マーティン・マクギネスの死

北アイルランド自治政府の副首席大臣だったマーティン・マクギネスが、2017年3月21日に亡くなった。1950年5月23日生まれ。66歳だった。稀な心臓病だったという。マクギネスの死は、イギリスの一つの醜い歴史が終わりかけていることを感じさせる。

北アイルランドの問題は、アイルランド南部が自治領となってイギリスから自立し、その際、プロテスタントが主流の北アイルランドがイギリスの一部となって残ったことに始まる。

マクギネスは、北アイルランドのデリー(ロンドンデリー)のカソリック教徒の貧しい家庭に生まれ、15歳で肉屋の見習いとなった。当時、北アイルランドでは、カソリック教徒に対する公式並びに非公式の差別が強かった。マクギネスは、北アイルランドを南のアイルランド共和国と統合させ、アイルランド島全体で統一されたアイルランド共和国の建設を目的としたアイルランド共和国軍(IRA)の武闘派に加入する。若くしてデリーのリーダーとなり、後にはIRAの主流派「暫定IRA」の参謀長となったと言われる。

この間、IRAは、1979年、女王のいとこで、チャールズ皇太子に近かったマウントバッテン伯爵を爆殺。1984年には、イングランド南岸のブライトンで開かれた保守党大会でマーガレット・サッチャー首相の暗殺を謀り、保守党幹部の宿泊していたホテルで爆弾を爆発させ、5人を死亡させるなど、数多くの事件で多くの血を流した。

その一方、武力闘争から民主的な政治闘争へと徐々に切り替えを図り、マクギネスは、IRAの政治組織シンフェイン党の幹部として地歩を築く。1994年にシンフェイン党のチーフネゴーシエーターとなり、1998年のグッドフライデー合意(ベルファスト合意ともいわれる)に結び付けた。この合意では、イギリスとの関係維持派(ユニオニストと呼ばれる)とアイルランド統合支持派(ナショナリストと呼ばれる)との共同統治のシステムが設けられた。それまでの30年にわたる、トラブルズと呼ばれ、3千人以上が殺された歴史に終止符を打つためだった。その結果、1998年選挙後、元IRAリーダーのマクギネスが、なんと北アイルランド政府の教育相となる。しかし、この議会は2002年から2007年まで停止される。

北アイルランドでは、もともと、アイルランド共和国との平和的な統合を目指した社会民主労働党(SDLP)がナショナリスト側の主流派だった。しかし、2007年選挙で、シンフェイン党がナショナリスト側の最大議席を持つ政党となり、マクギネスは首席大臣と完全に同じ権限を持つ副首席大臣となる。

マクギネスは、ユニオニスト側の最強硬派だった民主統一党(DUP)の設立者で党首のイアン・ペースリーと首席大臣・副首席大臣のコンビで働き、シンフェインが大嫌いだったペースリーと個人的な信頼関係を築き上げる。そして二人が「クスクス笑いの兄弟」と言われるほどになり、DUPの関係者らを含め、多くを驚かせる。

シンフェイン党の党首は、ジェリー・アダムズ(現アイルランド下院議員)だが、北アイルランド政府トップにマクギネスを送り込んだのは極めて適切な判断だったように思われる。アダムズはマクギネスほど柔軟ではなく、ペースリーとアダムズでは、油と水のような関係となっていたかもしれないからだ。

マクギネスは、2012年、北アイルランドを訪れたエリザベス女王と握手する。シンフェイン党は、イギリス下院議員選挙で5人当選させている。しかし、正式に議員となるにはエリザベス女王への忠誠を誓う必要があるため、それを拒否して通常の議員活動をしていない。そのため、マクギネスと、いとこをIRAに殺された女王との握手には象徴的な意味があった。

今年1月、首席大臣の再生可能エネルギー施策のスキャンダルで、マクギネスが副首席大臣を辞任したため、3月2日に北アイルランド議会議員選挙が行われたが、マクギネスは健康上の問題で立候補しなかった。インタビューで「選挙には立候補しないが、どこへも行かない」と答え、マクギネスがこれからもにらみをきかせるつもりだと見られた。

かつてBBCテレビのドキュメンタリーで、マイケル・コックレルがマクギネスにインタビューした時のことを思い出した。マクギネスの顔の周りをハエが飛び回っていた。マクギネスは、それを全く気にしなかった。そこで、そのハエをコックレルが追い払おうとすると、マクギネスは、そんなことはどうでもいいことだと静かな声で言い、コックレルがたじろいだ。マクギネスの凄味を感じた。

