クロスビー問題(Crosby Problem)

2012年11月から保守党の選挙ストラテジストとなったオーストラリア人のリントン・クロスビーの本職はロビイストである。ロビイストとは、一般に、顧客からの依頼を受けて政府の政策に影響を与えようとして活動する人たちのことを言う。

クロスビーに、そのロビイストとしての立場と選挙ストラテジストとしての立場に「利害の対立」があるのではないかという疑問が出ている。

世界最大のタバコ会社フィリップ・モリスは、クロスビーの英国での顧客の一つであり、タバコの包装の無地化に反対してきている。キャメロン首相は元来タバコの包装の無地化に賛成であったが、その立場を変えた。その決定にクロスビーが関与しているのではないかという疑いが出た(参照 http://kikugawa.co.uk/?p=1737)。

キャメロン首相は、そのような疑惑を否定し、この疑惑を早く片付けたいと努力しているが、それがなかなか思ったようにいっていない。ウィリアム王子の妻キャサリン妃が男の子を出産し、多くの国民が将来に楽観的になっている中、この問題が影を投げかけている。

保守党支持の新聞テレグラフ紙のコメンテーターは、この問題に関心のある人は少なくなっているが、ガーディアン紙とタイムズ紙がしつこく追っていると書いている(http://blogs.telegraph.co.uk/news/benedictbrogan/100227859/the-lynton-crosby-story-is-fast-losing-its-audience/)。それにロンドンの夕刊紙イブニング・スタンダードも加わっている(http://www.standard.co.uk/news/politics/lynton-crosby-tory-strategist-could-keep-lobby-role-and-work-for-david-cameron-8729699.html)。

この問題に決着をつけようと、7月23日、クロスビーが声明を発表し、首相とタバコの包装について話したことはないと否定した(http://www.bbc.co.uk/news/uk-politics-23423947)。

また、労働党のミリバンド党首が内閣書記官長(Cabinet Secretary)にクロスビーの行動について調査するよう求めていたが、その返事で、クロスビーは保守党の仕事に従事する際の指針通りに行動しているのでその調査の必要はないとした(http://www.guardian.co.uk/politics/interactive/2013/jul/23/letter-ed-miliband-lynton-crobsy-pdf)。

ところが、この返事がきっかけでさらに次の問題が出てきたようだ。

クロスビーは、一週間に一日だけ保守党の本部の仕事をすることになっているそうだが、それでも年俸は、22万ポンド(3300万円:1ポンド=150円)と言われる。クロスビーがいかに高く評価されているかの証しである。

イブニング・スタンダードによると、クロスビーは、来年5月からフルタイムで保守党のために働くことになっている。しかし、先述の「指針」にはそのことが触れられていない。つまり、この「指針」は雇用条件を網羅したものではなく、最近になって書かれたもので、しかも口頭での合意をまとめたものだというのである。つまり、雇用条件は最初からかなり柔軟だったようだ

こういうことは実はキャメロン政権ではそう稀なことではないようだ。キャメロン政権には、最も有能な人を雇いたいという強い願望がある。

この7月から英国の中央銀行であるイングランド銀行の総裁となったカナダ人のマーク・カーニーの例にもみられる。オズボーン財相はカーニーを直接口説いたと言われるが、その過程で、総裁の任期を7年から5年とするなどカーニーの希望を取り入れた。

キャメロン首相の広報局長だったアンディ・クールソンでも同様である。クールソンは英国最大の売り上げ数を誇っていたタブロイド紙の編集長で、ニュースに非常に鋭敏な感覚を持った人物であった。育ちのよいキャメロン首相やオズボーン財相にはないタフさがあったと言われる。野党時代の保守党に広報担当としてキャメロン党首の二倍以上と言われる年俸で雇われたが、その時既に電話盗聴問題でニューズ・オブ・ザ・ワールド編集長を辞職していた。既にその時から「やばい」人物であったが、それでもキャメロンは雇った。

そして今回のクロスビーである。クロスビーには保守党内でもアッシュクロフト卿に見られるように反対があった。しかし、オーストラリアの選挙やロンドン市長選で発揮したその能力は、保守党が最も必要なストラテジストだと思わせたようだ。特にキャメロン首相に必要なのは、修羅場のような現場をくぐってきた並々ならぬ能力を発揮する人物であり、そのような人物に完全に「きれいな」人は少ないだろう。

さらに、上の3人はすべて本人が当初断ったと言われるが、説得して就任してもらった。つまり、キャメロン側は、条件を呑む側であり、決して強い立場ではなかった。このクロスビーの雇用に関する約束を「口頭」でしていたというのは、最初から「利害の対立」があろうがなかろうが気にしていなかった、もしくは触れないようにしていたというのが本当ではないか?

