政治の「窮鼠猫を噛む」(Miliband’s Counter Attack As a“Cornered Mouse”)

デービッド・キャメロン首相は、保守党の党首としてたいへん大きな失敗をしでかした。野党第一党の労働党エド・ミリバンド党首を追い詰め、ミリバンドを「窮鼠」の立場に追い込み、その結果、ミリバンドを「これまでと違う人物」に仕立て上げたからである。これまで穏やかで、少し臆病な所の見えたミリバンドが、これからは大胆で勇気ある行動をしていくのは間違いないだろうからだ。

フォルカーク選挙区事件

事の発端は、ユナイトという英国最大の労働組合が2015年に予定される次期総選挙の候補者に自分たちの推す人を選ぼうとしたことにある。特に、スコットランドのフォルカーク選挙区の事例に注目が集まった。

この選挙区は労働党が強く、労働党の候補者にとっては、いわゆる「安全な選挙区」である。この選挙区から選出されている現職議員が国会内のバーで暴行事件を起こしたことから労働党を離れ、次期総選挙には立候補しない。つまり、この選挙区の労働党の候補者に選ばれれば当選はほぼ間違いない。

この選挙区で、ユナイトが推した候補は、そのトップである書記長の知り合い(元ガールフレンドと報道したメディアもある)であり、しかも書記長とかつて一緒の家に住んでいたことのある、トム・ワトソンという有名労働党下院議員の国会事務所の責任者であった。ワトソンは、労働党の次期総選挙コーディネーターとして、大きな影響力を揮える立場にあった。

しかし、フォルカーク選挙区の候補者選定作業に疑問が出た。ユナイトが自分たちの候補者が有利になるよう、新しい党員を党費負担して加入させていた。もともと党員の数が少ない状態であるのに対して、ユナイトの労働組合員を、候補者選定の結果を左右できるよう、新しい党員として多数加入させていたのである。その新党員の中には、本人の知らないうちに加入していたという例もあり、不当な行為が絡んでいたようだ。労働党が調査に乗り出し、その結果、この選挙区の候補者選定をストップさせた。

そしてユナイトとの公の場での論争の結果、労働党は、党の報告書をスコットランド警察に渡し、警察が違法な行為があったかどうか調べることとなった。

フォルカークの例では、人間関係だけでもかなり面白い話だと思われる。46歳のワトソンには26歳のガールフレンドがいるが、この女性はワトソンの選挙区の隣の選挙区の労働党の候補者として選ばれている。

ユナイトには41人の推薦候補者がおり、できるだけ当選可能な選挙区に送り込もうと躍起になっていた。ユナイトには資金力があり、候補者選定そのものが組合の意のままになっているような印象が出てきていた。つまり、他の多くの選挙区でも同じようなことが起きているのではないかと思われたのである。

ただし、労働党では、候補者は労働組合員でなければならないというルールがあり(労働党ルールブック第5章A.1.B http://www.leftfutures.org/wp-content/uploads/2011/02/Labour-Party-Rule-Book-2010.pdf)、労働組合の影響を受けるのは当然だと言える。

フォルカークの問題は2週間余り前にマスコミで大きく取り扱われ始め、ワトソンは、事態の進展がかなり深刻だと考え、7月2日(火曜日)、選挙コーディネーターの役割を辞職したいとミリバンド党首に申し出たと言われる。しかし、ミリバンド党首が慰留した。この段階では、ミリバンドはこの問題をそれほど深刻だとはみなしていなかったようだ。ところが、7月3日(水曜日)の「首相のクエスチョンタイム」で、キャメロン首相が、この労働組合の候補者選定の問題を繰り返し取り上げ、ミリバンドは弱い、労働組合に牛耳られていると攻撃したことから状況が変わった。その翌日、ワトソンは選挙の役割を辞職し、ミリバンドは何らかの対策を取らねばならないこととなった。

ミリバンド党首

ミリバンド党首は、2010年9月の党首選挙で、本命だった実兄のデービッドを破って党首に選ばれた。労働党の党首選には、三つの選挙人団があり、それぞれが3分の1ずつの割合を占めることになっている。デービッドが国会・欧州議会議員団と一般党員の部で優勢だったのに対し、エド・ミリバンドは労働組合が強く推し、労働組合の部門で大きく優勢となり、その結果全体でわずかな差で党首となった。デービッドは、ブレア元首相と近く、党内右寄りで労働組合が嫌ったのである。エド・ミリバンドは、この党首選の結果から、党首に当選した時から「赤いエド」と呼ばれ、労働組合寄りと見られていた。