マクギネスのイギリス政治への最大の貢献は、アダムズとともにIRAに武器を放棄させ、政治勢力へと転換させたことだ。徐々にメンバーの考えかたを変えさせ、状況を受け入れられるようにしていった。これは簡単なことではない。戦略的な思考と、忍耐、そして最大の警戒が必要だ。二人が暗殺されず、マクギネスは自然死を迎えたが、いかに上手にこの過程を進めたかがうかがわれる。

マクギネスは酒を嗜まなかったが、それは、飲めないのではなく、油断を排除するためだった。また、マクギネスは長く収入がほとんどなく、その妻バーナデットが4人の子供を養うため、イギリス名物フィッシュ&チップスの店でも働いたといわれる。

マクギネスの死は、シンフェイン党の世代交代も象徴している。マクギネス本人が手掛け、指示を出し、また容認した殺人事件は数多あると考えられている。血で汚れた世代から新しい世代へとシンフェイン党が変わる時代が来ている。

ご参考: 幣著「いかに平和をもたらすか?: IRAリーダーからトップ政治家へ マーティン・マクギネス

前財相の新聞編集長就任

キャメロン前政権で2010年5月から2016年7月まで財相を務めたジョージ・オズボーンが、ロンドンの夕刊紙イブニング・スタンダードの編集長に就任することとなった。これには多くの批判が出ている。しかし、それは政治的なものや嫉妬からくるものが多いようだ。

オックスフォード大学で学んだ後、ジャーナリストの道を目指したオズボーンだったが、タイムズ紙に断られ、また、テレグラフ紙にも正規には入れなかった。そこで保守党本部に入った経緯がある。ジャーナリストになるのは、その当時から夢だったようだ。もちろん編集長になるための十分な経験に欠けるという面があるが、ブレア元首相が能力のある人だからと指摘したように、そう時間がたたないうちに経験不足をカバーするだけのものを発揮し始める可能性はあるだろう。

特に注目しておくべきは、オズボーンの前任の編集長は、BBCラジオ4の看板番組であるTodayの編集責任者に就任することだ。この朝の3時間のニュース番組は、政治関係者には必須のものであり、そのプレゼンターの一人は、BBCの前政治部長ニック・ロビンソンである。

イブニング・スタンダード紙は、ロシア人のオーナーとなった後、無料としたが、90万部が読まれており、その影響力は相当なものがある。普通の無料紙とは異なり、本格的な記事も掲載しており、今なお翌日の新聞の論調の方向を決めるのに大きな役割を果たしている。

ロンドンは労働党の強いところだが、この新聞は、2008年のロンドン市長選で、現職だったケン・リビングストンに対抗し、保守党候補として立候補したボリス・ジョンソンを支持し、当選させた。

オズボーンにとっては、そのステイタスを考えても、断れないジョブ・オファーだったといえる。

現職の保守党下院議員でありながら、新聞紙の編集長が務まるはずがないという見方がある。ただし、夕刊紙であるため、編集の仕事は午前11時ごろには終了するとみられる。早朝5時には出勤する必要があるだろうが、午後の下院審議には間に合う。

さらにこの新聞は月曜から金曜日まで週に5日であり、平均して週に4日ほどの出勤となるという。オズボーンにとっては、主に週末の地元選挙区での活動にそう大きな支障があるようには思えない。

下院には、伝統的に弁護士をはじめ、下院議員の7万5千ポンド(1050万円)の年俸を大きく上回る収入を他から得ている議員が多い。もともと下院議員には年俸がなく、始まったのは1911年からである。それでも額が少なく、多くの議員にとっては他の収入源が必須だった。その名残が残っており、重要な審議は今でも午後に行われている。

オズボーンの場合、昨年7月に財相のポストを更迭された後、アメリカのスピーチ会社に登録し、これまでに80万ポンド(1億1200万円)近く稼いだといわれる。その上、世界最大の資産運用会社であるブラックロックのアドバイザーに就任したばかりだが、週に1日の仕事で年俸64万ポンド(9千万円)を受ける。その他、アメリカの研究機関との契約をはじめ、新聞編集長の仕事が6つ目になる。

それでもオズボーンはまだ46歳であり、自分の可能性を試してみたいという気持ちはよくわかる。オズボーンには、新聞紙の編集長という立場上、また仕事をすでに多く抱えているなどといったことから下院議員を辞職すべだという声がある。

ただし、もし次の総選挙が新しい選挙区割りで行われれば、オズボーンの選挙区は消滅する。また、メイ首相の支持率は今のところ高いが、Brexitの交渉はまだ始まっていない。非常に困難な交渉になると考えられており、展開次第によっては、オズボーンが次期保守党党首・首相となる目があるかもしれない。それらを考えると、なるべく多くのオプションをオープンにしておいて、無役の下院議員である現在の立場をフルに活用したほうがよいと考えているのではないかと思われる。

