自由民主党の元党首の死

自由民主党を1999年から2006年まで率いたチャールズ・ケネディ(1959年11月25日‐2015年6月1日)が亡くなった。55歳だった。

ケネディは、才能に恵まれた政治家だった。23歳で社会民主党(SDP、後に自由党と自由民主党を結党する)から下院議員に当選した。その後、32年間、スコットランドの選挙区から選ばれ、議員を続けてきたが、2015年総選挙では、スコットランド国民党(SNP)のブームに勝てなかった。昨年クリスマスに、親しい友人アラスター・キャンベルに「有権者は、私を好きだと言うが、SNPの勢いは強く、当選できないかもしれない」と漏らしたという。

ケネディには、政治家に必要な、本能的に状況を読めるという才能があったように思われる。これは、一面、当意即妙に対応できるという能力であり、特にBBCのニュース・クイズ番組で見られた。それで世間によく知られることとなった。面白い話をできる人は少なくないかもしれない。しかし、大局から問題を判断できる人はそう多くないように思われる。

2003年のイラク戦争では、自民党の党首として、労働党、保守党が賛成する中、反対した。大きな批判を受けたが、反対を貫き、2005年総選挙では、自由民主党は大きく議席を伸ばすこととなる。なお、ケネディ党首の下、2001年には、前回の46議席から52議席、2005年には62議席とした。

2010年総選挙で57議席を獲得した後の保守党との連立政権樹立の際もそうだった。党内では、党首のニック・クレッグをはじめ、ほとんどが賛成したのにもかかわらず、1人反対した。結局、この連立参加が、自由民主党の2015年選挙の惨敗(8議席)につながる。先を見る目があったとも言えるだろう。

ケネディの最大の敵は、自分だった。アルコールをやめられなかったのである。両親がスコットランド人だったアラスター・キャンベルは、ジャーナリスト時代からケネディと親しく、労働党のブレアに広報担当となるよう依頼された時、ケネディに相談したほどだった。キャンベルは、ブレア首相の広報局長としてスピンドクターの代表的な例となるが、かつてアルコール依存症で苦しんだことがある。キャンベルは、自分のアルコールの問題を解決するためにアルコールをやめたが、ケネディは、やめられなかった。それが2006年に党首を退く原因となる。専門家の助けも得たが、結局克服できずに終わった。アルコール依存症の克服は難しいが、その能力をフルに発揮できなかったように見えるケネディに残念なものを感じる。