日本も英国下院選挙区割りの見直しを見倣うべきだ(Japan should follow British Boundary Changes)

英国の下院選挙の選挙区割りが見直され、その具体的な選挙区別の案のイングランド分が9月13日に発表される。その後、地区別の聴聞会などを経て決定されるが、既に圏域ごとの議席数配分や線引き基準は発表されており、区割り案の変更は微修正にとどまる見通しだ。これまでの過程で、政治的な思惑があったのは事実だが、今やかなりフェアな制度になろうとしている。この見直しは、一票の格差の問題を抱える日本にとっての参考となると思われる。

今回の選挙区割りの最も重要な点は、ごく少数の特別な事情のある選挙区(すべて1選挙区から一人の議員を選ぶ小選挙区で、650選挙区を600選挙区に減らされるが、その内の5選挙区)を除いてすべての選挙区内の有権者の数を全国平均の5%以内に抑えることとした点だ。これは、日本でも見倣うべきだ。

キャメロン首相は、もともと誤差を1%以内にするように希望していたが、区割委員会は技術上の問題から10%以内とするよう求め、妥協で5%に落ち着いたという話を聞いたことがある。キャメロン首相は、できるだけ誤差を少なくしようとした。これは、実は、公平さを装いながら、実は保守党の利を狙ったものであった。保守党はもともと選挙区の有権者数を均等化すれば、労働党に有利な現状を変え、自党に有利になると考えていた。昨年5月、自由民主党との連立政権を組むに当たり、自由民主党に「代替投票制(AV)」の国民投票の実施を譲る代わりに、選挙区均等化を求め、両党で合意したのである。つまり、その時点では、もし代替投票制が実施されることになると、自由民主党に有利、保守党には不利となり、それを埋め合わせるために選挙区均等化を行うということであった。そのため、この法案の国会の審議中には労働党から「ゲリマンダリング(自党に有利な選挙区線引き)」だ、という批判の声があった。今年5月の国民投票の結果、代替投票制は否決されたが、選挙区均等化はそのまま続行することになったのである。

面白いのは、保守党は自党にかなり有利になると思い込んでおり、自由民主党にはあまり影響がないと信じられ、マスコミもそれを基にした憶測報道をしてきたことだ。しかし、保守党にかならずしも有利とは言えず、自由民主党には大打撃となるという専門家の見方もある。結局、次回の選挙後に、どの政党が利益を受けたかはっきりすることになるが、全般的にはかなりフェアな制度と言えよう。この制度を設ける動機はともかく、英国のより透明な選挙制度のためには大きな前進と言える。

「素人」菅首相の限界 What is wrong with Japanese Prime-minister Kan

東日本大震災・津波、そして福島原発の対応で国際的に評価された菅直人首相を引きずり下ろそうとする日本のマスコミと政治家の動きは、一種のヒステリー状況のように見える。この中、日本の政治家が心しておかねばならない問題が浮き彫りになった。「素人」菅首相の犯した失敗だ。

菅首相は、6月2日、党内外からの強い圧力を受けて、時期を明確にしなかったが退陣を表明した。菅首相には、東日本大震災や福島原発危機の対応に不手際があったという人が多い。首相としての資質がない、リーダーシップがないという意見もある。確かに菅首相の人気は低いが、震災・津波後の復旧・復興、福島原発問題の対応や今後の原発政策など取り組まねばならない課題が山積している。誰が新首相に選ばれても、その職に落ち着き、仕事に慣れるにはかなりの時間がかかる。そのため、新首相が選ばれても、就任当初のハネムーンの時期はあるだろうが、新首相がすぐに菅首相より優れた仕事ができるだろうと考えるのは希望的観測のように思われる。

世界の常識・日本の非常識?