キャメロン首相は、クロスビーを失うことはできないので、あくまで守ろうとするだろう。オーストラリアにはクロスビーに帰ってきて選挙を手伝ってほしいと考えている政治家がいるようだが。

しかしながら、保守党の選挙を手伝う上で、クロスビーがその行動の自由を大きく制約されるのは間違いないように思われる。つまり、メディアの注目が高くなっており、保守党とクロスビーの両方を守るためにその行動を誰かが記録しておく必要があるだろうからである。

一時しのぎの保守党政権(Cameron’s Temporary Relief)

下院は夏休みに入った。キャメロン首相は、7月17日に予想されていた副大臣、政務官クラスの改造を取りやめたが、その理由は現在の保守党の良い雰囲気を壊さないためだという。改造すれば、それでポストを外される人、降格される人、またはポストを得られなかった人たちが不満を持つためだ。

確かに、この改造の話の出てきたのは、キャメロン首相への不満が非常に高まっている時であった。例えば、EU国民投票法を政権の施政方針である「女王のスピーチ」に入れなかったこと、同性結婚法を、党内の反対を押し切って進めようとしたことや、さらに保守党が最も大きく票を奪われる政党UKIPの支持率が高かった。その不満が夏の間にさらに鬱積してキャメロンの地位を脅かすことのないよう、改造で党内の統制を保とうとしたのである。

今では状況は大きく変わった。保守党内の雰囲気がはるかに良くなり、表面化していたキャメロン首相に対する不満が大きく軽減された。

保守党は党としてEU国民投票法案を提出した。これは2017年末までにEUに留まるか脱退するかの国民投票を行うことを約束するものである。連立政権をともに組む自民党が賛成しないために政府法案として出せないので、その代わりに保守党議員の議員提出法案として出した。保守党はこれを最重要法案とし、党所属議員に賛成するよう求めた。議員提出法案の審議は金曜日に行われるが、通常木曜日に選挙区に帰る議員たちのために、キャメロン首相は前日の木曜日の夕方バーベキュー大会を開き、党内融和に努めた。少なくとも保守党議員の気持ちはよくなったようだ。しかし、このEU国民投票法案が法制化される可能性はほとんどない。

同性結婚法案は、多くの保守党議員が反対したが、自民党、労働党議員の多くが賛成し、両院を通過し、女王の裁可を受けて法制化された。つまり、もう既成の事実となった。

また、UKIP支持熱が冷めてきたようで、世論調査で一時期20%にも達した支持率がその半分近くに落ち着いてきた。

一方、犯罪数が減っている。これまでに6人の内相が取り組んできたイスラム教過激派説教師アブ・カタダの本国送還にやっと成功した。

景気が改善している兆候が出てきている上、次期総選挙で政権を競う労働党は、次期総選挙の候補者選定をめぐって労働組合の関与が大きな問題となり、ミリバンド党首のリーダーシップに疑問が生じた。また、財政政策や福祉手当の削減をめぐって労働党を受け身に追い込んだ。

キャメロン政権のストラテジーが効果を出しているように感じられる。

そして下院議員も人間であり、これから1か月余りの「夏休み」が始まることを楽しみにしている。もちろん地元選挙区での活動もある程度あるだろうが。来年の夏は選挙前で、ある程度ゆっくりできるのは今年ぐらいである。その浮き上がった気持ちもあるだろう。

しかしながら、保守党の面する問題はそう楽観視できるものではない。

例えば、7月16日の「首相のクエスチョンタイム」でミリバンド労働党党首は、キャメロン首相の選挙ストラテジストのリントン・クロスビーの問題に触れた。政府がたばこの包装を規制しないとしたことについて、クロスビーのロビー会社の顧客がたばこ会社大手であることとの関係を問うたのである。キャメロン首相は、もともとたばこの包装の規制に積極的な立場を取っていた。しかし、その立場を変えた。キャメロン首相は、この政策判断は、自分とハント健康相で行った、と述べ、クロスビーから今まで「働きかけを受けたことはない」と主張した。

クロスビーは、オーストラリア人で、オーストラリアの保守連合の選挙をその卓越した戦略で連続して勝ち抜いた人物である。英国では、2005年の総選挙時に、当時の保守党党首マイケル・ハワードに頼まれて選挙を手伝った。その際には敗北したものの、その後、2008年と2012年のロンドン市長選で保守党のボリス・ジョンソンが当選するのに大きな役割を果たした。保守党内で評価が高く、2012年11月、2015年総選挙のためのステラテジストとして雇われたのである。

キャメロン首相は、ミリバンド党首がこの問題を取り上げたのは、ミリバンドが労働組合の問題で立場が弱くなっているので、それから注意をそらせるためだとし、政府は、ロビイングにはそれを規制する法律案を出すと述べた。さらにミリバンドは「弱い」と攻撃して保守党下院議員たちから喝さいを浴びた。

ここでの問題は、キャメロン首相の返答である。キャメロン首相は、クロスビーから「働きかけを受けたことがない」と答えているが、このタバコの包装の問題についてクロスビーと話したことを否定してはいない。

