日本が英国自民党の失敗から何を学ぶことができるか?(What Can Japan learn from Nick Clegg’s Mistakes?)

英国の第3党、自民党の苦境から日本の政治が学べることがあると思われる。特に政党トップの意思決定に関することだ。自民党は、2010年総選挙後、党首クレッグのキャメロン保守党党首なら一緒に働けるという一種のフィーリングで保守党との連立に踏み切った。しかし、この決断のために自民党はその支持基盤を大きく揺るがせることとなった。

自民党は、近年、保守党と労働党の2つの大政党に飽き足らない有権者を惹きつけ、成長してきた。そして2010年総選挙では全体で23%の票を獲得した。しかし、保守党と連立政権を組んで以来、多くの支持者を失い、支持率は現在10%前後である。支持率は当然増減する、時間が経てば再び回復すると期待する向きは特に自民党に多いが、既に「汚染」されてしまった自民党への支持が急に回復すると見る人は少ない。2011年5月の地方選挙で自民党は40%の議席を失ったが、2012年の地方選挙でもさらに大きく議席を失うと見られている。地方議員は、自民党の足腰であり、その減少は、非常に大きな痛手だ。

クレッグの失敗は、総選挙で自民党に投票した有権者の期待がどのようなものだったか十分に把握していなかったことだ。総選挙後、選挙中のクレッグブームで大きく支持を伸ばしたように見えた自民党がなぜ予想外に低い議席数しか獲得できなかったのかの分析の混乱があり、はっきりと自民党の状況を把握することが難しかったこともある。しかし、フォーカスグループという世論の意識調査の方法や、それと併せた世論調査で、それを見極めることは可能だったと思われる。

フォーカスグループとは、ブレア元労働党党首・首相の下で、世論のトレンド分析を担当したグールド卿が草分けだが、少人数の様々なバックグラウンドの人を集め、自由に意見を言ってもらい、全体の意見を探る手掛かりに使う方法である。ブラウン前首相の下で世論調査を担当していた人が、その著書の中で、ブラウンがフォーカスグループで集めた結論を無視してそれとは反対の政策を打ち出し、それが、2007年秋に総選挙を断念する結果となったことを明らかにしているが、時に、大きな政治的な転機を生む可能性がある。もちろん、これに頼りすぎることには問題があるが、政治家の勘やフィーリング、さらに少数の側近の見解に頼る旧来の方法よりはるかに科学的だ。日本でも、有権者の期待を慎重にはかり、その上で政治的な決断をすることは極めて大切だろうと思われる。

自民党の行方(What choice for the Liberal Democrats)

これまで2回にわたり、2010年5月の総選挙後、保守党と連立政権を組んだ自民党の問題を見てきた。自民党は、支持率を大幅に減らし、いかようにも動きようがない、極めて苦しい立場に陥っている。保守党と連立すると決めたのは、党首のニック・クレッグであるが、自民党の党則に従い、党の連合幹部会(The Federal Executive)の支持を得た。その上、必要なかった臨時党大会まで開いて保守党との連立の了承を得たという経緯があるが、クレッグの党首としての責任は免れない。

その臨時党大会では、二代前の党首、チャールズ・ケネディが保守党との連立に反対した。ケネディは、アルコール中毒のために党首を辞めたが、優れた政治的感覚の持ち主だ。その前の党首パディ・アッシュダウンから引き継いだ党を2回の総選挙を経て、順調に成長させてきた。しかし、ケネディの声は、少数派にとどまった。もちろん、この背後には、アッシュダウンらの用意周到な根回しがあったと思われる。

