ある黒人女性下院議員のストーリー

ヘレン・グラント(Helen Grant1961928日生まれ)は保守党の下院議員で、キャメロン政権のスポーツ、観光、平等担当大臣を務める。英国白人の母とナイジェリア人の父を持つ混血の人物である。サンデータイムズ紙(2014420日)に本人とその母の話が紹介されている。

母のグラディスがヘレンを生んだのは21歳の時だった。当時グラディスは看護婦で、病院で働いていたナイジェリア人医師と親しくなり、ヘレンを孕んだ。グラディスの母、つまり、ヘレンの祖母も看護婦だったが、黒人やインド人の医師が来ては去っていくのをよく知っていたので、その子供の問題で大騒ぎはしなかったという。それでも皮膚の黒い子供は、1960年代にはかなりのショックだっただろうと思われる(なお、英国では黒人はブラックと表現される。また、一般にヘレンのような混血の人もブラックと表現される)。

ヘレンはイングランドの北部にあるカーライルのカウンシルハウス(公共住宅)の小さな家で、母のグラディスと祖母、そして曾祖母に育てられた。この3人の女性が、この子をきちんと育て上げたいという強い決意を持っていたようだ

特にグラディスはヘレンを厳しくしつけたという。人種差別されることも多々あったようだが、ヘレンに強くあれと促したようで「喧嘩するなら、戦い方を学べ」と教えたという。

ヘレンは8歳から柔道を始め、16歳以下の部で北部イングランド・南部スコットランド地区のチャンピオンにもなる。そのほかのスポーツでも活躍し、地域でよく知られる存在となり、ちょっかいを出されることが減ったようだ。

ヘレンは、小さなころ勉強には興味がなかったという。しかし、母グラディスがスポーツでの活躍をうまく勉強への興味を持たせるのに使い、学業も向上した。ヘレンは自分の希望したように弁護士となり、結婚、そして2010年、保守党の有名女性下院議員の後釜として保守党の強い選挙区から下院議員に選ばれ、保守党で最初の黒人女性下院議員となった。今では保守党の有望株の一人である。

母はヘレンに手がかからなくなった後、「これまであなたの面倒を見てきたけど、これからは私の番よ」と言って30代で教員に転職し、博士号も取得し、学校の管理職を20年務めた。

グラディスがヘレンに教えたことは、「高い目標をもって一生懸命に頑張れば、達成できないことはほとんどない」ということだった。