北アイルランド問題で苦しむメイ首相

メイ首相のEUとの離脱合意には、アイルランド島内の「イギリスの北アイルランド」と南のEU加盟国アイルランド共和国との間の国境に関する「バックストップ」が含まれている。バックストップとは、安全ネットもしくは「保険」と表現されるが、アメリカの野球のホームベース後ろの安全柵のことで、観客の安全のために設けられたものである。

現在、北アイルランドとアイルランド共和国の間の国境に建造物はない。自由通行できる。そのため、ブレクシットのバックストップとは、国境にそのような建造物を作る必要がないようにするものである。これは、1998年のグッドフライデー(ベルファスト)合意で一応終えた、北アイルランドの30年余りにわたるナショナリスト(カソリックでアイルランド共和国との統一を求める勢力)とユニオニスト(プロテスタントでイギリスとのつながりを維持していく勢力)の血にまみれた「トラブルズ」と呼ばれる状況を再びもたらせないようにするものである。国境を区切る建造物が生まれると、再びテロ活動の標的とされる可能性があると多くが心配しているためだ。

メイ首相の合意案は、EUとの関税同盟に参加しないなどのレッドラインに固執しているため、このバックストップを含まざるをえない。そしてこのバックストップゆえに、メイ率いる保守党の中の欧州リサーチグループ(ERG)がこの合意案に賛成しない。そのバックストップが半永久的に続き、イギリスはいつまでたってもEUを離脱できないのではないかと心配しているからだ。

メイ首相は北アイルランドをレベルの低い地域とでも考えていた節がある。2019年2月の初めに北アイルランドを訪れ、国境に建造物は作らないと、下院でいつも行うようなスピーチを行った。その反応は?もろ手を挙げて称賛されるようなものとは遠く離れたものだった。北アイルランドの新聞は極めて冷静で、事態を鋭く見抜いたものだった。メイのスピーチは疑問を解決し、不安を和らげるようなものではなかったというのである。メイにとっては、北アイルランドの政治関係者は、今もなお、子供のような争いを繰り広げているように見えるかもしれない。しかし、北アイルランドの政治は、その困難な時代を潜り抜けて成熟したものになっている。

メイ首相は、最初から北アイルランドを軽視していたように見える。北アイルランド問題を十分に理解していない人物を2人続けて北アイルランド相につけた。一番目のジェームス・ブロークンシャーは、本来、中立的な立場であるべきなのに、民主統一党(DUP)寄りのスタンスで、「愚か」だと批判される始末だった。二人目のカレン・ブラッドリーは、北アイルランド相に就任するまで北アイルランドの政治を十分知らなかったと話し、あきれられた。二人とも内務省でメイの下で仕えた人物である。他の多くのポストの任命と同じように、その人物の適性よりもメイとの距離を考慮した人選であったことは疑いがない。

北アイルランドでは、2016年EU国民投票で56%がEU残留に投票したように、もともと新EU寄りの姿勢が強かった。もしイギリスが合意なしでEUを離脱するようなこととなると、北アイルランドがアイルランド共和国と統一するかどうかのいわゆる「国境投票」への声が強まるだろう。そのような場合には55%の有権者が統一に投票するという世論調査がある。このままではメイ首相は、イギリスをEUから合意なしで離脱させ、しかも北アイルランドを失う役割を果たした人物となる可能性があろう。