よく練られたEU側のBrexit交渉指針

3月29日、イギリスはEUのリスボン条約50条に基づいて、EUを離脱する意思をEU側に通告。2年間の離脱交渉が始まった。それを受け、EU側はイギリスを除いた27か国にBrexit交渉指針案を送ったが、その内容が明らかになった。

前回の拙稿で、EU側の目的は、EUの利益を守り、結束を強めることだと指摘したが、この指針案はそれに沿った、よく練られたものといえる。429日のEUのイギリスを除いた全体会議でこの指針案に沿った形で了承されると思われる。

これは、まず、離脱の標準的な手続きを定めるものといえる。今のところ、直ちに離脱の可能性のある国はない。しかし、リスボン条約で離脱条項(2009年12月発効)を設けたとき、それが実際に使われるようになると考えた国はなかった。それを考えると、今回のイギリスの離脱に関する交渉並びに作業は、将来起こりうる事態の前例となり、極めて重要なものである。EU側が長期的な視野から、慎重な対応、準備を進めてきたことが伺える。それに対し、イギリス側は、このような交渉は一回限りのもので、しかもイギリスが特別扱いされると見ていたようだ。しかし、この交渉の主導権はEUにあり、しかもEU側は、2年間の離脱交渉期間に満足できる合意ができず、合意なしでイギリスがEU離脱となる事態も想定している。

この指針案で特に重要な点は、以下の4点である。

1.「イギリスのEU離脱」交渉と「離脱後のイギリスとEUとの関係」交渉を切り離し、離脱交渉でEU側の納得できる合意がなされた段階で「離脱後のイギリスとEUとの関係」交渉を始める。

2.交渉窓口はEU側で一本化。

3.将来のイギリスとEU市場の関係では、部門ごとに交渉、合意することをせず、全体として交渉。

4.イギリス領のジブラルタルにはスペインが主権を主張してきているが、イギリスとEUとの合意は、スペインの合意なしにジブラルタルに適用されないこととした。

メイ首相はこれまで、2年間の交渉期間で、交渉を終え、その成果を掲げて、20205月の総選挙に臨むつもりだった。離脱通告書でも「イギリスのEU離脱」交渉と「離脱後のイギリスとEUとの関係」交渉を並行して進めるよう要求した。これで交渉の時間を短縮するとともに、最大の懸案の、離脱に伴って想定される費用負担(600億ユーロ:7兆3000億円)を抑え、しかもその費用負担支払いを将来の関係の交渉の道具として使い、さらに、離脱後のEU市場へのアクセスに伴う費用と合わせて離脱に伴う費用負担を目立たないようにする狙いがあったように思われる。

離脱に伴う巨額の費用負担は、保守党内の離脱派が強く反対しており、これをはっきりとわかる形でEU側に支払うようなことは避けたかったと思われる。しかし、EU側はそのようなイギリスの国内事情にかかわりなく、はっきりとした形で結論を出したいと考えている。

これには実質的な面だけではなく、象徴的な意味があると思われる。まず、今後このような離脱がある場合には、このような手順で進められると明示し、しかもこの離脱に伴う費用負担は逃れられないとはっきりと示す目的があるのではないかと思われる。

特にイギリスのようなEU主要国が離脱する場合には、残る国々(27か国)と様々な関係があり、将来の関係にはそれぞれの利害が複雑に絡み、交渉が多面的になる可能性があるが、イギリスのEUへの支払い義務の問題では、残りの加盟国に利害の差が少ない。すなわち、EU側の見解が統一しやすいといえる。

交渉指針では、将来の関係について、イギリス側がEU加盟国に個別に働きかけ、分断攻略に出ることを防ぐために、EU側は、窓口を一本化することとした。また、EU27か国の個別の利害が直接出る可能性があるため、部門ごとに交渉することを避け、全体として交渉することとした。この結果、イギリス側の重点部門、金融関係や自動車などの部門を特別扱いすることはなくなったといえる。

その上、ジブラルタルの問題では、EUのメンバーであるスペインの主張を尊重することでEUの結束を図るとともに、EUを離れれば、立場が弱まることをはっきりと示した。

メイ首相にとっては、このEU側の対応は、特に国内対策上、極めて厳しいものだといえる。

「裸の王様」のようなメイ首相

2017年3月29日、イギリスはEUに離脱の通告。2年間の離脱交渉が始まった。通告書の中で、メイは、EU離脱交渉と、貿易関係も含む離脱後のイギリスとEUとの関係についての交渉を同時並行で進めることを要求。また、イギリスが優位なセキュリティの分野を交渉の道具に使うことを明示した。

また、通告後のインタビューでメイ首相は、イギリスは「離脱後も貿易で同じ便益を受けると思う」と発言した。

EU離脱交渉と離脱後の関係の交渉を同時に進める要求は、EUの盟主であるドイツのメルケル首相が拒否。まず、EU離脱交渉が先行し、それがまとまった段階で離脱後の交渉に入る方針を明らかにした。また、6ページの文書でセキュリティに11回触れているが、これは脅迫だという批判がEU側、さらにはイギリス国内でも出た。

さらに離脱後も貿易で同じ便益を受けるという発言は、3月30日、デービス離脱相が、それは野心だと釈明する羽目に陥った。

メイは、内相時代から自分に都合の悪い事態が発生すると、内務省の担当大臣をインタビューに派遣して答弁させるという傾向があった。今回も同じである。

ただし、イギリスのEU離脱交渉は、これまでになかったほど大規模、複雑、困難な交渉で、イギリスの将来がかかっている。このような大切な交渉にかかわる問題では、メイが自ら説明すべきではないか?