もちろん政治的には、オズボーンのイブニング・スタンダード編集長就任は大きなショックであった。特に強く反発したのは、労働党とメイ首相らである。ロンドンに強い支持基盤があり、またロンドン市長を抱える労働党は、現職の保守党下院議員のオズボーンを警戒するのは当然ともいえる。

一方、メイは、首相就任時、オズボーンを冷たくクビにし、他の閣僚職も与えなかっただけではなく、オズボーンに近い人物にも大臣職らのポストを与えなかった。そのため、メイらは、オズボーンが、その仕打ちに対し、編集長の地位を利用し、Brexit交渉を批判し、反攻に打って出てくることを警戒している。

なお、大臣職にあった人物が、職を離れた後、2年以内に民間の仕事に就くには、独立監視機関の承認を受ける制度がある。また、下院議員の第二の職を検討しなおす必要があるという声があるが、これらがオズボーンの編集長就任に大きな障害となる可能性は乏しいように思われる。

オズボーンは予定通り5月半ばに編集長になるだろう。どのような編集長ぶりを見せるか見ものである。

スコットランド独立住民投票の駆け引き

イギリスの政界で最も優れた政治家は恐らくスコットランドの首席大臣二コラ・スタージョン(1970年生まれ:46歳)だろう。

2014年のスコットランド独立住民投票では、スコットランド国民党(SNP)は独立賛成を訴えたが45%対55%で反対派に敗れ、その責任をとり、SNP党首で首席大臣だったアレックス・サモンドが辞任し、スタージョンは後任の党首、首席大臣に就任した。

中央政界の政治家ではないが、その政治感覚は、2015年総選挙の際の党首テレビ討論で高い評価を受けたように、優れたものがある。

スタージョンは、もともと弁護士である。スコットランドの独立を標榜するSNPに十代で1986年に加入したものの、SNPの支持が強くなかったために出馬した選挙ではたびたび敗れ、議員となったのは1999年だ。

それでもSNPを後に大躍進させるサモンドに見込まれ、2004年から副党首として仕えた。SNPは、2007年スコットランド議会議員選挙で、過半数には遠かったが、労働党を1議席上回り、議会第一党となったため、サモンドが首席大臣となり、少数政権を運営した。サモンドは巧みに政権を運営し、2011年のスコットランド議会議員選挙では予想外に議会の過半数を占めることとなる。SNPは、その選挙マニフェストで、独立住民投票の実施を約束していたが、過半数を獲得したため、独立住民投票を実施せざるを得なくなった。サモンドが今でもよく言うことだが、この独立賛成キャンペーンをスタートした時には、独立支持はわずか28%だったという。独立賛成は、投票日が近くなり急に増大した。慌てた中央政界の保守党、労働党、自民党がスコットランドの大幅な自治権拡大を約束するなど巻き返しを図り、投票では45%の得票だったが、SNPは大健闘したといえる。

サモンドのような大物が退いた後の後継者は、普通苦労するものだが、スタージョンの場合、党勢を大幅に拡大し、しかも2015年の総選挙では、下院のスコットランドに割り当てられた59議席のうちSNPが56議席を獲得する結果を得て、スコットランドにおけるSNPの基盤を築き上げた。

スタージョンの基本的な独立に関する戦略は、もし、独立の世論支持が60%あれば、独立住民投票を実施するというものであった。しかし、2016年のEUのメンバーシップに関する国民投票で、スコットランドは62%の有権者がEU残留を支持したにもかかわらず、イギリス全体で52%がEU離脱を支持し、正式にEUを離脱することとなったため、その戦略を変更した。世論の独立支持は今でも50%を下回るが、メイ首相の離脱戦略は、強硬離脱だとして反対し、スコットランドは、その将来を自ら決める権利があるとして、独立住民投票を実施する方針を明らかにしたのである。そしてその時期を、2年のEU離脱交渉期間の終わる前の、2018年秋から2019年春としたのである。

メイ首相は、現在、そのような住民投票を行うべきではないと反発した。EU離脱交渉に全力を傾けるべきで、イギリスを分裂させる可能性のあることをすべきではないというのである。

住民投票を正式に実施するには、2014年の住民投票のように、スコットランド議会に住民投票を実施する権限を一時的に与える(1998年スコットランド法30条命令)ために、ウェストミンスター議会の承認を受ける必要があるが、メイ首相が反対すれば、それができなくなる。