7月18日に英国のテレビ放送局のチャンネル4のニュース番組で、その政治部長がこの点について突っ込んだ質問を繰り返したが、キャメロン首相の答えは、「働きかけを受けたことがない」との一点張りだった。その顔は、硬直していた(その映像は、http://www.channel4.com/news/lynton-crosby-any-questions)。

クロスビーは、選挙のストラテジストとして、重要でないことは切り捨てるべきだと考えている。キャメロン首相は、このタバコの包装の問題と、アルコール飲料の最低価格を設ける課題は、いずれも総選挙前には対応しないこととした。そのような政策は、評価する人が少ない割に敵を作る可能性が高いからである。総選挙で保守党が過半数を占めるには労働党より少なくとも7から10ポイント支持率が上回っている必要があるが、現在、支持率は労働党を下回っている。そのためこのような問題に時間を費やすべきではないと考えるのは戦略的には理解できるが、問題は、このクロスビーとたばこ会社の関係である。

キャメロン側近は、クロスビーの英国の会社には多くの顧客がおり、このタバコ会社はその中のわずか一社にしか過ぎないと事態を鎮静化しようとした。これに対して、先にも取り上げたチャンネル4ニュースの有名な政治記者は、英国の大手企業に連絡を取り、誰がその顧客となっているかの調査を始めている。これまでのところ、どの企業も顧客ではないと言っているようだ。

ここでの問題は、保守党の有力な上院議員アッシュクロフト卿がキャメロンのクロスビー雇用に反対したことにも表れている。アッシュクロフト卿は、クロスビーは「ニュースの対象」となるからふさわしくないと主張した。

キャメロンには、ミリバンドも「首相のクエスチョンタイム」で指摘したように、失敗の経験がある。その最たるものは、首相の広報局長だったアンディ・クールソンの問題である。クールソンは、今では廃刊となったニューズ・オブ・ザ・ワールドの編集長時代に電話盗聴問題に関与した疑いで起訴されている。

こういう問題を承知しながらもあえてクールソンを野党時代の自分の広報担当とし、しかも首相就任後そのまま広報局長とした。しかし、クールソンは、逮捕される前に、自分は本来黒子であるべきなのに、自分がニュースの対象となったのでは仕事ができないと言って辞職した。クロスビーの問題は、これからも尾を引く可能性がある。

さらに、「首相のクエスチョンタイム」でキャメロン首相が取り上げたロビイング法案の問題である。

保守党や労働党などの国会議員が自分たちの政治的な影響力を利用してお金を稼ごうとしたことが、顧客を装ったメディアの「おとり」でさらけ出され、ロビイングには高い関心が集まっている。

このロビイング法案は、ロビイング会社が、その顧客から依頼を受けてロビイングをする場合、その顧客の名前を公表しなければならないとするものである。しかし、これが適用されるのは大臣や事務次官らに働きかけ、しかもその主要な事業がロビイングであるロビイング会社に限られる。つまり、これは、会社や組織が自らロビイングをする場合は含まれておらず、しかもロビイングの相手から大臣や事務次官らの高官を除けば、公表する必要はなくなる。

その結果、現在行われているロビイングの99%はこの範疇に含まれないことになるという(タイムズ紙 7月18日)。つまり、このロビイング法案は一種の見せかけの行動といえるだろう。キャメロン自身、クロスビーがこの範疇に入るかどうかたずねられて、クロスビーは自分に戦略のアドバイスはするが、ロビイングはしないので公表する義務はないと発言した(http://www.bbc.co.uk/news/uk-politics-23376828)。

6月末のオズボーン財相のスペンディングレヴュー(2015年度の歳出のフレームワーク)では大きな問題がなく、また、英国の景気には少し上向きの指標が出されている。楽観的な見方が強まっているが、経済成長率の見直し値で、2012年の景気後退はなかったと宣言されたことがある反面、今年の第一四半期の実質所得の下落は1987年以来最も大きく、しかも貯蓄率が減少している。独立機関である予算責任局の議長は、まだまだ予断を許さないと言う。

キャメロン首相は労働党のミリバンド党首が弱いと繰り返し強調しているが、これは希望的観測のように思われる。また、国民の関心の高いNHSの問題で、NHS病院の中に患者の死亡率の高い病院があるのは、労働党政権の責任だと主張したが、専門家は必ずしもそうは言えないと指摘している。

現在表面化している問題は労働党に責任があり、キャメロン政権は成果を着々と上げているとの主張がどこまで通用するのだろうか?

今夏は昨年とは打って変わって暑くなっており、明るいムードが漂っている。保守党支持者のキャメロン首相への支持率は高い。「首相のクエスチョンタイム」でも多くの保守党下院議員は、その内容はともかく、キャメロン首相の言うことに大きな歓声を上げた。

キャメロン首相は、とりあえず一時危ぶまれた危機を乗り越えられたが、それは政権運営が成功しているというよりも、若干の良いニュースと問題の先送りのためのように思われる。夏が終わって今秋以降、2015年総選挙に向かって、キャメロン首相の真価が問われる。