この事態を目のあたりにして、メイは「裸の王様」になっているのではないかと感じた。つまり、メイに本当のことを率直に言う人がその周辺におらず、メイの判断が大きく狂っているのではないかということである。離脱交渉で重要な3閣僚、外相、離脱相、国際貿易相はいずれも離脱派である。財相は残留派だったが、メイとの関係がよくないと見られている。経験豊富なイギリスの前EU大使は、2017年1月に突如辞任した。メイ政権の離脱交渉への考え方が非現実的だと判断したためである。

EU側は自分たちの利益と結束を守ることに躍起である。イギリスが有利に離脱することを防ぎ、他の国が離脱に魅力を感じることのないようにする必要がある。そのためには、イギリスにこれまで約束したことの責任を果たさせ(支払い)、労働力の移動の自由とEU単一市場へのアクセスは切り離せないという原則を貫き、イギリスにいいとこ取りをさせないようにしなければならないという考えがある。

メイが言うような、離脱後も同じ便益を受けるというのは、上記に反する。

イギリスは6400万の人口だが、EU全体の人口5億1千万の市場にアクセスしたい。このためイギリスの立場は強くない。その中でメイの手の内が限られているのは理解できるが、メイのやり方は、EU側の多くを反発させ、交渉をさらに厳しくさせるだけのように思われる。

メイのBrexit

2017年3月29日、イギリスはEUに離脱通知を手渡す。2016年6月23日の国民投票で国民が52%対48%でEU離脱を選択して以来9か月、やっとそのプロセスが始まる。

この間、EU離脱の結果の責任をとってキャメロン首相が辞任、そして後任の保守党党首にテリーザ・メイ前内相が選ばれ、7月13日、首相に就任した。メイ首相は、もともと保守党内の右で、EU離脱を目指す欧州懐疑派に近いと見られていたが、EU国民投票ではEU残留派に名を連ねる。しかし、EU国民投票前のキャンペーンでは、できるだけ表面に立たないよう慎重に行動し、キャメロン首相の広報戦略局長が内情を明らかにした著作でメイの行動を批判した。

メイは閣僚の中でも最も重要なポストの一つ内相を6年間勤めてきており、しかも手堅いと思われたことが首相となった要因だが、首相就任後、レトリックで、その手堅さを捨て去り、国内的な政治的得点稼ぎにまい進し始めた。

メイはこれまでの8か月で自らほとんど何も成し遂げていない。しかし、そのレトリックと弱い労働党のおかげで、世論調査では高い支持率を維持している。

EUとの関係で、メイは、EUからの移民の制限が優先で、関税などの障壁がない欧州単一市場から離脱するとした。そしてEUとの離脱交渉、さらに貿易関係を含むEUとの将来の関係交渉を2年以内に終えるとし、しかも「悪い合意をするよりも合意のない方が良い」と主張するに至る。

このようなレトリックは、国民には強いリーダーのような印象を与え、期待が集まる。しかし、最近になって、これまでの主張は現実的ではないと悟るに至ったようだ。

2年後、合意なしでEUを離れた場合、輸出の半分近くを占めるEUへの輸出には、その日から関税がかかり始め、輸出関係書類などの複雑な手続きが必要となる。一方、EUからの輸入を審査するシステムを構築する必要があり、ある推計では、現在のスタッフを10倍近く増員する必要があるという。しかもEU以外の国との貿易もこれまでEU管轄下のシステムで行われていたが、それがWTO管轄下のシステムにスムーズに移行できるとは考えられていない。

イギリスの国家公務員たちは、財政削減と行政改革で第二次世界大戦後、最小のレベルであり、現在抱えている仕事の上に、過去40年余りの関係を清算し、またイギリス法の中のEU法を仕分けするような複雑で困難な仕事まで対処する能力には乏しい。メイは、一つの法律でイギリスがEUの前身に加入した際の1972年EC法を廃止し、一挙にEU法をイギリス法の中に組み入れる方針だが、それだけでこの問題が解決するわけではない。

スコットランドの独立住民投票の問題でも、そのような住民投票が許されるかもしれないのは、EUとの交渉が終わるばかりか、その後の調整等が終わった後だとして、事実上、無期限に先延ばしし、EUとの交渉が2年では終わらないだろうと考えていることがうかがえる。

実際、EUとの離脱交渉は2年で終えることができるかもしれないが、重要な離脱後の関係交渉をその期限内で終えることができるとみている人は少ない。いずれにしても何らかの移行合意が必要になると見られている。

メイは、これまで離脱交渉と将来の関係交渉を同時並行で進めることができると見ていたが、EU側は、離脱交渉の中で最も重要な「離別清算金」の交渉をまず優先する姿勢だ。これはすでにイギリスがEUのプロジェクトなどで支払うことを保証している金額である。すなわち、この問題が解決できなければ、将来の関係の実質的な交渉に入れない状況だ。

この「清算金」の金額は600億ユーロ(520億ポンド:7兆3000億円)との非公式の概算がある。イギリスには、この「清算金」を払うことなしに離脱できるという議論があるが、もしそのようなことをすれば、EUとの将来関係は、極めて困難なものとなる。離脱派は、現ジョンソン外相も含め、国民投票前のキャンペーンで、イギリスがEUから離脱すれば、イギリスが「週に3億5千万ポンド(490億円)のEUへの負担金をNHS(国民保健サービス)に向けられる」と訴えた。この離脱派の数字は正確ではなく、偽の情報だと攻撃されたが、離脱派はそれを貫き通した。その人たちは、巨額の「清算金」を支払うのには抵抗するだろう。

イギリスは、EU予算の12%を拠出している。イギリスの離脱でそれがなくなるのは大きな痛手だ。EUの中でも、東欧らの経済的に比較的恵まれていない国は、EUからの開発資金などに依存しているが、EUからの援助が大きく減少する状況に面している。これらの国がそう簡単に「清算金」の問題で譲歩するとは考えにくい。

EU側の交渉担当者は、交渉の経緯を透明にすると発表している。すなわち、裏取引のようなことを排除し、またイギリス国民にはっきりと交渉経過を見せることが念頭にある。

結局、強いレトリックで国民の期待を煽り、「悪い合意をするよりも合意のない方が良い」と主張したメイだが、「清算金」の問題で、国内的にもEUとの関係でも躓く可能性がある。この問題をいかに乗り越えられるかがメイの最初の大きな課題である。

