ホワイトホールの冷戦(Cold War at Whitehall)

ホワイトホールとは、日本の霞が関にあたる、英国の行政の中枢の地域を指す。ある大臣が国家公務員と政治家は「冷戦状態」にあるとタイムズ紙に語った。また、過去40年間、行政と政治を見てきた、「ホワイトホール」などの著書のあるヘネシー卿は、政治家と国家公務員との関係を結婚に例えて、「こんなに関係が悪いのを見たことがない」と言う。

政治家は、国家公務員たちが自分たちの論理で働いているとし、政治家の指示や目標に従わない、また、能力に欠けるなどと批判する。一方、国家公務員側は、政治家側があまりにも多くを求めると主張し、政治家の能力を疑問視し、言うことが頻繁に変わる、実際の適用を考えずにアイデアを出してくるという不満を持っている。

お互いの不信感はかなり高まっているようだが、恐らく多くの結婚関係の問題のように、一方が完全に悪いと言うことではないように思われる。

背景

①2010年総選挙後に保守党のキャメロン首相の相率いる連立政権が誕生した。国家公務員トップらは、イートン校出身の首相を迎えて、これで普通の関係が復活できると歓迎したと言われる。1997年以来政権を担当してきた労働党の政治家、特に2007年から首相を務めたゴードン・ブラウン率いる政治家たちにはうんざりしていたようだ。
②しかし、保守党・自民党には政府の財政赤字を減らし、政府債務の拡大をできるだけ抑えるために財政削減をするという目的があった。特に保守党には「小さな政府」というイデオロギーがあった。
③キャメロン政権が目指したのは、財政削減をしながらもより良い行政を行うことである。つまり、人を減らしながら行政効率を上げることであった。
④1997年からの労働党政権下ではプレゼンテーションが重んじられた。しかも好調だった景気で、政府の税収が拡張するなどした結果、外部のコンサルタントの使用が急速に拡大した。2006年には会計検査院がそれに30億ポンド(4300億円)使われたと推定している。その後、その額は減少したが、コンサルタントに頼っていた行政の能力維持・アップが滞った。
⑤キャメロン政権では、財政削減のため、コンサルタントの使用を大幅に制限し、その仕事を既存の国家公務員に行わせようしている。

なお、英国の行政を見る場合、以下の点に留意しておく必要がある。

①労働党政権下でも既存の国家公務員の制度は柔軟性に欠けるとして外部からの人材導入に努力してきていたが、公共セクターと民間セクターでは仕事の仕方に違いがあり、必ずしもうまくいっていない。
②英国は、日本のように人事部門が個々のスタッフの業績などの情報を集め、人員配置を担当するという仕組みではない。上司はすべてのスタッフの評価を行うが、基本的にそれぞれのスタッフが仕事に応募する仕組みとなっている。
③英国の行政は政治的に中立であることが求められる。

現状

①キャメロン政権が誕生して以来、SCS(Senior Civil Servants)と呼ばれる、課長級以上の上級国家公務員の4分の1が辞任した。
②財政削減で人員削減が必要となったが、その削減は比較的取り組みやすい下のレベルのスタッフが中心となった。その結果、フロントラインの運営に影響が出た。端的な例は、国境局の移民審査官の数が減った結果、入国管理に長い行列ができるなど大きな問題となった。退職したスタッフの再雇用などが行われたと言われる。
③ウェスト・コースト本線の鉄道営業権の入札で、国家公務員が大きなミスを犯していたことがわかった。そのため、その入札決定が破棄され、政府が4千万ポンド(55億円)以上の多額の補償をしなければならなくなった。内部の調査の結果、専門知識に欠け、しかも責任が不明確な体制となっていたことがわかった。
④アッシュ(トネリコ属)という英国で広くみられる樹木の立枯病への対応が遅れたことやアナグマの間引き方針が延期されたように政府の能力への疑問を示す事件が相次いだ。
⑤2010年に教育相が、学校建て替えなどのプロジェクトを中止し、その影響を受ける学校のリストを発表したが、このリストには多くの誤りがあった。
⑥警察・犯罪コミッショナーの制度制定で、立候補資格や、当選後コミッショナーが任命できる人などの問題で制度上の不備が目立った。

上記で上げたような事件はどんな政権にも起きうることだろうが、問題は、現政権が財政削減を行いながらも、政府を有能に運営していることを示す努力に打撃を与えたことだ。

この点で特に大きな問題だったのは、2012年3月の予算での税制の失敗である。これは「オムニシャンブルズ」と呼ばれ、政府は政策の撤回や変更に迫られ、その運営能力に大きなマイナスのイメージを与えた。政治家側は、国家公務員がそれらの税政の結果をきちんと見通せなかったと批判したと伝えられる。

対応策

昨年、国家公務員改革計画が発表された。これでは、特に評価の低いスタッフへの指導、さらには解雇の方針が含まれている。さらには、国家公務員で特に弱い部門、例えば、商売的な対応能力、財政マネージメント能力、業績マネージメント能力、プロジェクトマネージメント能力の向上に力を入れているが、これらには時間がかかる。

