効果の乏しかった「秋の財政声明」(Osborne’s Autumn Statement Changed Little)

オズボーン財相の12月5日の「秋の財政声明」は効果が乏しかった。春の予算に次いで重要なこの声明で、財相は経済の好転と自らの財政再建策の効果を強調し、キャメロン政権の財政経済運営の成功を国民に知らしめる機会にすると考えられていた。

多くの政治コメンテーターたちは、「ストラテジスト」オズボーンが期待する評価をしたが、様々な要因からオズボーンの期待は裏切られた。

まず、ちょうどこの日、南アフリカのネルソン・マンデラが亡くなった。そのため、ニュース報道はテレビも翌日の新聞もマンデラ特集となった。「秋の財政声明」は吹き飛んでしまった。

次にこの日、最大時速142マイル(230キロ)にもなった強風が吹き荒れ、嵐のため英国各地で多くの災害をもたらした。

さらにマンデラ死去のニュースで、サッチャーが首相として、白人の南アフリカを支持し、マンデラ率いるアフリカ民族会議(ANC)をテロリスト集団として決めつけていたことに焦点が当たった。多くの英国人は、保守党がいかに「嫌な政党」であったかを改めて思いださせられた(実は、マンデラ釈放を強く要求したのはサッチャーであったが、事実と印象は必ずしも一致しない)。

マンデラ死去と英国中に大きな被害を与えた嵐がなければ、オズボーンの「秋の声明」はテレビと新聞のトップで大きく扱われていただろう。実は、この「秋の声明」はもともとその前日の12月4日に行われることになっていたが、キャメロン首相の中国訪問からの帰国を待つために1日遅らせたのである。

この中国訪問は、オズボーン財相が先に中国を訪問し、お膳立てした後であったが、政治的には失敗に終わった。経済的には60億ポンド(1兆円)の価値があったとキャメロン首相は主張したが、ファイナンシャルタイムズ紙は「中国との付き合いですべきではない痛い教訓」と題して、これ以上腰を低くすることができないほどにしたキャメロン首相の卑下の姿は英国人が困惑するほどだったと評した(なお、ガーディアン紙の同様の記事)。キャメロン首相が中国政府の危険視するダライラマに会ったという過去の政治的判断のつけがあったと言えるが、その姿には行き過ぎがあったようだ。 偶然とはいえ、財相の声明と大きな出来事が重なり、キャメロン首相の中国訪問の叡智が改めて問われる事態となったように思われる。

一方、下院のオズボーン財相は、大上段に構え過ぎ、これまで思いやりに欠けるという批判のある保守党の印象を変えようとする姿勢が見られなかった。サン紙の読者の参加したグループ評価で財相の声明を好意的に受け止めたのは4分の1にとどまっている。

労働党のボールズ影の財相は、下院で顔を真っ赤にしてオズボーン財相の経済財政運営を批判した。脳卒中で倒れるのではないかと心配になるほどで、気負い過ぎており、効果が乏しいように思われたが、翌日の新聞では、現在の経済回復は消費者の借金に支えられた消費に頼っており(タイムズ紙)、経済のバランスが取り戻されている兆候はなく(ファイナンシャルタイムズ紙)、徐々に消える可能性を指摘している。

結局、オズボーン財相の「秋の財政声明」はキャメロン保守党の命運を変えるには至らなかったように思われる。