どうなる北アイルランド

北アイルランドの政治は、イギリスとの関係を維持しようとするユニオニスト側の政党と南のアイルランド共和国との統一を目指すナショナリスト側政党との共同統治である。すなわち、両側が協力しなければ運営できない仕組みだ。政府のトップである首席大臣と副首席大臣は全く同じ権限を持つが、ユニオニスト側とナショナリスト側の最大政党から一人ずつ選ばれ、そのうち最も多数の議員を擁する政党から首席大臣が選ばれることとなる。

昨年、ユニオニスト側の民主統一党(DUP)党首で首席大臣であるアーリン・フォスターがかつて企業相時代に導入した、再生可能エネルギー政策(Renewable Heating Initiative:RHI)の不備で、4億9千万ポンド(690億円:£1=140円)の欠損が出ることが判明した。これは、人口185万人の北アイルランドでは極めて大きな金額である。ナショナリスト側のシンフェイン党は、この問題の公的な調査の結果が出るまで、フォスターが首席大臣の地位から一時的に身を引くべきとしたが、フォスターは拒否。それ以外の政策でも不満を持っていたシンフェインのマーティン・マクギネス(3月21日死去)は、副首席大臣を辞任した。シンフェイン党が代わりの候補者を立てることを拒否した結果、首席大臣が自動的に失職し、選挙が行われることとなった。

2017年3月選挙

3月2日に行われた北アイルランド議会選挙は、議席数が108議席から90議席に減らされた。前回の議会選挙は2016年5月に行われたばかりで、次期選挙予定の2021年5月にこの議席数削減が実施されるはずだったが、この突然の選挙でそれが大幅に早められることになった。なお、この選挙は、18の選挙区に分かれた比例代表制で、各選挙区から5人ずつ選出される。有権者はその選好に従い順位をつけて投票する。

前回2016年5月選挙結果(投票率54.2%)

政党 議席数 派別 第一選好得票
DUP 38 ユニオニスト 29.2%
SF 28 ナショナリスト 24.0%
UUP 16 ユニオニスト 12.6%
SDLP 12 ナショナリスト 12.0%
APNI 8 中立 7.0%
その他 6    
合計 108    

DUP: 民主統一党、SF:シンフェイン、UUP:アルスター統一党、SDLP:社会民主労働党、APNI: 同盟党

2017年3月選挙結果(投票率64.8%)

政党 議席数 派別 第一選好得票
DUP 28 ユニオニスト 28.1%
SF 27 ナショナリスト 27.9%
SDLP 12 ナショナリスト 11.9%
UUP 10 ユニオニスト 12.9%
APNI 8 中立 9.1%
その他 5    
合計 90    

この選挙で、最大政党のDUPが議席を38議席から28議席へと大きく減らし、党単独で法制等の拒否権が行使できる30議席も下回った。一方、シンフェインは1議席減らしただけで27議席を獲得し、2党の差が、得票でわずか1168票差、議席数で1議席となり、大きく躍進した。

RHI問題が起こり、投票率が前回2016年よりも10%余り上昇し、DUPは得票を伸ばしたものの、得票率を落としたのに対し、シンフェインは、得票率を4%近く伸ばした。ユニオニスト側は、それまで過半数を維持していたが、それも失うこととなる。

選挙後、イギリス中央政府の北アイルランド相は、3週間の交渉期間で新政府樹立の話が政党間でまとまらなければ、規定に従い、再び選挙を実施するという方針を示した。この期限は、3月27日である。

RHI問題の調査委員長の判事が、調査には少なくとも半年はかかるとしたことから、この問題の解決はまだはるかに遠いといえる。シンフェインはRHI問題ばかりではなく、「トラブルズの遺産問題」、すなわち多くの未解決の殺人事件の解明への中央政府からの財政援助やアイルランド語への補助を要求し、一方、DUPは「遺産問題」で、かつての軍人らが未解決の殺人事件の容疑者となっているとしてそれらの関係者が訴追されないよう赦免すべきだと要求している。今のところDUPとシンフェインが折れ合う可能性は乏しく、事態は膠着状態といえる。

このような中、中央政府の北アイルランド相は、昨年5月以来3回目となる選挙を実施するかどうか、もしくは中央政府が直接統治するかの選択肢を迫られることとなる。

もし選挙を実施することとなれば、3月に躍進したシンフェインが、マクギネス死去後の弔い合戦でさらに躍進する可能性があるのに対し、DUP、さらにユニオニスト側の勢力がさらに弱まる可能性がある。

問題の一つは、メイ政権が、EU離脱派のDUP(イギリス下院に8議席持つ)の協力を下院で得るため、特別扱いしてきたという印象を与えたことだ。すなわち、北アイルランド相は中立的な立場であるべきであるのに、それがえこひいきをしているように受け止められている。

さらに、中央政府が直接統治することとなれば、かつてブレア、ブラウン首相らも経験してきたように、メイ首相がDUPやシンフェインのトップからの直接の電話に悩まされることとなる。メイ首相は、特にシンフェインのアダムズ党首の扱いには苦労するだろう。

シンフェインは、既に、南のアイルランド共和国との統一を望むかどうかの北アイルランド住民投票の実施を要求し、メイ首相が拒否した。この要求の背景には、昨年6月23日のEU国民投票で、北アイルランド住民の55.8%が残留に投票したことがある。

現在、アイルランド島内の北アイルランドとアイルランド共和国の間の国境には「仕切り」がなく、自由に往来できるが、イギリスがEUから離脱すれば、その「仕切り」が必要になるのではないかという危惧がある。ただし、昨年9月にBBCが行った世論調査では、住民の63%はそのような住民投票を望んでおらず、今のところユニオニストだけではなく、カソリックのかなり多くもイギリス残留を望んでいる。

