益々強くなっているSNP

先月の総選挙でスコットランドを席巻したスコットランド国民党(SNP)が、さらに支持を増やす勢いだ。

SNPは、5月7日に行われた総選挙で、スコットランドの59議席中、56議席を獲得した。その前の2010年総選挙では、わずか6議席であったことを考えると、非常に大きな飛躍である。イギリスの総選挙、すなわち下院議員選挙は、完全小選挙区制であるため、それぞれの選挙区で最多の得票をした一人だけが当選する。そのため、SNPはスコットランドでの得票率50%で、これだけの議席を獲得した。

一方、スコットランドでは、来年のスコットランド議会議員選挙に視点が移っている。この選挙は、小選挙区比例代表併用制で行われる。日本の衆議院選挙の小選挙区比例代表並立制が、小選挙区と比例区とで別々に支持率によって当選者が決まるのに対し、スコットランドの制度は、8つに分けられた地区の比例代表に投じられた政党ごとの票の割合によって、小選挙区を含めて、議員数が決まる。つまり、小選挙区で多くの議席を獲得しても、地区ごとの比例代表で当選する人の数は制限される。この制度は、一つの政党が過半数を占めることを極めて困難にした制度である。

さて、マーケティング・リサーチ会社TNSは、世論調査の一環で、有権者の政党支持も調査しているが、来年5月5日に行われるスコットランド議会議員選挙への支持動向の世論調査(5月13日から31日実施)の結果を発表した。それによると、各党の支持率は、以下のとおりである。

スコットランド議会議員選挙の各党支持率(%)

 

 

SNP

労働党

保守党

自民党

緑の党

2015年5月世論調査

選挙区

60

19

15

3

候補者なし

地区比例

50

19

14

5

10

2011年選挙実績

選挙区

45

32

14

8

候補者なし

地区比例

44

26

12

5

4

SNPが選挙区、地区比例ともに支持率をかなり伸ばしている。なお、2011年議会選挙の結果は以下のとおりだった。

2011年スコットランド議会選挙結果(獲得議席数)

 

SNP

労働党

保守党

自民党

緑の党

無所属

選挙区

53

15

3

2

候補者なし

1

地区比例

16

22

12

3

2

0

合計

69

37

15

5

2

1

2011年には、どの党も過半数を取りにくい制度でありながら、SNPが全129議席の過半数を獲得した。そして、2014年9月、その際のマニフェストで約束した独立住民投票を実施した。

上記のTNS世論調査では、SNPが選挙区で15ポイント、比例で6ポイント伸ばしており、SNPはさらにかなり議席を伸ばす勢いだ。もちろんこの世論調査は、総選挙でSNPが大勝利を収めた後、すぐに行われたもので、1年後のスコットランド議会選挙まで続くとは必ずしも言えない。しかし、今のところ、SNPがさらに議席を伸ばし、再び過半数を獲得する勢いである。

一方、労働党の凋落ぶりが明らかであり、また、スコットランド独立住民投票で、独立に賛成した緑の党の支持が伸びている。緑の党は議席を伸ばす勢いだ。

自由民主党の元党首の死

自由民主党を1999年から2006年まで率いたチャールズ・ケネディ(1959年11月25日‐2015年6月1日)が亡くなった。55歳だった。

ケネディは、才能に恵まれた政治家だった。23歳で社会民主党(SDP、後に自由党と自由民主党を結党する)から下院議員に当選した。その後、32年間、スコットランドの選挙区から選ばれ、議員を続けてきたが、2015年総選挙では、スコットランド国民党(SNP)のブームに勝てなかった。昨年クリスマスに、親しい友人アラスター・キャンベルに「有権者は、私を好きだと言うが、SNPの勢いは強く、当選できないかもしれない」と漏らしたという。

ケネディには、政治家に必要な、本能的に状況を読めるという才能があったように思われる。これは、一面、当意即妙に対応できるという能力であり、特にBBCのニュース・クイズ番組で見られた。それで世間によく知られることとなった。面白い話をできる人は少なくないかもしれない。しかし、大局から問題を判断できる人はそう多くないように思われる。

2003年のイラク戦争では、自民党の党首として、労働党、保守党が賛成する中、反対した。大きな批判を受けたが、反対を貫き、2005年総選挙では、自由民主党は大きく議席を伸ばすこととなる。なお、ケネディ党首の下、2001年には、前回の46議席から52議席、2005年には62議席とした。

2010年総選挙で57議席を獲得した後の保守党との連立政権樹立の際もそうだった。党内では、党首のニック・クレッグをはじめ、ほとんどが賛成したのにもかかわらず、1人反対した。結局、この連立参加が、自由民主党の2015年選挙の惨敗(8議席)につながる。先を見る目があったとも言えるだろう。

ケネディの最大の敵は、自分だった。アルコールをやめられなかったのである。両親がスコットランド人だったアラスター・キャンベルは、ジャーナリスト時代からケネディと親しく、労働党のブレアに広報担当となるよう依頼された時、ケネディに相談したほどだった。キャンベルは、ブレア首相の広報局長としてスピンドクターの代表的な例となるが、かつてアルコール依存症で苦しんだことがある。キャンベルは、自分のアルコールの問題を解決するためにアルコールをやめたが、ケネディは、やめられなかった。それが2006年に党首を退く原因となる。専門家の助けも得たが、結局克服できずに終わった。アルコール依存症の克服は難しいが、その能力をフルに発揮できなかったように見えるケネディに残念なものを感じる。