ヘイグ外相の辞任

キャメロン政権のウィリアム・ヘイグが外相を退き、閣僚であるが格下の「下院のリーダー」となると聞いて感じたのは、ヘイグの妻フィオンが原因ではないかということである。イギリスでは家族のことを慮り、政治から身を引く例は少なからずある。

ヘイグは、メージャー保守党内閣のウェールズ相時代にウェールズ語を省のスタッフだったフィオンから習い、恋愛結婚した。しかし、その後、フィオンが何度も流産し、結局子供ができないままである。その妻との関係をヘイグが重視したのではないかと思われたのである。

特に、ヘイグは、EUのコミッショナーに重量級の人物を送り込もうとするキャメロン首相らからの申し出でを2度断ったと伝えられる。EUのコミッショナーのポストは参加28か国から1人ずつ選出されるが、欧州委員会委員長人事で失敗したイギリスは、重要な経済関係ポストを求めるため、重量級の人物を送る必要に迫られている。一方、コミッショナーのポストには経済的な特典があり、5年間の任期を務めれば、将来的にも有利だと考える人が多い。EUとイギリスとの関係を見直す交渉はかなり困難であるが、多くが求めるポストである。

ヘイグは、それを断り、20155月に予定される次期総選挙で下院議員も退くとした。そして既に小ピットらの伝記で成功しているが、著述業を継続していくという。またスピーチ活動も継続していくと思われる。

保守党の応援を今後とも続けていくとしているが、特に来年以降は自宅にいることが多いのではないかと思われる。そのためにこれは家庭の問題ではないかと思った次第である。

ヘイグは1997年の総選挙でメージャーが敗れた後、36歳で保守党の党首となった。ところが「嫌な政党」イメージを変えようとするあまり、若気の至り的な失敗が続き、4年後の総選挙で再びブレア率いる労働党に大敗し、党首を退いた。

2005年にキャメロンが党首となり、ヘイグは影の内閣に復帰し、保守党の事実上のナンバー2として現在に至る。2010年に外相となったが、キャメロンもオズボーン財相もヘイグの知恵を必要としたと言われる。

ヘイグは16歳の時に保守党の党大会でスピーチし、その政治家への道をスタートした。1989年の補欠選挙で下院議員となったが、その政治家としての幕を54歳で閉じることとなる。

ケネス・クラーク元財相が政府のポストから74歳で退いたが、それと比べると、ヘイグの退場は時期早尚の感を禁じえない。

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