もともと労働党は、労働組合からの政治献金に大きく頼ってきた。労働党の23%の収入を占めていると言われる。ユナイトは、ミリバンドが党首となって以来、3年間で800万ポンド(12億円)の献金をしており、ミリバンドが労働組合をコントロールできない弱い立場にあると見られていた。

ミリバンドには、なかなか決断できない人物というイメージがあった。これまでも次期総選挙に向かうはっきりとした政策をなかなか出せないとして、何も決められないと攻撃されていた。

「首相のクエスチョンタイム」の中でキャメロン首相はフォルカークに代表される労働組合の問題に何度も触れ、ミリバンドが労働組合の影響下にあり、コントロールできない、そして弱いと繰り返し主張し、国の政治を司るには弱すぎると攻撃したのである。この背景には、労働党が世論調査で保守党をリードしており、次期総選挙後にミリバンドが単独政権、もしくは自民党との連立で首相となると見られていることがある。

保守党側は、この攻撃に効果があると信じたのだろうが、やりすぎの感があった。つまり、今後もミリバンドをこの線で攻撃していくならば、ほどほどのところで止めておき、その材料を今後とも残しておくという判断もあり得たように思われる。

ところが、ミリバンドはこの件で追い詰められてしまった。つまり、何か画期的な行動をしなければ、ミリバンドが弱いという印象を決定的に与えてしまう可能性があった。

「窮鼠猫を噛む」という言葉があるが、ミリバンドは自分の立場を守るために、7月9日(火曜日)、労働党と労働組合との関係を大きく見直し、従来、労働組合員が望まずとも、組合全体として労働党に献金していたのを、組合員が能動的に労働党に献金するとした時のみ献金がなされることに変えることを発表した。そして、組合はこれまで労働組合員の名前を労働党に知らせていなかったが、能動的に労働党を支える組合員と労働党は直接関係を持つことができるようにする方針だ。

労働党は、この新しい関係が実施されれば、多くの収入を失うこととなる。現在年に800万ポンド(12億円)労働組合から献金を受けているが、500万ポンド(7億5千万円)失うだろうとする見解もある。つまり、非常に大きなリスクがある。それでも、21世紀にふさわしい、政治不信を改善していく政治・政党としていくためには、妥当な方向だと訴えた。

しかも、ミリバンドは、その返す刀で、保守党にも切りつけた。大口献金が多い保守党にダメージとなる政治献金の上限を設けること、しかも議員報酬以外の収入については上限を設け、しかもその内容について新しい基準を設けるべきだと主張した。議員報酬以外の収入が多い議員のほとんどは保守党議員である。

ミリバンドの払った代償は決して小さなものではない。また、労働組合の幹部にとっては、それぞれの組合員への掌握力が減り、また、労働党への影響力の減少も意味する。また、党首選の三つの選挙人団制度も変更を迫られる。また、次期ロンドン市長選挙に対しては、党員だけではなく、一般の支持者も登録して候補者選定に参加できる、プライマリー方式を導入すると発表した。選挙区の候補者選定でも使えるお金の制限を設けるなど、労働組合が陰に日向に揮ってきた影響力を少なくさせるものである。労働組合の同意を取り付けるのはそう簡単ではないかもしれない。

しかしながら、これまで、ブレア時代に、多くの反対のあった、産業国有化の党効力を変えた「4条問題」や、その前のスミス時代に、党首選挙で一人一票制度を導入した時にも党指導部は改革を押し通した。今回の改革は、まさしく肉を切らせて骨を断つともいえる改革である。

転換期にある英国政治

ミリバンドの改革案の背景にあるのは、既存政党が時代の転換に対応できなくなっていることがある。主要政党はいずれも大きく党員を減らしている(参照 http://kikugawa.co.uk/?p=427)。つまり、これまでの政党政治に多くの人が関心を失っている。このような状態では、政党の地方支部が候補者を選ぶ仕組みは、ごく一部の人々の見解を反映するだけであり、また、一部の人たちによる候補者選定の「操作」を容易にする。これが、英国独立党(UKIP)などの躍進を招く一つの背景となっている。つまり、政治が人々の生活からかけ離れてきている。これを変える必要がある。

これは、政治と金の問題でもそうであり、保守党も自らの現状を大きく改革しなければならない状況と言える。

7月9日に、改革案を発表したミリバンドは、決意に満ちていた。これまでのミリバンドとは一皮むけた印象があった。

ミリバンド党首は追い詰められて、大胆な改革案を打ち出したが、これが英国の政治を大きく変える可能性がある。そしてキャメロン首相に突き付けられる質問はこうだろう。ミリバンドが弱いのか、保守党の収入源に大きな影響を与え、しかも保守党下院議員の収入に大きな影響を与える改革に踏み切れず、保守党を時代に対応して改革できないキャメロン首相が弱いのか、という問いである。