なお、北アイルランドの住民は、アイルランド共和国のパスポートを得られるが、イギリスのEU離脱で、プロテスタントやユニオニストまでもがアイルランド共和国のパスポートを入手しているとされる。すわなち、これらの人たちのナショナリスト側への反感が減ってきている一方、カソリックは反カソリックのオレンジ結社やユニオニスト運動に未だに強い不信感を持っている人が多い。

アイルランド共和国でのシンフェイン

南のアイルランド共和国では、自分をカソリックと考える人が人口の84%、プロテスタントと考える人が4%(北アイルランドでは48%)であるが、テロ組織のイメージの重なるシンフェインへの不信が強かった。シンフェインは、1986年、アイルランド議会の議席に就くことに方針を変えたが、選挙での支持を増やすのはそう簡単ではなかった。

党首のアダムズは、イギリスの下院議員を2011年に辞職し、アイルランド下院議員選挙に出馬、当選し、また、同年、上述のマーティン・マクギネスがアイルランド大統領選挙に出馬した。マクギネスは3位となり当選しなかったが、シンフェインがアイルランドで本格的に政治運動に取り組み始めた。2012年にマクギネスが、北アイルランドを訪れたエリザベス女王と握手し、また、アダムズは2015年にアイルランドを訪れたチャールズ皇太子と握手した。

なお、2016年のアイルランド下院議員選挙で、157議席が争われ(議長は無投票)、シンフェインは14%の第一選好票を獲得し、23議席を獲得。この3月の世論調査ではシンフェインの支持率が23%とアップした。比例代表制のため、次期選挙ではシンフェインの大幅議席増が予測される。

また、マクギネスの葬儀にはクリントン元米大統領がアイルランド大統領や首相らとともに出席した。アイルランドでのシンフェインのプロフィールは上昇している。

さらにアイルランドのケニー首相らは、大統領選挙に北アイルランド住民も投票できるようにする方針だ。北アイルランドに住むマクギネスは、アイルランド大統領選に立候補できたが、自分に投票できなかった。北アイルランド住民に大統領選挙投票権を与えれば、アイルランドへの見方が大きく変わる可能性がある。

北アイルランドはどうなるか

もし選挙が行われれば、その選挙の結果は、いずれにしてもDUPとシンフェインがそれぞれの立場で第一党となるのは間違いなく、事態は膠着状態のままだろう。

いつまでも選挙をし続けるわけにはいかず、北アイルランドの不透明な政治状況は、まだまだ続きそうだ。

その一方、もしメイ首相らがBrexitの対応を誤り、北アイルランド住民が、中長期的にイギリスよりアイルランド共和国の方が有利だと判断するようなこととなれば、プロフィールを向上させるシンフェインが行動に出て、イギリスが北アイルランドを失うような危機に面する可能性も出てくるかもしれない。

マーティン・マクギネスの死

北アイルランド自治政府の副首席大臣だったマーティン・マクギネスが、2017年3月21日に亡くなった。1950年5月23日生まれ。66歳だった。稀な心臓病だったという。マクギネスの死は、イギリスの一つの醜い歴史が終わりかけていることを感じさせる。

北アイルランドの問題は、アイルランド南部が自治領となってイギリスから自立し、その際、プロテスタントが主流の北アイルランドがイギリスの一部となって残ったことに始まる。

マクギネスは、北アイルランドのデリー(ロンドンデリー)のカソリック教徒の貧しい家庭に生まれ、15歳で肉屋の見習いとなった。当時、北アイルランドでは、カソリック教徒に対する公式並びに非公式の差別が強かった。マクギネスは、北アイルランドを南のアイルランド共和国と統合させ、アイルランド島全体で統一されたアイルランド共和国の建設を目的としたアイルランド共和国軍(IRA)の武闘派に加入する。若くしてデリーのリーダーとなり、後にはIRAの主流派「暫定IRA」の参謀長となったと言われる。

この間、IRAは、1979年、女王のいとこで、チャールズ皇太子に近かったマウントバッテン伯爵を爆殺。1984年には、イングランド南岸のブライトンで開かれた保守党大会でマーガレット・サッチャー首相の暗殺を謀り、保守党幹部の宿泊していたホテルで爆弾を爆発させ、5人を死亡させるなど、数多くの事件で多くの血を流した。

その一方、武力闘争から民主的な政治闘争へと徐々に切り替えを図り、マクギネスは、IRAの政治組織シンフェイン党の幹部として地歩を築く。1994年にシンフェイン党のチーフネゴーシエーターとなり、1998年のグッドフライデー合意(ベルファスト合意ともいわれる)に結び付けた。この合意では、イギリスとの関係維持派(ユニオニストと呼ばれる)とアイルランド統合支持派(ナショナリストと呼ばれる)との共同統治のシステムが設けられた。それまでの30年にわたる、トラブルズと呼ばれ、3千人以上が殺された歴史に終止符を打つためだった。その結果、1998年選挙後、元IRAリーダーのマクギネスが、なんと北アイルランド政府の教育相となる。しかし、この議会は2002年から2007年まで停止される。

北アイルランドでは、もともと、アイルランド共和国との平和的な統合を目指した社会民主労働党(SDLP)がナショナリスト側の主流派だった。しかし、2007年選挙で、シンフェイン党がナショナリスト側の最大議席を持つ政党となり、マクギネスは首席大臣と完全に同じ権限を持つ副首席大臣となる。

マクギネスは、ユニオニスト側の最強硬派だった民主統一党(DUP)の設立者で党首のイアン・ペースリーと首席大臣・副首席大臣のコンビで働き、シンフェインが大嫌いだったペースリーと個人的な信頼関係を築き上げる。そして二人が「クスクス笑いの兄弟」と言われるほどになり、DUPの関係者らを含め、多くを驚かせる。