スタージョンは非常に慎重な政治家として知られているが、メイ首相との最大の違いは、大きな賭けに出る勇気がある点だ。スタージョンは、何としてでもこの住民投票の実施に持ち込む考えを明確にしている。

前回の住民投票は2014年に行われ、それからあまり時間がたっていない。最近発表された、スコットランドの住民動向調査(Scotland Social Attitude Survey: 毎年半年かけて行われている学術調査)によると、スコットランドの独立賛成の声は、次第に強くなっており、今までになく強くなってきている。若い世代に独立支持が多く、この調査の報告者であるジョン・カーティス教授によると、待てば、いずれは独立となるという。

しかし、スタージョンは、賭けに出た。住民投票が実施できない、もしくは住民投票が実施できても独立反対が多数を占めれば、スタージョンは大きな打撃を受けるだろう。それでも、きちんとした手続きを踏み、柔軟な姿勢を貫いていけば、メイが住民投票実施に強く反対すればするほど、スコットランド人が反発し、情勢は自分のほうに傾いてくると判断しているようだ。

ブラウン元首相が、第三の選択肢として、スコットランドに条約締結権を認めるなど連邦制的なイギリス像を提案したが、このような案の支持者はかなり限られているように思われる。多くのスコットランド人は、スコットランドの将来がイングランドの中央政府に左右されることに不信と反発を感じているからである。

この問題が、どのような形で収束していくか、政治家の能力と重ねて注目される。

急に変わる政治の風

メイ首相にとって、現在の政治状況は「なんてこと」という状況だろう。

3月17日には、前財務相で保守党下院議員のジョージ・オズボーンがロンドンの夕刊紙イブニング・スタンダードの編集長になることが発表された。現在無料の新聞だがもともと有料で、ボリス・ジョンソンの2008年ロンドン市長当選には、この新聞の影響力が大きかった。今でも翌日の新聞の論調を決めるのに大きな役割を果たしていると考えられている。

メイは昨年7月首相に就任した際、オズボーンを冷たく財務相のポストから首にした。閣僚にもしなかった。そのため、この夕刊紙の編集長にオズボーンがなるというのは少なからず脅威に感じられるだろう。

さらには、2015年総選挙などの選挙費用違反問題で、保守党は、これまで最高の7万ポンド(1千万円)の罰金を命じられた。そればかりではなく、13の警察が捜査し、検察に書類を送った。もし、選挙違反が認められれば、当選者は失格となり、再選挙となる可能性がある。この件で、保守党のイメージに大きなダメージがあるだけではなく、保守党が下院の過半数を若干超えるだけの状態のため、政権運営に支障を来す可能性さえある。

また、3月8日の予算発表で自営業者の国民保険(National Insurance)税のアップを発表したが、これは2015年総選挙のマニフェスト違反だと批判され、1週間後にそれをひっこめた。このUターンは、単なる政策の変更とは見られず、財相だけではなく、メイの迂闊さが指摘され、さらには、少々の批判で政策を変えるようでは、はるかに困難なBrexitの交渉ができるか大きな疑問が出てきた。

さらに予算関連では、学校教育費にマニフェスト違反の可能性があり、保守党の中からも批判が出てきている。

その上、スコットランド分権政府が、独立住民投票を2018年秋から2019年春の間に実施したいとしている問題で、メイはBrexit前には認めない方針を示した。スコットランド政府側はそれに強く反発しており、この問題はかなり尾を引く見込みだ。

北アイルランドの政情もある。昨年、北アイルランド議会選挙を実施したばかりだったが、再生可能エネルギー政策の大失敗に端を発して北アイルランド政府が倒れ、3月初めに再び選挙が行われた。しかし、未だに新政府を設ける状態には至っておらず、あと1週間足らずで話がまとまらなければ、再び選挙が行われる見込みだ。従来、北アイルランド問題では歴代首相が相当多くのエネルギーを使ってきており、ウェストミンスターの中央政府が直接統治をしなければならない状況になれば、メイには相当大きな重荷になる。

これらの問題への対応には多くが注目しており、これまで高い世論支持率を維持してきたメイ政権だが、それを額面通りには受け取れない状況となってきた。

3月7日、BBCラジオ4の午後5時のニュース番組でブラウン元労働党首相の戦略担当者が「政治状況は急に変わる、総選挙ができる時間枠は限られている」と話したことが思い出される。

