新婦の実家で行われた結婚式に招かれて (What is it like to attend an English Wedding)

_9月の初め、友人の結婚式に招かれた。妻と僕は新郎新婦の両方をよく知っている。式は、英国イングランドの中西部の新婦の親元の街で行われた。

結婚式場の英国国教会の教会は、かなりの年代物で、落ち着いたたたずまいの中にあった。入り口を入ると、テキパキと話す年配の女性が式次第を渡してくれた。かなり早く着いたので、ほとんど人はいなかった。どのあたりに座ったらよいかたずねて席に座り周囲を見回した。小ぢんまりとした教会で、縦が30メートル、横が8メートルぐらいだが、縦の半分は祭壇などがあり、式が始まる前に人で一杯になった。誰もが着飾っている。新郎のベストマンたちは3人いたが、みんな同じようなグレイの背広に同じ柄のチョッキを身に着けている。ブライズメイドも3人。全員同じブルーの肩だしドレスを着ている。

司祭が出てきた途端、誰か知っている人に似ていると思ったが、それが誰だかなかなか思い出せなかった。話し始めて、そうだ、下院議長のジョン・バーカウだと思いだした。物腰や話し方が非常によく似ている。妻にそう話すと、本当によく似ているわね、と言った。妻と私は、国会会期中、週に一回ある首相のクエスチョンタイムをビデオで録画して一緒に見ている。

午後2時から式が始まった。音楽とともに新婦がその父親と入場してきた。驚いたのは、父親が上院議員のティベット卿にそっくりだったことだ。ティベット卿は、サッチャー元首相の内閣で閣僚や保守党の幹事長を務めた人で、今でも時々マスコミに出てくるのでなじみがある。披露パーティの最中に、新婦の父親と話をしたが、ティベット卿の厳格なイメージとは異なり、物腰の柔らかい人だった。新婦は医師だが、お父さんも医師だ。大学でドイツ語を学んだが、その時のクラスメート2人の子供が日本語を話すそうだ。日本の震災や津波の被害へのお悔やみの話もあった。

さて、教会での結婚式は1時間ほどで終わった。小さな教会だが大きなパイプオルガンがあり、それとピアノが使われ、しかもバイオリニストがおり、音楽はすべて生演奏だった。日本の結婚式と同じ音楽が演奏される。讃美歌も謳われたが、クリスチャンでない僕はただ聞くだけだ。しかし、雰囲気は良い。結婚式のメインとも言える、新郎新婦が誓いの言葉を交わす際には、司祭が先に数語ずつ言葉を言い、それをそのままそれぞれが復唱する。これはウィイアム王子とケイト・ミドルトンが結婚した時も同じだった。今日は、司祭が順番を誤り、やり直すというハプニングがあった。

教会を出てから、披露パーティ会場の新婦の実家に向かった。新郎新婦はリキシャに乗った。二つの座席がついた乗り物を自転車で引っ張るものだ。僕たちは友人の自動車で移動したので新郎新婦より先に着いたが、その途中、リキシャを追い越した。少し坂があり、自転車のペダルを踏んでいる人は大変だろうと思ったが、到着した時には汗びっしょりだった。

新婦の家の周辺はかなり大きな家がいくつもある。着くと、随分大きな家で、まさしくお屋敷という感じの家だった。入り口から家まで30メートルぐらいある。その家の横のパティオ部分と裏側の広場、まさしく広場という感じだが、そこでドリンクが提供された。10人ほどの人が給仕して120人ぐらいの出席者にシャンペンと様々なカナッペが振る舞われる。シャンペンのボトルを抱えた給仕が、出席者の間を回り、空になったグラスを満たしていく。それはカナッペも同じで、手の込んだカナッペが大きな皿に盛られ、給仕が持って回る。見ただけでは何かよくわからないので、給仕の人に何ですか、と何度も尋ねた。

この間に僕は大きなミスをしでかした。これまでに何度か話したことのある女性のお腹が出ていたので、おめでたですか、と聞いたのだ。その女性は愕然とした。「えー!」と言った。その瞬間、僕は大失敗したと気付いた。着ていた服のために、お腹が強調されて出たように見えただけだった。つまり、僕は、あなたお腹が出ていますね、と言ったのと同じことをしたのだ。後で妻に叱られた。あの人は50が近づいているのよ、と言われた。こういうことは、思っても口に出してはいけないことだった。

全体の写真や個別の写真がいたるところで撮られており、ドリンク接待が2時間ぐらい続いた。そしてその後、その広場の後ろに設営されたマーキーと呼ばれる大テントに全員が入り、披露パーティが始まった。この大テントは、中途半端なものではなく、中には床があり、カーペットが敷かれている。また、舞台が作られており、そこで生バンドが演奏され、ダンスもできるようになっている。大テントの横には調理場がついているようだ。トイレはポータブルだが、高級という名前にふさわしいものが用意されていた。

大テントの中には、十幾つかの丸テーブルが設けられており、入り口の座席表に従って10人程度ずつ座るようになっていた。乾杯の後、本格的なパーティが始まった。真夜中まで続く。

パーティの途中、新鮮な空気を吸おうと外に出た際にわかったのだが、この大テントの後ろには全天候型のテニスコートがあった。その周辺を高さ4メートルほどのフェンスが囲んでいる。新婦からホッケーをよくしているという話を聞いたことがあるが、恐らくテニスもかなりできるのだろうと思った。

