北アイルランドでのG8サミット(G8 in Northern Ireland)

8年前の2005年7月、G8サミットが英国スコットランドのグレンイーグルズで行われた。その時の印象が強く記憶に残っている。その内容ではなく、議長を務めた当時のトニー・ブレア首相の姿である。一人でたたずみ、頭を垂れて何か憔悴したように深く考え込んでいる姿であった。7月7日のことだった。その日の朝、ロンドンでイスラム教過激派による地下鉄やバスへの連続テロ事件が起き、一般の人52人が亡くなり、4名のテロリストが死んだ。

ブレア首相は、その数日前、シンガポールで行われていたIOCの総会に飛んだ。サミットへの準備で多用ではあったが、この総会では、2012年のオリンピックの開催地が決まることになっていたため、立候補していたロンドンの最後のテコ入れに行ったのである。最有力候補地はパリであった。ブレアは、開催地を決める投票権を持つ委員と個別に面会し、ロンドンを支援してくれるよう要請した。後に、アイルランドの委員が、このブレアの努力がオリンピックをロンドンに招致する決め手になったと証言している。

ブレアは、G8サミットを主催するため、7月6日のIOCでの投票を待たずに英国に帰国した。ロンドンがオリンピック開催権を獲得したというニュースで英国メディアは沸き、ブレアも満面の笑みを浮かべた。テロ事件が起きたのはその翌日だった。ブレアの姿は前日とは打って変わっていた。

今回のサミットは、北アイルランド6州のうちの一つファーマナ州のロック・アーンで6月17日と18日に行われる。G8サミットはテロの標的となる可能性があり、抗議デモなどもあることから、人里離れた、警備しやすい場所が選ばれるようになっている。今回もそうで、会場は湖に囲まれたゴルフ場のリゾートである。

北アイルランドには、長い闘争の歴史がある。プロテスタントとカソリック教徒の対立がその背景となっているが、1998年のグッドフライデー合意以降、近年急速に関係改善が進んできた。この場所がサミット会場に決められた時、北アイルランド首席大臣が、「10年、20年前には考えられなかった」と発言している。

それでも、かつてIRA(アイルランド共和国軍)などのテロで苦しめられた地域であるだけに、英国政府はかなり慎重になっている。この期間中、イングランドからも多くの警官が送られる。G8サミット、そして8月には2万5千人が集まると言われる世界警察消防競技大会が北アイルランドで開かれるため、混乱をできるだけ少なくする工夫が講じられているようだ。昨年末から、ベルファスト市庁舎の英国旗掲揚問題を巡って、プロテスタントの過激派らが継続的に暴動を起こしてきたが、ちょっとしたきっかけで問題が起きる可能性はある。

その対策の一環と思われるのが、英国政府の、北アイルランドへの経済刺激策とプロテスタントとカソリックのコミュニティの融和を図る方策である。北アイルランドには、特別な財政上の優遇措置が与えられているが、それが大幅に減少することになっていた。しかし、その優遇措置を100%認めるかわりに、北アイルランド政府は、プロテスタントとカソリックのコミュニティの間を仕切る「平和の壁」を2023年までに廃棄するなどの約束をした。

この「平和の壁」が十年で無くなる可能性は極めて低いと思われる。1998年のグッドフライデー合意時には22であったのが、現在では48もあると言われる。その壁の存在で、二つのコミュニティがはっきりと分離され、災いが少なくなったと感じている人たちが、そう簡単に納得するとは思われない。それでも、それを目標に対話、説得を進めていく過程で、心の壁も次第に低くなっていく可能性はある。少なくとも、プロテスタント側、カソリック側の両者が、ベルファスト市庁舎の国旗掲揚問題で見られたような過激な行動に出る可能性は少なくなる。

キャメロン首相が、この地をサミットの場に選んだのは、北アイルランドの平和を世界に示し、観光や投資の増加、そして経済発展の促進に役立てるためである。北アイルランドのコミュニティ間の融和がさらに進めば、無益な闘争がさらに減ることとなる。前回の2005年の開催時のテロ事件を勘案し、テロ問題を数多く起こしてきた北アイルランドをこのサミットの開催場所に選んだキャメロン首相の判断は賞賛すべきものといえるように思う。