シンフェイン党の党首は、ジェリー・アダムズ(現アイルランド下院議員)だが、北アイルランド政府トップにマクギネスを送り込んだのは極めて適切な判断だったように思われる。アダムズはマクギネスほど柔軟ではなく、ペースリーとアダムズでは、油と水のような関係となっていたかもしれないからだ。

マクギネスは、2012年、北アイルランドを訪れたエリザベス女王と握手する。シンフェイン党は、イギリス下院議員選挙で5人当選させている。しかし、正式に議員となるにはエリザベス女王への忠誠を誓う必要があるため、それを拒否して通常の議員活動をしていない。そのため、マクギネスと、いとこをIRAに殺された女王との握手には象徴的な意味があった。

今年1月、首席大臣の再生可能エネルギー施策のスキャンダルで、マクギネスが副首席大臣を辞任したため、3月2日に北アイルランド議会議員選挙が行われたが、マクギネスは健康上の問題で立候補しなかった。インタビューで「選挙には立候補しないが、どこへも行かない」と答え、マクギネスがこれからもにらみをきかせるつもりだと見られた。

かつてBBCテレビのドキュメンタリーで、マイケル・コックレルがマクギネスにインタビューした時のことを思い出した。マクギネスの顔の周りをハエが飛び回っていた。マクギネスは、それを全く気にしなかった。そこで、そのハエをコックレルが追い払おうとすると、マクギネスは、そんなことはどうでもいいことだと静かな声で言い、コックレルがたじろいだ。マクギネスの凄味を感じた。

マクギネスのイギリス政治への最大の貢献は、アダムズとともにIRAに武器を放棄させ、政治勢力へと転換させたことだ。徐々にメンバーの考えかたを変えさせ、状況を受け入れられるようにしていった。これは簡単なことではない。戦略的な思考と、忍耐、そして最大の警戒が必要だ。二人が暗殺されず、マクギネスは自然死を迎えたが、いかに上手にこの過程を進めたかがうかがわれる。

マクギネスは酒を嗜まなかったが、それは、飲めないのではなく、油断を排除するためだった。また、マクギネスは長く収入がほとんどなく、その妻バーナデットが4人の子供を養うため、イギリス名物フィッシュ&チップスの店でも働いたといわれる。

マクギネスの死は、シンフェイン党の世代交代も象徴している。マクギネス本人が手掛け、指示を出し、また容認した殺人事件は数多あると考えられている。血で汚れた世代から新しい世代へとシンフェイン党が変わる時代が来ている。

ご参考: 幣著「いかに平和をもたらすか?: IRAリーダーからトップ政治家へ マーティン・マクギネス

前財相の新聞編集長就任

キャメロン前政権で2010年5月から2016年7月まで財相を務めたジョージ・オズボーンが、ロンドンの夕刊紙イブニング・スタンダードの編集長に就任することとなった。これには多くの批判が出ている。しかし、それは政治的なものや嫉妬からくるものが多いようだ。

オックスフォード大学で学んだ後、ジャーナリストの道を目指したオズボーンだったが、タイムズ紙に断られ、また、テレグラフ紙にも正規には入れなかった。そこで保守党本部に入った経緯がある。ジャーナリストになるのは、その当時から夢だったようだ。もちろん編集長になるための十分な経験に欠けるという面があるが、ブレア元首相が能力のある人だからと指摘したように、そう時間がたたないうちに経験不足をカバーするだけのものを発揮し始める可能性はあるだろう。

特に注目しておくべきは、オズボーンの前任の編集長は、BBCラジオ4の看板番組であるTodayの編集責任者に就任することだ。この朝の3時間のニュース番組は、政治関係者には必須のものであり、そのプレゼンターの一人は、BBCの前政治部長ニック・ロビンソンである。

イブニング・スタンダード紙は、ロシア人のオーナーとなった後、無料としたが、90万部が読まれており、その影響力は相当なものがある。普通の無料紙とは異なり、本格的な記事も掲載しており、今なお翌日の新聞の論調の方向を決めるのに大きな役割を果たしている。

ロンドンは労働党の強いところだが、この新聞は、2008年のロンドン市長選で、現職だったケン・リビングストンに対抗し、保守党候補として立候補したボリス・ジョンソンを支持し、当選させた。

オズボーンにとっては、そのステイタスを考えても、断れないジョブ・オファーだったといえる。

現職の保守党下院議員でありながら、新聞紙の編集長が務まるはずがないという見方がある。ただし、夕刊紙であるため、編集の仕事は午前11時ごろには終了するとみられる。早朝5時には出勤する必要があるだろうが、午後の下院審議には間に合う。

さらにこの新聞は月曜から金曜日まで週に5日であり、平均して週に4日ほどの出勤となるという。オズボーンにとっては、主に週末の地元選挙区での活動にそう大きな支障があるようには思えない。

下院には、伝統的に弁護士をはじめ、下院議員の7万5千ポンド(1050万円)の年俸を大きく上回る収入を他から得ている議員が多い。もともと下院議員には年俸がなく、始まったのは1911年からである。それでも額が少なく、多くの議員にとっては他の収入源が必須だった。その名残が残っており、重要な審議は今でも午後に行われている。

オズボーンの場合、昨年7月に財相のポストを更迭された後、アメリカのスピーチ会社に登録し、これまでに80万ポンド(1億1200万円)近く稼いだといわれる。その上、世界最大の資産運用会社であるブラックロックのアドバイザーに就任したばかりだが、週に1日の仕事で年俸64万ポンド(9千万円)を受ける。その他、アメリカの研究機関との契約をはじめ、新聞編集長の仕事が6つ目になる。

それでもオズボーンはまだ46歳であり、自分の可能性を試してみたいという気持ちはよくわかる。オズボーンには、新聞紙の編集長という立場上、また仕事をすでに多く抱えているなどといったことから下院議員を辞職すべだという声がある。

