ミリバンド労働党党首は反ビジネス?

2015年5月7日の総選挙まであと3か月足らず。労働党党首エド・ミリバンドは反ビジネスだという声がビジネス界からも多く聞かれるようになった。ミリバンドは本当に反ビジネスなのだろうか?

確かにミリバンドの政策には、そのように見えるものがある。例えば以下のようなものだ。①    電気、ガスのエネルギー料金を凍結して、市場の改革を行う政策。電気、ガスを供給しているエネルギー会社大手6社が、時をほぼ同じくして、原料価格が下落しているのに、先物で手配していることを理由として、価格を下げず、逆に他の理由で上げた。物価が上がり、実質賃金が下降する中、一般の人たちは生活費が圧迫され、苦しんでいるのに、エネルギー会社は自分たちの都合で動いている。エネルギー市場では、競争が働いていないとし、エネルギー料金を1年半ほど凍結してエネルギー会社間の競争が働くよう市場改革を行うとした。
②    住宅建設に適した土地をデベロッパーや企業に吐き出させる政策。人口が増加し、世帯数が増加しているのに、住宅建設が遅れているため、住宅不足が起きている。イギリスでは「グリーン地帯」と呼ばれる、開発制限が極めて厳しい地域が多く、それが住宅不足の大きな原因となっている。一方、開発の容易な「ブラウン地」で住宅建設が可能だ。ところが、デベロッパーや企業などが、そのような土地を有効利用していない場合、それを吐き出させ、住宅建設に向けさせる政策を実施しようとする。この案は、確かに慢性的な住宅不足には一定の効果があると思われる。しかし、それぞれ理由があって土地を利用していない、もしくは保有しているのに、それを強制的に行わさせることは、企業の自由を制限するとして、左翼的、反ビジネス的だという見方がある。
③    200万ポンド(3億6千万円:£1=180円)以上の市場価格の住宅に豪邸税をかける。④    所得税の最高税率を45%から50%に上げる。
⑤    銀行など金融業界のボーナスに制限を加える。

その他、税回避、脱税への取り締まり強化などの政策もある。

ミリバンドは、その政策の受け止められ方をかなり心配した。エネルギー価格の凍結を党大会で発表した際には、この政策を事前に知っていた人は極めて少なく、秘密裏に準備され、しかも最後の最後まで発表するかどうかためらった。これで思い出されるのが、ブラウン労働党政権下でノーザンロック銀行を国有化した時の動きだ。銀行の経営が行き詰まり、さらに大きな信用危機を防ぐためには国有化することが最善の方法だということはかなり前からわかっていた。自民党の財政担当のケーブル下院議員(当時:現在キャメロン政権ビジネス相)が、既に国有化を主張していたが、それを実施する決断には半年かかった。国有化がもたらす労働党への評判を心配したのである。ブレア以降謳った「ニュー労働党」の政策ではなく、古い労働党の政策だと思われたからだ。しかし、ミリバンドの場合、エネルギー凍結政策の発表に踏み切り、それ以降その政策が左翼的だと受け止められるかどうか心配することはかなり減ってきているように思われる。

ミリバンドはこれらの他、電話盗聴問題に関連して大新聞と対決した。また、ミリバンドの父ラルフ・ミリバンド(故人:マルクス主義学者だった)を過度に、しかも誇大して批判した記事を掲載したデイリー・メールとの対決に踏み切った。しかもミリバンドは、労働党の党員、党費問題で、労働組合とも対立。つまり、政治家としては、勇気のある政治家だと言える。

一方、ミリバンドは知的な面で、かなり自信があるようだ。下院での質疑応答などで、優れた発言をする人を党のリーダーたちが口頭、もしくは書いたもので誉めることはよくあることだが、ミリバンドの場合、保守党の下院議員たちにもいい発言をした人には、手書きのメモなどを送って誉めると言われる。また、他の党の議員のアイデアにも耳を傾け、意見を熱心に交換し、丁寧に対応するそうだ。そのような姿勢から、ミリバンドをいい人だという他党の議員もいる。これは、明らかに、自らの知的能力に自信のあることの裏付けと言える。2010年の労働党党首選で、本命の兄に対抗して立ち、僅差だったが、勝利した。これは自分の方が労働党の党首にふさわしく、首相としてイギリスのためになるという自信の表れだった。ただし、ミリバンドはじっくりと考えるタイプの人物で、自分に得心が行くまで考え抜く傾向がある。そのため、決断が遅いという批判がある。

ミリバンドを漫画の登場人物のようだとし、中身のない人物のように描く傾向が多々あるが、実像はかなり異なる。ビジネスは、富を創出し、企業が利潤を上げるのは正しいことだと考えているが、それでもビジネスの不当な活動には断固として反対する姿勢を示しており、ビジネスにおもねることはない。つまり、反ビジネスというより、ビジネスが、もしフェアだと思われる範囲を超えれば、厳しくあたるという姿勢に一種の脅威感を与えているということが言えるように思われる。