ブラウンは、2007年6月、ブレアの後を継いで首相に就任した。就任当初、高い人気があり、総選挙を実施するようアドバイスされたが、ブラウンは躊躇した。総選挙の憶測が高まったにも関わらず、その判断を遅らせ、秋に総選挙を実施しようと思ったときには、支持率が下がり始めており、結局、実施できなかった。また、ブラウンは臆病者だというラッテルが貼られてしまった。

2008年の世界信用危機で、イギリスは景気が下降し、ブラウンは大幅な財政赤字の責任を追及され、しかも2010年総選挙時には欧州の経済危機があり、労働党は、大きく議席を失った。過半数を取れなかったが第一党となった保守党と第三党の自民党の連立政権の誕生を許したのである。

もしブラウンが早期に総選挙を実施していれば、ブラウンには5年後の任期満了まで、すなわち2012年半ばまで十分な時間があり、政治状況は大幅に変わっていただろう。現在の政治状況も全く異なっていたものと思われる。

現在のメイ保守党首相は、その高い支持率の下、2016年7月就任以来、総選挙を実施すれば大きく勝て、下院でわずかに過半数を上回るだけの状態から脱し、余裕のある政権運営ができると見られていた。しかし、メイはこれまで早期総選挙を否定してきた。

この一つの理由には、2011年固定議会法の問題がある。議会は基本的に5年に固定され、早期選挙が実施できるのは、下院議員総数の3分の2が賛成した場合か、政府が不信任され、2週間以内に信任されうる政府ができない場合に限定された。それでも、メイが自らの政府に対し不信任案を提出し、可決させるという奇手があるが、このような手法は、それなりの政治状況がなければ有権者の不信を招く可能性がある。(なお、3月7日、ヘイグ上院議員が固定議会法を廃止するべきだと主張した。しかし、この固定議会法制定時に、それまで首相に解散権を与えていた過去の法制を廃止しており、この固定議会法を廃止しただけでは2011年前の状況になるわけではない。すなわち新しい法律の制定が同時に必要となるが、それには上院の賛成も得なければならない。また、6年前とは異なる政治状況下の現在、首相にどのような解散権限を与えるかなどの議論でかなり時間がかかる可能性がある)

メイが総選挙に打って出るかどうかは別にして、明るく見えた政治状況に急に暗雲が立ち込めてきた。

危機に立つ北アイルランド政治

北アイルランド政府のマクギネス副首席大臣が辞任し、北アイルランド政治が再び混乱に陥った。

イギリスの正式な名称は、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国であり、基本的にグレートブリテン島とその周辺の島を含むイングランド、スコットランド、ウェールズとアイルランド島の北アイルランドで構成される。このうち北アイルランドでは、アイルランド共和国との統合を求めるナショナリスト(カソリック)とイギリスとの関係を維持しようとするユニオニスト(プロテスタント)の対立が深刻となり、トラブルズと呼ばれる血で血を洗う事態で、3千人以上の人が殺された。これを解決するため、メージャー保守党政権の努力を引き継いだブレア労働党政権下、アイルランド政府を交えたグッドフライデー合意が結ばれた。その後のブラウン労働党政権下でセントアンドリュース合意が結ばれ、北アイルランドの政治は大きく前進し、やっと落ち着いたように見えていた。

これらの合意の中心は北アイルランドのナショナリスト側とユニオニスト側の共同統治の原則であり、両者の合意で運営される仕組みとなっている。すなわち、両者の最大政党から同じ権限を持つ首席大臣と副首席大臣が選出され、政府が構成される。このため、ナショナリスト側最大政党のシンフェイン党のマクギネス副首席大臣が辞任し、ユニオニスト側最大政党の民主統一党(DUP)の首席大臣もその地位を失った。もし1週間以内にシンフェイン党がマクギネスの後任を指名しなければ、ウェストミンスターの中央政府の北アイルランド大臣が北アイルランド議会の選挙を実施することとなる。

マクギネス副首席大臣が辞任したのは、DUPのフォスター(Arlene Foster)首席大臣が2012年に企業相として開始したRHI(Renewable Heat Initiative)と呼ばれるスキームに関連している。RHIは、再生可能燃料源使用促進のため、燃料源を切り替えた場合に補助金を出す仕組みだが、その補助金支払いの上限を決めておらず、再生可能燃料を燃やせば燃やすほど、それを上回る補助金が得られるため、必要のない燃料を燃やし補助金を受け取る事例があることがわかった。現在では、これからの20年で4億9000万ポンド(700億円:£1=143円)の超過支払いが必要となると見られている。人口200万人足らずの分権政府で、一般財源からこの金額をねん出するのは非常に大きな重荷だ。