6月の初めに二つの国際機関のレポートが発表された。国際原子力機関(IAEA)は、福島原発事故の対応に対し、「日本の対応は模範的で、その長期的な対応、被害地域での退避処置など見事で、よく組織されている」と述べた。さらに、国際通貨基金(IMF)は「政府と日本銀行が、迅速で決然とした行動を取り、経済への影響を抑えるのに貢献した」と評価した。6月2日の内閣不信任案の採決前、英国の公共放送BBCの東京特派員が「菅首相は震災後、国民を鼓舞するリーダーシップを発揮したが、震災前からの政争でこの危機を迎えている」と述べたが、震災後の菅首相のリーダーシップは、国際的に評価されているといえる。しかし、日本では、菅首相の対応はお粗末で、リーダーシップがないと信じられている。この差はなぜ生じているのだろうか?

日本の完璧主義

この差の原因は、マスコミ報道が「理想的な状態」と比較して菅首相の言動を批判しているためのようだ。例えば、菅首相が福島原発事故発生後、自ら原発に視察に行ったことに関して、現場の邪魔になる、首相は本部で全体を見ておくべきだ、などという批判が出た。これを始め、菅首相の一挙手一投足が批判される形となっている。BBCが6月15日に福島原発問題で、官邸と官僚、そして東京電力の間に信頼関係がなかったと報道したが、官僚からの情報が明らかにおかしく、その情報に信頼がおけない場合、より正確な情報を得るために首相は何らかの手を打つ必要がある。政府のすべての機能が効率的に働き、判断をするのに十分な正確な情報が届き、しかも指示が滞りなく正確に伝達され、実施される状況では、菅首相のヘリ視察批判が正当化されるかもしれないが、そういう状況ではなかったように思われる。

英国では、政府機関に何らかの問題がある、もしくは、首相が「完璧な人物」ではないことは当たり前であり、誰も「完璧」を追求しようとはしない。日本では、後で事実がはっきりしてから、完璧な状態と比較して、重箱の隅をつつく議論が多いように思われる。

菅首相の資質とリーダーシップ

菅首相は、「何かを成し遂げたい」という思いがないという批判があった。就任当初「強い経済、財政、社会保障を一体として実現する」といった目標を掲げ、「税と社会保障の一体改革」を実行すると打ち上げた。政権の目的としては妥当なものと言えるだろう。また、震災後の言動を見ると、日本の復旧を自ら成し遂げたいという強い意欲が窺われる。もし首相就任前に確たるものがなかったとしても、震災を経験し、それからの復興が一つの大きな目標となったのは疑いなく、菅首相が退陣時期を明確にせず、予想外の粘り腰を見せる原因となっている。

また、リーダーシップのレベルには様々なものがあり、震災後、少なくともBBCの東京特派員には、首相として国民をけん引するリーダーシップはあるように見えたようだ。もちろん、首相として内閣をまとめ、政府・官僚を率いるリーダーシップ能力はそれとは同じものではなく、政府内からも多くの首相批判があったようだ。しかし、日本の政治の問題の一つは、菅首相には「資質がない、リーダーシップがない」と批判する人たちが、次の首相にそれらを明確に求めているようには見えないことだ。

英国のトニー・ブレアが首相就任後、官僚トップの内閣書記官に「あなたには大きな組織を運営した経験がないから」と指摘されたことがある。ブレアは、首相として自分の成し遂げたいことを確立するのに3年近い時間がかかった。この間、継続してブレアの支持率は高かったが。

経営経験が乏しく、トップに就任してどのようなリーダーシップを発揮して政権を運営していくかというはっきりとした考えに乏しいように映る日本の政治家たちが、どの程度その仕事に対応していけるか疑問だ。首相にふさわしい「資質」やリーダーシップがどのようなものかはっきりさせないまま、首相としての資質がないとかリーダーシップがないと言うのは、きちんとした議論ではないだろう。「完璧な人」はおらず、しかも時間の経過やや状況の変化によって求められる人物像は異なってくる。

菅首相の失敗

菅首相の最大の失敗は、2010年参議院選挙の前、唐突に、消費税の問題で「自民党が提案している10%を参考にしたい」と提案して国民の不信を買ったことだ。このために菅首相は国民の信頼を失い、7月の参院選で民主党は惨敗した。菅首相は、参議院で多数を失い、ねじれ国会の状況を生み、それ以降、迷走してきた。結局、この出来事が菅首相の命運を決めることとなった。もし、この消費税の失言がなければ、菅首相は、衆院と参院の多数を占めており、その評価はかなり異なったものとなっていただろう。

