ミリバンド労働党党首は首相にふさわしくないのか?

野党第一党労働党の中から党首エド・ミリバンドに多くの批判がある。次期総選挙に向けて政策をまとめる責任者、下院議員のジョン・クラデスが抜本的な政策を党中枢がストップしているとの批判がメディアで大きく取り上げられた。この人物は、もともと党内左派で、ミリバンドとの食い違いを取り上げようとすれば、当然狙われる人物だ。 

労働党内にミリバンドに失望している人が多いと言われる。タイムズ紙のコラムニストによると、ウェストミンスターには次期首相はミリバンドと見る人が多いが、それはほとんどが保守党だという。労働党の下院議員にはミリバンドは勝つはずの選挙を失うのではないかと見ている人が多いそうだ。

ミリバンドの能力に問題があるのだろうか?

上記タイムズ紙のコラムニストは、一つ一つのミリバンドへの批判には反論できるという。インデペンデントの分析でも同じような分析がある。しかし、いずれも指摘するのは、ミリバンドのメッセージが有権者に浸透していない点だ。 

ミリバンドにはカリスマがない。ミリバンドを見ると、カリスマがそれぞれのリーダーの欠点をいかに覆い隠すかよくわかる。

例えば、筆者の見るところ、ミリバンドは、トニー・ブレアやゴードン・ブラウンを上回る点がある。社会の問題を見抜き、それに対する解を見つける能力だ。ブレアやブラウンにエネルギー価格の凍結政策が提案できたとは思えない。この政策提案は、昨年秋の党大会で出されたが、ミリバンドはこの政策を悩みに悩んだ後、突如打ち出した。

保守党らは、この政策は左の政策だ、実施不可能だ、ミリバンドに政策はないと攻撃しながら、政府の政策をそれに沿った方向へシフトさせ、監督機関にエネルギー市場に大幅に介入させている。

問題の一つは、このエネルギー政策で見られたようにミリバンドが苦しみ抜く傾向があるという点だ。ミリバンドには二面性がある。自分が大切だと思う政策を自分のものとしたいという強い意志と、自分がそう大切だとは思わない政策は成り行きに任せるという二面性だ。

自分が大切だと思う政策は自分が得心の行くまで考えようとするので、結論が出るまでに時間がかかる。そのために決断できないと批判される。一方では、些細な問題で凡ミスをすると批判される。

ミリバンドに勇気がないという批判は当たらないだろう。エネルギー価格凍結の問題でも、これは「左の政策」だ、実行不可能と攻撃されるのは十分わかっていたと思われるが、貫いた。さらに労働党と労働組合の関係を見直し、労働組合員が自動的に労働党支持費を支払っていた制度を止めた。ブレア元首相は、これはもっと前になされておくべきことだったと言ったが、実際にはそれをするだけの勇気がなかったのである。

しかもミリバンドが進めている政策は、タイムズ紙のコラムニストが指摘するように「実は、ミリバンドの抜本的な改革課題には莫大な強さ、決意、そして集中が必要とされるだろう」とされる。

ミリバンドへの批判は、党内にあるフラストレーションの顕れのように思われる。それは、イギリスで一般に考えられているリーダーシップの在り方とはかなりことなるからだ。先頭に立って、てきぱきと問題を判断し、処理していく、顕在的にいかにもリーダーのような人物ではないからだ。しかし、いかにもリーダーのように見えるタイプの人が、実際にはそう有能ではない例がかなり多い。

一方、全くカリスマのない人で、後世から非常に高く評価されている首相がいる。それは第二次世界大戦直後に首相となったクレメント・アトリーである。選挙結果が明らかになった後、アトリーでは首相の役割は務まらないとして、アトリーに替わって首相となろうとした人物がいた。それは、ブレアとブラウンを補佐したマンデルソン卿(ピーター・マンデルソン)の祖父であった。アトリーは、第二次世界大戦後の疲弊したイギリスで福祉国家を築いた人である。

ただし、ミリバンドをアトリーと比較するのは早すぎる。アトリーは、戦時中、戦争遂行に集中していたチャーチル首相の下で副首相を務め、政府の動かし方を十分に分かっていた。ミリバンドはブラウン政権で閣僚の経験があるとはいえ、その能力はまだ試されておらずその経験にも乏しい。しかもアトリーの人物を見る目と物事を割り切る能力はミリバンドに欠けているかもしれない。

ミリバンドへの批判には、党中枢の機能がきちんと働いていないことからくることが多い。これは明らかにミリバンドの人材選考の目と権限移譲に問題があるように思われる。さらにミリバンドには決断に時間がかかることが多い。

ミリバンドの能力は、もし次期総選挙後に首相となれば、本当に試されると言える。それまでは、労働党内関係者も部外者も評価はお預けということとなろう。