このスキームを巡り、フォスター首席大臣が不審な動きをしたという疑惑が浮上し、北アイルランド議会でフォスターへの不信任案が出され、過半数が賛成したが、不信任案は否決された。ナショナリスト側とユニオニスト側のそれぞれの賛成が必要だが、ユニオニスト側でDUPが反対し、ユニオニスト側の過半数が得られなかったためである。

DUP以外の政党は、この「灰買収(Cash for Ash)」スキャンダルの公的な調査を要求した。シンフェイン党は、公的な調査の一次報告書を4週間で出させ、3か月で最終報告書を出し、一次報告書が出されるまでの期間、首席大臣は、その職務を離れるという案を出した。フォスター首席大臣は、自分には何らやましいものはないと主張し、シンフェイン党の要求を拒否したが、過去数日、公的な調査を受け入れる用意はあるが、職務は離れないとしていた。

この状況を受け、シンフェイン党は、もし自分たちの案が受け入れられなければ、マクギネス副首席大臣が辞任すると発表し、その通り1月9日、マクギネスが副首席大臣を辞任したのである。

ただし、新たな選挙が実施されてもDUPが最大政党であり続ける可能性がある。

2016年北アイルランド議会議員選挙

政党

 

党首

議席

DUP

ユニオニスト

Arlene Foster

38

シンフェイン

ナショナリスト

Gerry Adams

28

UUP

ユニオニスト

Mike Nesbitt

16

社会民主労働党

ナショナリスト

Colum Eastwood

12

同盟党

その他

David Ford

8

伝統的ユニオニスト声党

ユニオニスト

Jim Allister

1

緑の党 (北アイルランド)

その他

Steven Agnew

2

利潤の前に人間党

その他

Eamonn McCann

2

無所属

ユニオニスト

  1

世論調査によると、DUPのフォスターの評価は大幅に下がっており、49%から29%になっている。ユニオニストだけを見れば、ユニオニスト第2党のアルスター統一党(UUP)のネスビット党首がフォスターを上回っている。

もし万一この選挙後、DUPのフォスターが再び首席大臣候補となるようなことになれば、シンフェイン党がDUPと協働する可能性はほとんどなく、北アイルランド政府が構成できない状態に陥ることとなるかもしれない。何度も崩れた北アイルランド政府の正常化にブレアやブラウン元首相が非常に多くの時間と労力を費やしたことを思い起こすと、メイ首相に非常に大きな重荷となることは間違いないように思われる。現在のブロークンシャー北アイルランド相は、メイ内相の下で忠実に働き、閣僚に任命された人物であり、その能力は未知数である。そのため、この問題の対応には、メイ首相が直接携わる可能性がある。

依然戦略の定まらないメイ首相

イギリスのEU大使が突然そのポストを辞任し、しかも国家公務員も辞職した。Brexit交渉が4月から始まる見通しであり、この経験豊富な人物をこの段階で失うのは大きな損失だが、その辞任の背景には、メイ政権のこのEU大使への態度と、Brexit戦略が定まらないことがあった。

メイ首相がBrexit戦略をまだ決めていないことは、明らかである。スコットランドのスタージョン首席大臣が、メイ首相の言うことは6か月前と変わっていないように感じると指摘しているが、1月8日のメイ首相のテレビのインタビューでも、ほとんど明確になっていない。

これまでもBrexitとはBrexitと主張してきたが、このインタビューで、イギリスはEUのメンバーでなくなり、EUに何らかの形で部分的に残留する可能性を否定した。移民のコントロールを最優先するかとの問い、すなわちこれをEUの単一市場に残ることよりも優先するかとの質問には答えず、いつもの、イギリスにベストの交渉結果を得るとの答えである。

これは、雑誌エコノミストが指摘したメイ首相の優柔不断さに関係しているように思われる。この傾向はこれまでにも拙稿で指摘したように内相時代にもあった。このような状態がいつまで続けられるか注目される。

自動化と雇用の動き

イギリスの中央銀行イングランド銀行(Bank of England)のチーフエコノミストが、ロボット化のためにいずれは1500万人の仕事が失われるだろうと警告した。これは、現在の仕事の半分近くである。

一方、アウトソーシングの大手Capitaが、コスト削減のために、スタッフを2千人減らし、それをロボット開発に向けると発表し、波紋を投げかけている。

人工知能とオートメーションの高度化で、将来の雇用の問題が深刻に考えられている中、このようなニュースが立て続いている。

その中、大手インターネット小売り会社アマゾンの動きも報じられた。アマゾンが、アメリカのシアトルの本社の近くに170平方メートルの小売店を開いた。この店では、ミルク、パン、それに出来合いの食品などが扱われているそうだ。アマゾン・ゴー(Amazon Go)は、現在、そのスタッフのみに開いているが、来年一般の人が使えるようになるという。イギリスでもこの名前が、12月初めに商標登録され、イギリスにも展開されると見られている。イギリスは規制が少なく、新しい事業を展開しやすいと言われる。

