスペシャルアドバイザーの事例がある。9/11の際、誰もの注意がそれに奪われているので政府に不都合なニュースを発表するチャンスだと同僚に連絡した。また、ブラウン前首相のスペシャルアドバイザーが、偽情報を流して保守党の政治家を貶めようとしたことが発覚したことがある。ブラウン前首相は、この件で何度も謝罪した。いずれもスペシャルアドバイザーは辞職したが、大臣はこれらのことで辞職するなどのことはなかった。

「日本は今何をしなければならないのか?」その理念 (What Japan now needs to do)

デービッド・キャメロン首相は、いったい何をしたいのかわからないと攻撃されている。そこでトニー・ブレア首相のチーフ・スピーチライターだったフィリップ・コリンズが、キャメロン首相へアドバイスする記事を2012年4月20日のタイムズ紙に書いた。それに触発されて、ここでは「日本は今何をしなければならないのか?」の基本的な考え・理念を英国式に表現してみた。なお、マーガレット・サッチャーが首相となった1979年の総選挙のマニフェストの前文も参考にしている。

私たちは今この時を生きているだけではありません。現在だけではなく、歴史的な時間の流れの中で私たちのなさねばならないことを捉える必要があります。英国の思想家エドマンド・バークが「フランス革命の省察」の中で言ったように、わたしたちは、現在生きている人たちだけのパートナーシップを考えるのではなく、既に亡くなった人たちやまだ生まれていない人たちを含めたパートナーシップを考えて行かねばならないということです。つまり、現在生きている私たちが、過去から引き継ぎ、学んできたことの恩恵を感謝するとともに、将来へきちんと責任を持って引き継いでいくことが必要だということです。

私たちが今直面している課題には、昨年の東日本大震災と福島第一原発事故からの復興がありますが、最大の課題は、この国を再び健全な経済に立て直すことだと思います。国の債務が非常に大きく、巨額の財政赤字が恒常的になっています。これをきちんと立て直すことなしには、いかなる経済的な成長も脆弱なものとなると思われます。特に人口の少子化高齢化が急速に進んでおり、長期的にいかに健全な経済を維持できるかがカギとなると思います。

そのためには、あらゆる方策がとられなければなりませんが、その負担は、精神的なものを含めて、世代を超えて誰もが公平に背負う必要があります。皆が、それぞれの能力に応じて貢献していくことが大切です。そして、日本が健全な経済を取り戻し、再び繁栄を取り戻した暁には、それまでの苦労・努力が報われ、私たちの責任の一端が果たせると思います。その時は必ず来ると信じています。

しかし、健全な経済を取り戻すことが、すべての目的ではありません。健全な経済を取り戻したときに、きちんとした目的に基づいた成果も生まれている必要があります。イギリスで言えば、第二次世界大戦後に生まれたアトリー政権は、破産状態の国を抱えて、非常に厳しい緊縮策を実施しましたが、英国民が今もなお誇りにしている国民保健サービス(NHS)を生み出しました。サッチャーは、「欧州の老人」と呼ばれたように、国が機能しなくなるような労使関係を抱えていましたが、イギリスの経済を現代の世界で競争できるほどに立て直しました。

行政を含む公共セクターは、国がまかなえる中で最高水準のものを創り出していく必要があります。しかし、公共セクターでは、人口の高齢化、要求の多様化の中で需要が増大しており、これらに対応するためには、公共セクターが変わる必要があります。

教育では、全国には素晴らしい学校があり、素晴らしい能力を持った多くの教師の皆さんがおられます。しかし、子供たちの能力が最も大切な経済的・文化的な要素だということを考えると、教育の質を高める必要があります。

将来の繁栄をもたらすためには、私たちが変わる必要があると思います。もちろん、困っている人たちに手を貸すのは当然のことです。それが日本の美徳の1つでもあると思います。しかし、イギリスで見られる福祉国家は、もしアトリーが現代によみがえってきて、現状を見れば、恐れおののくようなものとなっているように思います。感謝を生まずに依存心と権利意識を生む制度へ成り果ててしまっているからです。こういう発想も変えていく必要があると思います。

世界で日本はまだまだ高く評価されています。しかし、日本は今や自信喪失に陥り混迷しているように見えます。この状態を見過ごしておくことはできません。私たちが再び名実ともに誇りを持てる国にするためには、現在の問題に長期的な視点から真っ向から取り組んでいくことが今を生きる私たちの責務であると思います。