「政治的自殺」を招いたツイッター投稿

政治家のツイッターには危険が伴うことはよく知られている。それは必ずしも政治家に限らず、有名人が感じたことをよく考えずに投稿し、それが批判されるということは頻繁にある。それでも政治家の場合にはその影響は特に強く感じられることが多く、BBCの世論調査などを扱う調査部の責任者は、ツイッターをする政治家は愚かだと発言したほどである。

労働党の影の内閣のメンバーがツイッターで投稿した、一見問題のないように見える写真が大きな論争を招き、労働党党首エド・ミリバンドが、そのメンバーに影の内閣を辞職させるという出来事があった。このメンバーは、当初、自分は何も誤ったことはしていないと主張したという。明らかに自らの行ったことが論議を起こす可能性に気がついていなかったようだ。

この結果、このメンバーは、自らの将来を棒に振ったと見られており、タイムズ紙は「政治的自殺」と表現した。

これは、1120日(木曜日:イギリスでは選挙は木曜日に行われる)の下院の補欠選挙に関連して起きた。この補欠選挙は、保守党の下院議員マーク・レックレスが保守党を離党し、イギリス独立党(UKIP)に移り、さらに自らのロチェスター・ストルード選挙区の有権者の信任を問うとして、自発的に下院議員の職を辞職したことから行われたものだ。

その前にも保守党の別の下院議員が同じ行動をとり、10月に補欠選挙で勝利を収めていた。しかし、同僚の選挙区は、その人口や社会構成などからUKIPに絶好の条件があると言われていたが、レックレスの選挙区は必ずしもそのような条件が恵まれているとは言えなかった。

この選挙区では保守党が強く、レックレスは2010年総選挙で全体の50%ほどの得票をして当選した。イギリスの選挙区では、通常、政党が選挙を行うため、政党組織がしっかりしていなければ勝つことは困難だ。そのため、UKIPの支持率は10%台後半で、支持率が上昇しつつあるものの、当初、選挙に勝つことは容易ではないと見られていた。ところが、この補欠選挙前に行われた、この選挙区での世論調査でUKIPが第2位の保守党に10%余りの差をつけていることがわかり、直前にはレックレスが勝つのは間違いないと見られていた。

そのような状況の中で、このツイッター事件は起きた。この選挙区で出馬していた労働党候補を応援するために、労働党の影の内閣の法務長官(Attorney General)エミリー・ソーンベリーが選挙区を訪れ、目に留まった家の写真を「ロチェスターからのイメージ」として、ツイッターで送ったのである。

このツイッターの写真は、一見変哲ないものである。家の窓からイングランドの大きな国旗(これはイギリスの国旗ではなく、イングランドのもの)を3つ掛け下ろしており、その前に白の業務用ボックスカーを停めてある。ワールドカップやオリンピックなどの大きなスポーツイベント時にはよく見かける光景である。

問題となったのは、この写真の意味しているものである。UKIPの支持者は、白人の労働者階級の、時代遅れの考え方を持つ人たちが多いと見られているが、この写真で、それを象徴しているのは国旗とボックスカーである。

この白い業務用ボックスカーは、イギリスで「ホワイトバン」と呼ばれ、政治的、社会的な意味のある「ホワイトバンマン」に関係している。この言葉は人を見下したもので、一般に、粗雑な労働者階級の人々をさす。

つまり、この選挙区は、UKIPに投票する、そのような人が多くいるところだと強調しているのである。

本来、労働党は労働者階級の人たちのための政党であった。ところが、このツイッターは、その労働者階級を見下したものであると見られた。

イギリスでは、このようなツイッターに注目し、足を取ろうとしている人が少なくない。それがさらにツイッターで取り上げられ、瞬く間に広がった。翌朝には、大衆紙サンの第一面に取り上げられた。

労働者を見下す労働党と批判を受け、党首のミリバンドが怒った。そして党首選に立候補した時からの支持者で、ミリバンドに近いソーンベリーに辞職させたのである。

ソーンベリーは法廷弁護士で、ロンドンの中でもファッショナブルな地域、イズリントンに住み、地元の選挙区から選出されている。その夫は、勅任弁護士(QC)で、高等法院の判事であり、その家は200万ポンド(37千万円:£1=185円)以上すると見られている。ソーンベリーは幼いころ両親が離婚し、母親と一緒に公営住宅(カウンシルハウス)に住んでいたことがあるが、現在の生活環境との違いが強調され、裕福な人が労働者階級の人を見下していると描写された。