この店では、レジに並ぶ必要がなく、センサーが客の取り上げたものを自動的に探知し、アマゾンプライムの口座に課金するという。この結果、このような店では、4分の3の仕事が無くなると言われる。

もし、アマゾンゴーが成功すれば、他の小売業も同じことをするよう迫られると見られ、同様の動きが強まると見られている。このような動きが強まれば、そう遠くない将来、失業者がかなり出る可能性があるのではないか。

メイ首相の正体

7月に首相となったメイ首相が、それまで務めたキャメロン政権の内相時代に、イギリスでは多くの人が眉をしかめる提案を政府内でしていたことがわかった。

学校の入学にあたって、違法移民の子供を入学順位の最後尾に置き、違法移民がイギリスへ来る意欲を減らそうとしたと指摘されている。この案には、当時の教育相が強く反対した。

イギリスでは公立学校の入学にあたり、すべての子供に教育を受ける権利があるとし、子供の国籍や親の国籍を問わない。ある教師が、本人は15だと言っているが、20代に見える生徒がいると話していたことを思い出す。子供の年齢も自己申告に頼っているそうだ。それを学校に調べさせ、親の在留資格で子供に優先順位をつけさせるという提案だった。

メイは、内相として、移民の削減を図っていたが、それは目標の10万人以下を大きく上回っていた。メイの内相時代の最後の正味の移民数は、2016年6月までの1年間で33万5千人だったとする統計局の暫定推定が発表されたが、この数字は、これまで最高の33万6千人に迫るものである。もちろんこの差は誤差の範囲であるが、移民の目標の3倍以上であり、移民政策が所期の成果を挙げなかったことは明らかである。

問題は、このような政策は、16歳以下の子供は、親の立場に関係なく、教育を受ける権利があるという法に反することである。すなわち、もしこのような政策が実施されれば、裁判所で違法だと判断される可能性が極めて高い。しかも人種差別的な政策である。

その上、当時の教育相が、当時のキャメロン首相に書いた手紙の中で指摘しているように、誰も行きたがらない学校に、このような移民の子供が集中することになり、このような子供たちの隔離が進む上、他の子供たちにも悪影響が生じる可能性が強い。

このような短絡的な発想の政策を訴えたばかりか、その提案をキャメロンが受け入れなかったことでメイは激怒したという。選別教育のグラマースクールを圧倒的な反対にもかかわらず拡大しようとするメイだが、これは教育や移民問題というよりも、目的のためには手段を選ばない視野の狭いメイの正体が明らかになった一つの例と言えよう。

ブレアのイラク戦争責任を問う下院動議

イギリスは、2003年のイラク戦争に参戦し、その後、イギリス軍はイラクに2009年までとどまった。その間、179人の兵士らイギリス関係者が亡くなった。イギリスのイラク参戦への批判はやまず、労働党のブラウン首相が、イラク参戦にまつわる徹底的な調査をするためのチルコット委員会を設け、その報告が7年後の2016年にやっと提出された。

その後の余震は今なお続いている。下院で、スコットランド国民党(SNP)らがイギリスをイラク戦争に導いたブレア首相をさらに調査すべきだという動議を圧倒的多数の反対で否決した。賛成票70に対し、反対は439票だった。

チルコット委員会は、機密文書を含め、すべての文書にアクセスできる権限を与えられ、徹底的な調査をした。さらに、その報告書で批判された人には、発表前に反論の機会を与えたため、時間が非常にかかることとなった。その報告書では、イラク参戦は、最後の手段ではなかった、大量破壊兵器を持っていたという主張は正当化されない、この参戦の準備、その後の治安計画などが不適当であったという結論を出した。イラク戦争参戦を決断したブレアが議会に意図的に誤った情報を与えたかどうかという点では、それを否定し、むしろインテリジェンス当局や軍関係者の責任を問う結果となった。

下院の議決の結果には、この委員会の報告を含め、すべてのイラク戦争関係報告書が、ブレア首相が意図的に誤った情報を与えたという点を否定している中で、さらにブレア首相の調査を行うというのはブレア首相をスケープゴートにするばかりか、政府が今後同じような過ちをしないようにするという目的から外れるという判断が表れている。