ただし、もし次の総選挙が新しい選挙区割りで行われれば、オズボーンの選挙区は消滅する。また、メイ首相の支持率は今のところ高いが、Brexitの交渉はまだ始まっていない。非常に困難な交渉になると考えられており、展開次第によっては、オズボーンが次期保守党党首・首相となる目があるかもしれない。それらを考えると、なるべく多くのオプションをオープンにしておいて、無役の下院議員である現在の立場をフルに活用したほうがよいと考えているのではないかと思われる。

もちろん政治的には、オズボーンのイブニング・スタンダード編集長就任は大きなショックであった。特に強く反発したのは、労働党とメイ首相らである。ロンドンに強い支持基盤があり、またロンドン市長を抱える労働党は、現職の保守党下院議員のオズボーンを警戒するのは当然ともいえる。

一方、メイは、首相就任時、オズボーンを冷たくクビにし、他の閣僚職も与えなかっただけではなく、オズボーンに近い人物にも大臣職らのポストを与えなかった。そのため、メイらは、オズボーンが、その仕打ちに対し、編集長の地位を利用し、Brexit交渉を批判し、反攻に打って出てくることを警戒している。

なお、大臣職にあった人物が、職を離れた後、2年以内に民間の仕事に就くには、独立監視機関の承認を受ける制度がある。また、下院議員の第二の職を検討しなおす必要があるという声があるが、これらがオズボーンの編集長就任に大きな障害となる可能性は乏しいように思われる。

オズボーンは予定通り5月半ばに編集長になるだろう。どのような編集長ぶりを見せるか見ものである。

スコットランド独立住民投票の駆け引き

イギリスの政界で最も優れた政治家は恐らくスコットランドの首席大臣二コラ・スタージョン(1970年生まれ:46歳)だろう。

2014年のスコットランド独立住民投票では、スコットランド国民党(SNP)は独立賛成を訴えたが45%対55%で反対派に敗れ、その責任をとり、SNP党首で首席大臣だったアレックス・サモンドが辞任し、スタージョンは後任の党首、首席大臣に就任した。

中央政界の政治家ではないが、その政治感覚は、2015年総選挙の際の党首テレビ討論で高い評価を受けたように、優れたものがある。

スタージョンは、もともと弁護士である。スコットランドの独立を標榜するSNPに十代で1986年に加入したものの、SNPの支持が強くなかったために出馬した選挙ではたびたび敗れ、議員となったのは1999年だ。

それでもSNPを後に大躍進させるサモンドに見込まれ、2004年から副党首として仕えた。SNPは、2007年スコットランド議会議員選挙で、過半数には遠かったが、労働党を1議席上回り、議会第一党となったため、サモンドが首席大臣となり、少数政権を運営した。サモンドは巧みに政権を運営し、2011年のスコットランド議会議員選挙では予想外に議会の過半数を占めることとなる。SNPは、その選挙マニフェストで、独立住民投票の実施を約束していたが、過半数を獲得したため、独立住民投票を実施せざるを得なくなった。サモンドが今でもよく言うことだが、この独立賛成キャンペーンをスタートした時には、独立支持はわずか28%だったという。独立賛成は、投票日が近くなり急に増大した。慌てた中央政界の保守党、労働党、自民党がスコットランドの大幅な自治権拡大を約束するなど巻き返しを図り、投票では45%の得票だったが、SNPは大健闘したといえる。

サモンドのような大物が退いた後の後継者は、普通苦労するものだが、スタージョンの場合、党勢を大幅に拡大し、しかも2015年の総選挙では、下院のスコットランドに割り当てられた59議席のうちSNPが56議席を獲得する結果を得て、スコットランドにおけるSNPの基盤を築き上げた。

スタージョンの基本的な独立に関する戦略は、もし、独立の世論支持が60%あれば、独立住民投票を実施するというものであった。しかし、2016年のEUのメンバーシップに関する国民投票で、スコットランドは62%の有権者がEU残留を支持したにもかかわらず、イギリス全体で52%がEU離脱を支持し、正式にEUを離脱することとなったため、その戦略を変更した。世論の独立支持は今でも50%を下回るが、メイ首相の離脱戦略は、強硬離脱だとして反対し、スコットランドは、その将来を自ら決める権利があるとして、独立住民投票を実施する方針を明らかにしたのである。そしてその時期を、2年のEU離脱交渉期間の終わる前の、2018年秋から2019年春としたのである。

メイ首相は、現在、そのような住民投票を行うべきではないと反発した。EU離脱交渉に全力を傾けるべきで、イギリスを分裂させる可能性のあることをすべきではないというのである。

住民投票を正式に実施するには、2014年の住民投票のように、スコットランド議会に住民投票を実施する権限を一時的に与える(1998年スコットランド法30条命令)ために、ウェストミンスター議会の承認を受ける必要があるが、メイ首相が反対すれば、それができなくなる。

スタージョンは非常に慎重な政治家として知られているが、メイ首相との最大の違いは、大きな賭けに出る勇気がある点だ。スタージョンは、何としてでもこの住民投票の実施に持ち込む考えを明確にしている。

前回の住民投票は2014年に行われ、それからあまり時間がたっていない。最近発表された、スコットランドの住民動向調査(Scotland Social Attitude Survey: 毎年半年かけて行われている学術調査)によると、スコットランドの独立賛成の声は、次第に強くなっており、今までになく強くなってきている。若い世代に独立支持が多く、この調査の報告者であるジョン・カーティス教授によると、待てば、いずれは独立となるという。

しかし、スタージョンは、賭けに出た。住民投票が実施できない、もしくは住民投票が実施できても独立反対が多数を占めれば、スタージョンは大きな打撃を受けるだろう。それでも、きちんとした手続きを踏み、柔軟な姿勢を貫いていけば、メイが住民投票実施に強く反対すればするほど、スコットランド人が反発し、情勢は自分のほうに傾いてくると判断しているようだ。