信頼を失った効果

国民の信頼を失うことは、政治家にとってしばしば致命傷となる。もし国民の信頼があれば、「あばたもえくぼ」的な見方をされ、少々の失敗はたいした問題にはならない。初期のブレア元英国首相がこれに当たる。国民の信頼がなくなれば、何をしても、良いことでも悪いことでも、一挙手一投足が批判の対象となる。菅首相の場合、この状態に陥っているようだ。

失敗の原因

菅首相の失敗は、いくつかの原因があるだろう。その第一は、国民を読み誤ったことだ。英国の政治家なら、絶えず公の世論調査や政党の私的な世論調査で、国民の反応を常に念頭に置いて言動に注意を払う。大きな政策の提言や、政策転換を進める場合には、世論調査の上に、フォーカスグループという手法を用いて、国民の生の声を確認し、そして最終的な判断を下すことになる。フォーカスグループとは、一定の数の人を集め、そこで自由に意見を言ってもらい、その反応を分析するやり方だ。もちろん、世論調査やフォーカスグループの結果に完全に依然するというわけではなく、政治家本人の信念や政治状況からそれに反する決断をする場合もある。しかし、こういう慎重な方法は、国民の信頼をつなぎとめようとするには欠かせない。つまり、「政治家の勘」は、偶然に頼るもので、心もとないからだ。

第二に衆院で多数を占めていることへのおごりがあったように思われる。参議院選挙には勝利を収めるだろうと考え、その結果、国民を軽視していたということができるだろう。もちろん、消費税の問題は、極めてセンシティブな問題であることは承知しており、消費税を上げるためには、何らかの「選挙の洗礼」を受ける必要があるとの判断の下、消費税の話を持ち出したものと思われる。これは、英国とはかなり異なる。英国では、サッチャーでもその後のメージャーでも選挙前に「消費税を上げる」とは言わなかった。それはキャメロンでも同じだが、首相の座を確保してから消費税を上げた。こういうやり方が日本で受け入れられるかどうかは別の問題だが、少なくとも、菅首相が、消費税を上げることのできる政治状況を作るという配慮を怠ったのは事実だろう。

結局、政治を進めるうえで、トップ政治家が最も留意しなければならないのは、国民の信頼が維持される状況づくりをすることだ。それがなければ、菅首相のように一挙手一投足が批判されることになりかねない。

プロの政治

日本の政治に大きく欠けているのは、プロの政治だ。これは「素人の政治」、つまり思いつきの政治の対極を成す。問題の一つは、ほとんどの政治家が素人的だということだ。これは、選挙で選ばれることを考えればある程度やむをえないことだが、大臣に就任する人のほとんどが、実は「素人」だ。英国でも同様の問題がある。しかし、英国では、それを補うために、トップ政治家をプロの集団が取り囲み、つまり、なるべく「素人」の弊害が出てこないようにしている。プロの集団とは、単に特定の分野の専門家であるとか、政策に詳しいというだけではない。むしろ、総合的に大局を見て、世論の動きや状況の変化を把握し、問題を把握し、個別のアドバイスができることを指す。

なお、日本の政治家の中で「剛腕」と言われる小沢一郎氏は、プロの政治家だという人がいるかもしれない。しかし、「菅降ろし」の動きの中で見せた小沢氏の動きは、かつての田中角栄氏の「闇将軍」的なものを思い出させ、現代の政治には既にそぐわなくなっているという印象を受ける。また、小沢的な「プロ」は、政略に長けているかもしれないが、上に述べたプロとは意味が異なる。さらに、プロの政治家を人間関係や調整のプロととらえる人もいるかもしれないが、本当のプロとは、リーダーシップや国民との関係を重んじるものである。

「素人」菅首相の限界

菅首相の限界は、この「素人」の壁を越せなかったことだ。この素人の壁を超える人が現れてこそ、日本の政治が進展するチャンスが生まれてくるように思われる。