ブレア元首相の責任を問う声は未だにある。SNPの下院議員、サモンド前スコットランド首席大臣がSNPの動議をリードしたが、これは、イラクで亡くなった兵士らの関係者が、ブレアが非合法の戦争に踏み切ったために無駄死にしたと、未だにブレア訴追を求めて活動していることが背景にある。

イギリスでは、下院議員が、サージェリーと呼ばれる、地元住民らとの面談をすることが通例となっている。そこでは、それぞれの住民の問題や苦情が話される。それらの人々の圧力を受けて、下院議員が動くことが多い。それは、11月28日に放映された、下院議員のサージェリーやその背景を報道したテレビ番組でよく出ている。

イラク戦争は、イラク国民にたいへん大きな影響を与えたが、それはイギリスの政治に今でも大きな影響を与えている。

政治的な判断ミスでEU離脱通知が大幅に遅れる可能性

EU離脱のためには、リスボン条約50条で定められた手続き開始のためのEUへの通知が必要である。メイ首相は、この通知を、来年3月末までには行うとし、君主の大権を使い、政府の判断で行うつもりだった。しかし、11月3日、高等法院(イングランドとウェールズ管轄)が、議会の承認が必要であると判断したため、政府は最高裁判所に上訴した。この審理は、12月5日から始まり、最高裁判所設置(2009年)以来、初めて11人の判事全員で行われる。その判断は、来年1月になる予定だ。メイは、最高裁判所で高等法院の判断が覆されると強気だが、最高裁が高等法院の判断を支持するのではないかと見られている。もちろん政府側が勝訴すれば、メイの計画通りに通知ができるが、政府側が上訴したために、政府が予想していなかったような状況に追いこまれる可能性がある。

高等法院の判断では、議会で制定された法(1972年欧州共同体法)で与えられた権利(例えば、EU内での移動の自由)を君主の大権(これは、政府の判断で行使できる)で変更できないとした。そのため、議会の両院で法案として可決される必要があるだろうと見られている。しかし、下院では保守党が過半数を占めているものの、公選ではない上院では、保守党は過半数を大きく割っている。国民投票の結果でEUを離脱することとなったため、いずれは両院とも可決すると考えられているが、そのプロセスを直ちに開始するのではなく、最高裁判所の判断を待って2か月遅らせるのが賢明かどうかという点がある。また、最高裁の判断次第では、EU法廃止も含む法案を提出する必要が出てくる可能性がある。政府はEU法廃止法案を来年以降に提出する方針だったが、もしこれも必要ならば、通知が2年遅れる可能性もあると見られている。

特に大きな問題は、最高裁判所の判断如何では、分権政府が大きな力を持つ可能性があることである。外交関係は、ロンドンのウェストミンスターの中央政府の対処することだが、イギリスがEUを離脱すれば、EU法下で保証された住民の権利、そして分権議会に分権された権限の内容に変更が生じる。これまで、ウェストミンスターの議会で、分権議会に影響の出る法案は、それぞれの分権議会で同意の決議を採択することが慣例となっている。このため、ウェストミンスターの議会でイギリスの離脱通知の法案を審議する場合、これらの分権議会が同意する必要があるかどうかという問題がある。

既に、この問題に関連して、北アイルランドの高等法院がウェストミンスター議会も北アイルランド議会の承認も必要ないと判断したが、その後の11月3日の高等法院の判断の結果、スコットランドとウェールズが最高裁の審理に意見を具申することを求める方針だ。スコットランドは、イギリスがEUを離脱しても、スコットランドがEEA(欧州経済地域)に残る可能性を模索している。つまり、EUに加盟していないが、EUの単一市場にアクセスが許され、その代わりに人の移動の自由を許すノルウェー型のモデルを念頭に入れている。

もし、ウェストミンスター議会の法案にスコットランド分権議会の同意が必要ということになれば、スコットランドがEEAに残ることを要求してくるかもしれない。

もともと、メイは、EU離脱交渉を行うにあたって、議会の関与をできるだけ避けたいと考えていた。保守党内にはEU国民投票で残留派が多かったが、議会で保守党内の残留派と離脱派の対立が表面化することを避けようとしたのである。また、EUとの離脱交渉への戦略をできるだけ外に出さないためには、議会の関与を避けることがベストだと考えている。議会の関与を避けてこのような交渉を行うことが可能とは思われないが、高等法院の予想外の判断で、メイが政治的な判断に基づいて行ったことが、その計画に狂いをもたらした。さらにメイが最高裁判所へ上訴したため、メイ政権に大きな打撃を与えかねない、予想していなかった問題が出てきた。それらはイギリスの将来の不透明感をさらに増している。