ブラウン元首相が、第三の選択肢として、スコットランドに条約締結権を認めるなど連邦制的なイギリス像を提案したが、このような案の支持者はかなり限られているように思われる。多くのスコットランド人は、スコットランドの将来がイングランドの中央政府に左右されることに不信と反発を感じているからである。

この問題が、どのような形で収束していくか、政治家の能力と重ねて注目される。

急に変わる政治の風

メイ首相にとって、現在の政治状況は「なんてこと」という状況だろう。

3月17日には、前財務相で保守党下院議員のジョージ・オズボーンがロンドンの夕刊紙イブニング・スタンダードの編集長になることが発表された。現在無料の新聞だがもともと有料で、ボリス・ジョンソンの2008年ロンドン市長当選には、この新聞の影響力が大きかった。今でも翌日の新聞の論調を決めるのに大きな役割を果たしていると考えられている。

メイは昨年7月首相に就任した際、オズボーンを冷たく財務相のポストから首にした。閣僚にもしなかった。そのため、この夕刊紙の編集長にオズボーンがなるというのは少なからず脅威に感じられるだろう。

さらには、2015年総選挙などの選挙費用違反問題で、保守党は、これまで最高の7万ポンド(1千万円)の罰金を命じられた。そればかりではなく、13の警察が捜査し、検察に書類を送った。もし、選挙違反が認められれば、当選者は失格となり、再選挙となる可能性がある。この件で、保守党のイメージに大きなダメージがあるだけではなく、保守党が下院の過半数を若干超えるだけの状態のため、政権運営に支障を来す可能性さえある。

また、3月8日の予算発表で自営業者の国民保険(National Insurance)税のアップを発表したが、これは2015年総選挙のマニフェスト違反だと批判され、1週間後にそれをひっこめた。このUターンは、単なる政策の変更とは見られず、財相だけではなく、メイの迂闊さが指摘され、さらには、少々の批判で政策を変えるようでは、はるかに困難なBrexitの交渉ができるか大きな疑問が出てきた。

さらに予算関連では、学校教育費にマニフェスト違反の可能性があり、保守党の中からも批判が出てきている。

その上、スコットランド分権政府が、独立住民投票を2018年秋から2019年春の間に実施したいとしている問題で、メイはBrexit前には認めない方針を示した。スコットランド政府側はそれに強く反発しており、この問題はかなり尾を引く見込みだ。

北アイルランドの政情もある。昨年、北アイルランド議会選挙を実施したばかりだったが、再生可能エネルギー政策の大失敗に端を発して北アイルランド政府が倒れ、3月初めに再び選挙が行われた。しかし、未だに新政府を設ける状態には至っておらず、あと1週間足らずで話がまとまらなければ、再び選挙が行われる見込みだ。従来、北アイルランド問題では歴代首相が相当多くのエネルギーを使ってきており、ウェストミンスターの中央政府が直接統治をしなければならない状況になれば、メイには相当大きな重荷になる。

これらの問題への対応には多くが注目しており、これまで高い世論支持率を維持してきたメイ政権だが、それを額面通りには受け取れない状況となってきた。

3月7日、BBCラジオ4の午後5時のニュース番組でブラウン元労働党首相の戦略担当者が「政治状況は急に変わる、総選挙ができる時間枠は限られている」と話したことが思い出される。

ブラウンは、2007年6月、ブレアの後を継いで首相に就任した。就任当初、高い人気があり、総選挙を実施するようアドバイスされたが、ブラウンは躊躇した。総選挙の憶測が高まったにも関わらず、その判断を遅らせ、秋に総選挙を実施しようと思ったときには、支持率が下がり始めており、結局、実施できなかった。また、ブラウンは臆病者だというラッテルが貼られてしまった。

2008年の世界信用危機で、イギリスは景気が下降し、ブラウンは大幅な財政赤字の責任を追及され、しかも2010年総選挙時には欧州の経済危機があり、労働党は、大きく議席を失った。過半数を取れなかったが第一党となった保守党と第三党の自民党の連立政権の誕生を許したのである。

もしブラウンが早期に総選挙を実施していれば、ブラウンには5年後の任期満了まで、すなわち2012年半ばまで十分な時間があり、政治状況は大幅に変わっていただろう。現在の政治状況も全く異なっていたものと思われる。

現在のメイ保守党首相は、その高い支持率の下、2016年7月就任以来、総選挙を実施すれば大きく勝て、下院でわずかに過半数を上回るだけの状態から脱し、余裕のある政権運営ができると見られていた。しかし、メイはこれまで早期総選挙を否定してきた。

この一つの理由には、2011年固定議会法の問題がある。議会は基本的に5年に固定され、早期選挙が実施できるのは、下院議員総数の3分の2が賛成した場合か、政府が不信任され、2週間以内に信任されうる政府ができない場合に限定された。それでも、メイが自らの政府に対し不信任案を提出し、可決させるという奇手があるが、このような手法は、それなりの政治状況がなければ有権者の不信を招く可能性がある。(なお、3月7日、ヘイグ上院議員が固定議会法を廃止するべきだと主張した。しかし、この固定議会法制定時に、それまで首相に解散権を与えていた過去の法制を廃止しており、この固定議会法を廃止しただけでは2011年前の状況になるわけではない。すなわち新しい法律の制定が同時に必要となるが、それには上院の賛成も得なければならない。また、6年前とは異なる政治状況下の現在、首相にどのような解散権限を与えるかなどの議論でかなり時間がかかる可能性がある)