昨年5月までキャメロン首相のストラテジストであったスティーブ・ヒルトンは、一つの省庁のスタッフの9割を実験的に削減してみる案を出したが、国家公務員のトップであるカースレイク卿から断られた。担当大臣のフランシス・モードは人員の半減を想定していると言われる。また政策の外注を進めていく考えで、その動きは既に始まっている。

モードは、大臣が事務次官を選択できる体制としたい意向だが、国家公務員側は、「行政の中立」を盾に反対している。モードは、かつてニュージーランド型の、事務次官の代わりに省庁のトップをチーフエグゼクティブとする体制を望んでいると伝えられていたが、現在では、オーストラリア方式の、大臣が多くの政治任用スタッフを抱える仕組みに関心があると言われる。このオーストラリア型の仕組みには、政治家の中にも賛否両方がある。

分析

優れた政治家・大臣はそれぞれの省庁をうまく運営できるが、能力の乏しい大臣は問題を国家公務員の責任とする傾向があると言われる。かつてブレア政権で数々の大臣職をこなし、有能な政治家と見なされたリード卿は、政治家が正しいリーダーシップを揮えば十分だとし、オーストラリア型の仕組みには反対する。

メージャー保守党政権で副首相を務めたヘーゼルタイン卿は、ヘイマーケットという大手出版会社の創設経営者であるが、ほとんどの政治家は、大臣となるまで大きな組織を運営した経験がない人たちであると指摘する。そのような政治家たちに人を使いこなし、先を見通した政策判断がきちんとできるかどうか、という問題がある。

一方では、国家公務員の能力を高める必要があると思われる。労働党政権下で有能と高い評価を受けたアドニス卿は、国家公務員は十分なトレーニングを受けていない非専門家だと指摘する。時代のニーズを担える国家公務員像の再検討が必要なようだ。

国家公務員改革を実行する人(The Person who was selected to do Civil Service Reform)

国家公務員改革計画の実施を担当する内閣府局長ポストに就いたのは、公募で選ばれた、キャサリン・カースウェル(Katherine Kerswell)という地方自治体出身の女性である。

まず、この背景を見てみよう。現在の連立政権は、国家公務員改革に力を入れている。その目的は、大きく分けて以下の4つである。

① より小さな政府。内閣府大臣フランシス・モウドが、政府のスタッフの数は44万4千人で、第二次世界大戦以降最低だと今年2月に発表したが、それよりさらに小さな政府を求めている。
② より統合された政府。特に二つ以上の省庁が関わる問題では、処理に非常に長い時間がかかる。同じ省庁内でも同様の問題がある。これらの改善。
③ 問題により迅速に対応できるようにする。プロセス重視から結果重視への移行。
④ 大きなプロジェクトの運営能力の向上。

要は、効率化とスタッフの質の向上で、恒常的な財政削減を可能にしようとしているのである。この計画は、モウド内閣府大臣と公務員トップ(Head of the Home Civil Service)のボブ・カースレイクが共同して今年6月に発表したものである。

さて、カースウェルは、地方自治体に25年間勤め、そのうちの14年間、4つのカウンシルでチーフ・エグゼクティブ職を務めてきた。なお、このチーフ・エグゼクティブはそれぞれの地方自治体の事務方のトップである。

地方自治体の関係者がなぜ、中央政府の、しかも政府全体を統括していく立場の内閣府の局長に任用されるのだろうか?

これまで行政にも外部からの人材が必要だとして民間などからの人材登用を試みてきた経緯がある。しかし、特に民間から来た人たちには、行政の中での働き方になじむことができなかった人が多い。しかし、地方自治体出身者やNHS関係出身者は、比較的それに適合しやすいといわれている。カースウェルは、カースレイクに引き続き、地方自治体出身で政府の重要な仕事に就いた人物である。

ただし、地方自治体出身者が必ずしも優れた仕事をするとは限らないようだ。例えば、現在の歳入税関庁(HMRC)のチーフ・エグゼクティブの例だ。地方自治体出身者で、幾つかの地方自治体のチーフ・エグゼクティブ職を経験し、全国でロンドンを除いて最も大きな地方自治体であるバーミンガムのチーフ・エグゼクティブとなった。その後、2005年に内務省の移民などを担当する局長職に就き、そして、その分野の業務をより専門的に独自性を持って執行するUKBAのチーフ・エグゼクティブに就いた。その後、運輸省の事務次官に応募して2010年に就任し、その後HMRCのチーフ・エグゼクティブとなった。このポストも事務次官のポストであるが、その前の運輸省の事務次官より格上である。ここまではサクセスストーリーと言えるかもしれない。ところが、その後、UKBAでこの人のリーダーシップの下、多くの問題があったことが発覚した。

確かに大きな地方自治体と中央政府は似通った面があるが、中央政府の方が扱う範囲が広く、より専門的だ。さらに、組織文化が異なる。地方自治体の運営責任者をしていたといってもそれだけでは足りないだろう。それにプラスαが必要だ。カースウェルの仕事ぶりが注目される。