大テント式の結婚披露パーティは、英国では、かなり行われている。しかし、これが安価なオプションかというと決してそうではない。まず、そのような大きなテントが立てられるだけの庭が必要だ。食べ物を作り、給仕するケータリングサービスも必要。この結婚披露パーティでは給仕などケータリング関係者が20人ぐらいはいたように思う。電源も延長コードで物足りるようなものではなく、特別な240ボルトの電気配線も必要だ。一度だけのパーティのために多くのものが特別に準備されなければならない。これらの理由で、大テント式の結婚パーティは、きちんとしようとするとかなりの費用がかかる。そのため、中流でもかなり上の方の人たちやお金持ちの人が使う傾向がある。自分の家の庭で行うのは、それだけ寛げるという利点はある。近所からの招待者もわざわざ遠くまで行く必要がない。

英国では、結婚披露宴の費用は伝統的に新婦側の親が持つ。新婦側の親にとってはかなりの負担だ。僕の隣に座った、知人の女性に、そのことを聞いてみた。自分も大テント式で親の家の庭で結婚披露宴をしたというが、その費用は自分の親が持ったという。新郎側は花の費用を出したぐらいだそうだ。

料理はお仕着せの料理ではなく、かなり手が込んでいる。フェタチーズの入ったサラダから始まった。これには、日本でおつまみによく使われるわさび豆も入っており、そのコンビネーションは意外だったが、おいしかった。英国では日本の食材が様々な形で使われている。その後、タジン鍋の子羊肉、カネロニなどがビュッフェスタイルで出された。青梗菜の入った炒め物には、青梗菜にちょうど良い加減で火が入っており感心した。そしてお腹いっぱい食べた後、デザート。ウェディングケーキやベリーのデザートが出された。スピーチはその後、始まった。日本でよくあるような、仲人などからの新郎新婦への将来のアドバイスのようなものはなく、新婦の父親のスピーチ、新郎のスピーチそして新郎のベストマンのスピーチと続いた。新郎のスピーチには、関係者やお世話になった人たちへの個別の感謝の言葉が入っており、非常によく準備されていると思った。後で新郎にそのことを話すと、実は原稿はもっと長かったが、短くするようアドバイスされてかなり減らしたとのことであった。スピーチが終わるとバンドが入り、ダンスも始まった。老若男女、新郎新婦、それに新郎新婦の両親らもダンスを始め、あまりダンスをしたことのない僕も加わった。一方、ドリンクと食べ物は引き続き提供されており、英国のフルーツスコーンとコーニッシュクリームなどが出された。

結局、僕たちは午後12時前にホテルに向かった。パーティはまだ続いていた。新郎新婦は、翌日から新婚旅行でハワイに向かう。日本からハワイは比較的近いが、英国からはアメリカ経由で行かねばならず、かなり遠い。僕たちを新郎新婦二人が見送ってくれたが二人とも幸せそうだった。

日本が英国自民党の失敗から何を学ぶことができるか?(What Can Japan learn from Nick Clegg’s Mistakes?)

英国の第3党、自民党の苦境から日本の政治が学べることがあると思われる。特に政党トップの意思決定に関することだ。自民党は、2010年総選挙後、党首クレッグのキャメロン保守党党首なら一緒に働けるという一種のフィーリングで保守党との連立に踏み切った。しかし、この決断のために自民党はその支持基盤を大きく揺るがせることとなった。

自民党は、近年、保守党と労働党の2つの大政党に飽き足らない有権者を惹きつけ、成長してきた。そして2010年総選挙では全体で23%の票を獲得した。しかし、保守党と連立政権を組んで以来、多くの支持者を失い、支持率は現在10%前後である。支持率は当然増減する、時間が経てば再び回復すると期待する向きは特に自民党に多いが、既に「汚染」されてしまった自民党への支持が急に回復すると見る人は少ない。2011年5月の地方選挙で自民党は40%の議席を失ったが、2012年の地方選挙でもさらに大きく議席を失うと見られている。地方議員は、自民党の足腰であり、その減少は、非常に大きな痛手だ。

クレッグの失敗は、総選挙で自民党に投票した有権者の期待がどのようなものだったか十分に把握していなかったことだ。総選挙後、選挙中のクレッグブームで大きく支持を伸ばしたように見えた自民党がなぜ予想外に低い議席数しか獲得できなかったのかの分析の混乱があり、はっきりと自民党の状況を把握することが難しかったこともある。しかし、フォーカスグループという世論の意識調査の方法や、それと併せた世論調査で、それを見極めることは可能だったと思われる。

フォーカスグループとは、ブレア元労働党党首・首相の下で、世論のトレンド分析を担当したグールド卿が草分けだが、少人数の様々なバックグラウンドの人を集め、自由に意見を言ってもらい、全体の意見を探る手掛かりに使う方法である。ブラウン前首相の下で世論調査を担当していた人が、その著書の中で、ブラウンがフォーカスグループで集めた結論を無視してそれとは反対の政策を打ち出し、それが、2007年秋に総選挙を断念する結果となったことを明らかにしているが、時に、大きな政治的な転機を生む可能性がある。もちろん、これに頼りすぎることには問題があるが、政治家の勘やフィーリング、さらに少数の側近の見解に頼る旧来の方法よりはるかに科学的だ。日本でも、有権者の期待を慎重にはかり、その上で政治的な決断をすることは極めて大切だろうと思われる。