総選挙まで6か月足らずで、党首のミリバンドへの能力に疑いが出ており、しかもミリバンドには有権者の気持ちがわかっていないという批判が高まっていた時だっただけに、メディアもその視点からこの出来事を評価し、報道した。

この補欠選挙では、UKIPのレックレスが当選した。次点の保守党候補との差が予想より少なかったものの、UKIPが下院で2議席目を獲得し、保守党のキャメロン首相には痛手となった。メディアは、この選挙結果とその保守党に与える影響を分析報道しながらも、ソーンベリーのツイッターの出来事を細かく報道したため、保守党に与える負の影響が和らげられ、労働党が痛手を受けたと見られた。

ただし、ミリバンドにとって、この出来事は3つの点で必ずしもマイナスばかりではなかったように思われる。

まず、この出来事で、このUKIPの勝利がより大きく、長時間報道されたように思われることだ。これは保守党にマイナスで、UKIPにプラスになる。つまり、労働党は間接的に恩恵を被る。さらにミリバンドの怒りに焦点が当たり、ミリバンドのリーダーシップを見直すことにプラスの効果があったように思える。そして3番目に、労働党の中での規律を高める効果があったのではないかと思われる。 

この3番目の点は重要だ。ミリバンドへの有権者の評価が乏しく、しかも労働党への支持率が低下している中、一部労働党関係者にミリバンドを他の人(具体的には元内相アラン・ジョンソン)に入れ替えようとする動きがあった。ミリバンドは、自ら身を引く可能性を否定していたが、この一件で、ミリバンドの決意が改めて確認されたように思われる。労働党内部には、ミリバンドのソーンベリーに対する処置は行き過ぎという批判があるほどである。また、労働党下院議員には、不用意なツイッターや発言の怖さが改めて認識されたと思われる。

この出来事は、心にスキがある中、起こるべくして起きたと言える。その意味で、そのマイナスの効果は一般の見方とは逆に、UKIPのレックレスの勝利が同時に大きく取りあげられたことで和らげられたとも言えるだろう。 

1124日に発表された、3つの世論調査では、労働党が再び保守党に4から5ポイントの差をつけている。選挙は5か月余り先である。確かにソーンベリーには「政治的自殺」だったかもしれないが、決意の固いミリバンドには幸運な出来事だったと言えるかもしれない。

ブレアの首相退任を招いた3回目の勝利

トニー・ブレアは労働党を1997年、2001年そして2005年と3回の総選挙で勝利に導き、20076月に54歳で首相を退いた。その最後となった2005年総選挙の開票の場でのブレアの苦虫をかみつぶしたような表情が今でも鮮明に思い浮かぶ。 

1997年と2001年の総選挙では、労働党は地滑り的大勝利を収め、その獲得議席数は他の政党の合計を大きく上回ったが、2005年はそれが大きく減った(下表参照)。

総選挙年 全議席数 労働党 他政党 マジョリティ
1997

659

418

241

177

2001

659

413

246

167

2005

646

355

291

64

2005年総選挙でほかの政党の合計議席との差(マジョリティ)を大きく減らした大きな原因は2003年のイラク戦争である。ブレアはイラク戦争参戦の責任を問われた。この総選挙の結果、労働党下院議員の中に次の総選挙を心配する声が高まった。

首相となる野心のあった当時財相のゴードン・ブラウンは、ブレアに自分に首相の座を譲るよう迫った。もともと二人の間には一定の時期に首相の座を譲るとの密約があったと噂されていたものの、実際にはその話は具体的なものではなかった。ブラウンは、このままでは自分が首相となる機会を失うと感じ、それがブレアへの要求を強めることとなった。結局、ブレアは2007年に首相の座をブラウンに譲り、ブラウンは2010年の総選挙まで首相を務める。

ブレアは、2005年の総選挙で勝利を収めたものの、大きく議席を失い、その党内での威信を大きく傷つけた。それが首相退任の大きな原因となった。

日本の安倍首相は前回の201212月の総選挙で地滑り的大勝利を収めた。しかし、この12月の総選挙ではその時ほどの議席は獲得できないと見られ、その威信を大きく傷つける可能性がある。