メイが総選挙に打って出るかどうかは別にして、明るく見えた政治状況に急に暗雲が立ち込めてきた。

危機に立つ北アイルランド政治

北アイルランド政府のマクギネス副首席大臣が辞任し、北アイルランド政治が再び混乱に陥った。

イギリスの正式な名称は、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国であり、基本的にグレートブリテン島とその周辺の島を含むイングランド、スコットランド、ウェールズとアイルランド島の北アイルランドで構成される。このうち北アイルランドでは、アイルランド共和国との統合を求めるナショナリスト(カソリック)とイギリスとの関係を維持しようとするユニオニスト(プロテスタント)の対立が深刻となり、トラブルズと呼ばれる血で血を洗う事態で、3千人以上の人が殺された。これを解決するため、メージャー保守党政権の努力を引き継いだブレア労働党政権下、アイルランド政府を交えたグッドフライデー合意が結ばれた。その後のブラウン労働党政権下でセントアンドリュース合意が結ばれ、北アイルランドの政治は大きく前進し、やっと落ち着いたように見えていた。

これらの合意の中心は北アイルランドのナショナリスト側とユニオニスト側の共同統治の原則であり、両者の合意で運営される仕組みとなっている。すなわち、両者の最大政党から同じ権限を持つ首席大臣と副首席大臣が選出され、政府が構成される。このため、ナショナリスト側最大政党のシンフェイン党のマクギネス副首席大臣が辞任し、ユニオニスト側最大政党の民主統一党(DUP)の首席大臣もその地位を失った。もし1週間以内にシンフェイン党がマクギネスの後任を指名しなければ、ウェストミンスターの中央政府の北アイルランド大臣が北アイルランド議会の選挙を実施することとなる。

マクギネス副首席大臣が辞任したのは、DUPのフォスター(Arlene Foster)首席大臣が2012年に企業相として開始したRHI(Renewable Heat Initiative)と呼ばれるスキームに関連している。RHIは、再生可能燃料源使用促進のため、燃料源を切り替えた場合に補助金を出す仕組みだが、その補助金支払いの上限を決めておらず、再生可能燃料を燃やせば燃やすほど、それを上回る補助金が得られるため、必要のない燃料を燃やし補助金を受け取る事例があることがわかった。現在では、これからの20年で4億9000万ポンド(700億円:£1=143円)の超過支払いが必要となると見られている。人口200万人足らずの分権政府で、一般財源からこの金額をねん出するのは非常に大きな重荷だ。

このスキームを巡り、フォスター首席大臣が不審な動きをしたという疑惑が浮上し、北アイルランド議会でフォスターへの不信任案が出され、過半数が賛成したが、不信任案は否決された。ナショナリスト側とユニオニスト側のそれぞれの賛成が必要だが、ユニオニスト側でDUPが反対し、ユニオニスト側の過半数が得られなかったためである。

DUP以外の政党は、この「灰買収(Cash for Ash)」スキャンダルの公的な調査を要求した。シンフェイン党は、公的な調査の一次報告書を4週間で出させ、3か月で最終報告書を出し、一次報告書が出されるまでの期間、首席大臣は、その職務を離れるという案を出した。フォスター首席大臣は、自分には何らやましいものはないと主張し、シンフェイン党の要求を拒否したが、過去数日、公的な調査を受け入れる用意はあるが、職務は離れないとしていた。

この状況を受け、シンフェイン党は、もし自分たちの案が受け入れられなければ、マクギネス副首席大臣が辞任すると発表し、その通り1月9日、マクギネスが副首席大臣を辞任したのである。

ただし、新たな選挙が実施されてもDUPが最大政党であり続ける可能性がある。

2016年北アイルランド議会議員選挙

政党

 

党首

議席

DUP

ユニオニスト

Arlene Foster

38

シンフェイン

ナショナリスト

Gerry Adams

28

UUP

ユニオニスト

Mike Nesbitt

16

社会民主労働党

ナショナリスト

Colum Eastwood

12

同盟党

その他

David Ford

8

伝統的ユニオニスト声党

ユニオニスト

Jim Allister

1

緑の党 (北アイルランド)

その他

Steven Agnew

2

利潤の前に人間党

その他

Eamonn McCann

2

無所属

ユニオニスト

  1

世論調査によると、DUPのフォスターの評価は大幅に下がっており、49%から29%になっている。ユニオニストだけを見れば、ユニオニスト第2党のアルスター統一党(UUP)のネスビット党首がフォスターを上回っている。

もし万一この選挙後、DUPのフォスターが再び首席大臣候補となるようなことになれば、シンフェイン党がDUPと協働する可能性はほとんどなく、北アイルランド政府が構成できない状態に陥ることとなるかもしれない。何度も崩れた北アイルランド政府の正常化にブレアやブラウン元首相が非常に多くの時間と労力を費やしたことを思い起こすと、メイ首相に非常に大きな重荷となることは間違いないように思われる。現在のブロークンシャー北アイルランド相は、メイ内相の下で忠実に働き、閣僚に任命された人物であり、その能力は未知数である。そのため、この問題の対応には、メイ首相が直接携わる可能性がある。

依然戦略の定まらないメイ首相

イギリスのEU大使が突然そのポストを辞任し、しかも国家公務員も辞職した。Brexit交渉が4月から始まる見通しであり、この経験豊富な人物をこの段階で失うのは大きな損失だが、その辞任の背景には、メイ政権のこのEU大使への態度と、Brexit戦略が定まらないことがあった。

メイ首相がBrexit戦略をまだ決めていないことは、明らかである。スコットランドのスタージョン首席大臣が、メイ首相の言うことは6か月前と変わっていないように感じると指摘しているが、1月8日のメイ首相のテレビのインタビューでも、ほとんど明確になっていない。

これまでもBrexitとはBrexitと主張してきたが、このインタビューで、イギリスはEUのメンバーでなくなり、EUに何らかの形で部分的に残留する可能性を否定した。移民のコントロールを最優先するかとの問い、すなわちこれをEUの単一市場に残ることよりも優先するかとの質問には答えず、いつもの、イギリスにベストの交渉結果を得るとの答えである。

これは、雑誌エコノミストが指摘したメイ首相の優柔不断さに関係しているように思われる。この傾向はこれまでにも拙稿で指摘したように内相時代にもあった。このような状態がいつまで続けられるか注目される。