今回の党大会中、党首クレッグを他の人と交代させようとする動きが報道された。このままでは自民党は、次期総選挙が新選挙区割りで行われても、現状の区割りで行われても大敗するのは間違いないと考え、それを避けようという動きだ。これを「汚染除去」と呼ぶ人がいる。連立政権に参画して自民党が「汚染」されたので、その汚染を除去しようというのである。確かにこれは一つの対策だろうが、その効果は限定的だと思われる。クレッグを除去しても、その「汚染」は完全には払しょくできないからである。クレッグの連立の決断の前、政治的コメンテーターのほとんどは、自民党が保守党と連立政権を組むことに懐疑的だった。自民党員や支持者の反対を予測したことと、有権者の多くが自民党に期待したものとかなり異なっていたためである。

有権者の多くは、自民党と労働党を似た政党と捉え、保守党に対して反対する勢力として位置付けていた。そのため、自民党支持者が労働党に投票する、またその逆は、かなり広範囲に行われており、これはタクティカル・ボーティング(戦術的投票)として選挙を決める重要な要素と考えられていた。その結果、2010年の総選挙で自民党に投票した人のかなり多くは、自分は保守党を支えるために自民党に投票したのではない、と感じている。これらの人たちが、自民党への支持をやめたことが、自民党の支持率が23%から10%へ減少した大きな原因になっている。

また、自民党は、きれいごとを言うが、それなりの原則があると考えられており、その点で有権者から一定の敬意を受けていた。それが、保守党との連立によって、大きく「汚染」されてしまったのである。つまり、「汚染」の原因をクレッグと考えて、それを除去すれば問題が解決するかというと、決してそうではないということだ。自民党の「対保守党」のスタンス、さらにその党としての原則が「汚染」されてしまったからである。

一方、今でも自民党の党員や自民党を支持している人たちが党首からクレッグを引きずりおろしたいと考えているかというと必ずしもそうではない。むしろ、連立政権内での自民党の役割を評価している人が多い。特に、9月19日のタイムズ/Populus世論調査では、保守党の少数与党ではなく、保守党と自民党の連立政権ができてよかったと考える自民党支持者は81%もいる。つまり、自民党の中では、クレッグの連立参加への決断を疑問視する声は少数にとどまっている。この状況下では、クレッグを引き下ろそうとするのはかなり難しい。また、英国の政治では、一般に「暗殺者はトップになれない」と言われる。つまり、クレッグを倒そうと誰かが名乗りを上げれば、その人はトップに選ばれないということだ。その近年の代表的な例は、サッチャーを倒そうとしたマイケル・ヘーゼルタインである。このため、現労働党党首エド・ミリバンドの兄のデービッドは、2009年に立てば、人気を失ったゴードン・ブラウンを倒す可能性がかなり高かったにもかかわらず、躊躇した。それと同様、例え、クレッグの党内での支持がかなり弱くなったとしても、それだけで対抗馬がすぐに立つとは考えにくい。

しかし、現在の支持率のレベルが継続すると、結局は、クレッグが自分から党首を退くということになろう。ただし、それは相当先のことだ。9月15日に定期国会法が成立し、基本的に5年間の会期となった。そのため、次の総選挙は、予定通り2015年の5月ごろに行われることになるだろう。あと3年半余りある。この期間に、クレッグは、自民党の政権内での貢献度をアピールし、支持を回復するよう精力を絞ることになる。ただし、一度「汚染」したイメージは、そう簡単には除染できない。保守党が1997年の総選挙で大敗して以来、「嫌な党」のイメージが今でも完全には拭い去れていないのと同じだ。最近発行された「ニック・クレッグ:伝記」は、クレッグの妻がこの期限りで党首・副首相を退くように嘆願し、クレッグがそれを受け入れたと言うが、クレッグはそれを否定し、次の総選挙後も党首を継続すると主張した。もちろん、クレッグには、それ以外の答えはないだろうが、クレッグの去就が、今後とも大きな課題であるのは間違いない。なお、英国では何事にも賭け屋が出てくるが、クレッグが次期総選挙前に党首を辞める賭け率は、賭け屋大手のウィリアムヒルによると、1-3で、その可能性はかなり低い。