新婦の実家で行われた結婚式に招かれて (What is it like to attend an English Wedding)

_9月の初め、友人の結婚式に招かれた。妻と僕は新郎新婦の両方をよく知っている。式は、英国イングランドの中西部の新婦の親元の街で行われた。

結婚式場の英国国教会の教会は、かなりの年代物で、落ち着いたたたずまいの中にあった。入り口を入ると、テキパキと話す年配の女性が式次第を渡してくれた。かなり早く着いたので、ほとんど人はいなかった。どのあたりに座ったらよいかたずねて席に座り周囲を見回した。小ぢんまりとした教会で、縦が30メートル、横が8メートルぐらいだが、縦の半分は祭壇などがあり、式が始まる前に人で一杯になった。誰もが着飾っている。新郎のベストマンたちは3人いたが、みんな同じようなグレイの背広に同じ柄のチョッキを身に着けている。ブライズメイドも3人。全員同じブルーの肩だしドレスを着ている。

司祭が出てきた途端、誰か知っている人に似ていると思ったが、それが誰だかなかなか思い出せなかった。話し始めて、そうだ、下院議長のジョン・バーカウだと思いだした。物腰や話し方が非常によく似ている。妻にそう話すと、本当によく似ているわね、と言った。妻と私は、国会会期中、週に一回ある首相のクエスチョンタイムをビデオで録画して一緒に見ている。

午後2時から式が始まった。音楽とともに新婦がその父親と入場してきた。驚いたのは、父親が上院議員のティベット卿にそっくりだったことだ。ティベット卿は、サッチャー元首相の内閣で閣僚や保守党の幹事長を務めた人で、今でも時々マスコミに出てくるのでなじみがある。披露パーティの最中に、新婦の父親と話をしたが、ティベット卿の厳格なイメージとは異なり、物腰の柔らかい人だった。新婦は医師だが、お父さんも医師だ。大学でドイツ語を学んだが、その時のクラスメート2人の子供が日本語を話すそうだ。日本の震災や津波の被害へのお悔やみの話もあった。

さて、教会での結婚式は1時間ほどで終わった。小さな教会だが大きなパイプオルガンがあり、それとピアノが使われ、しかもバイオリニストがおり、音楽はすべて生演奏だった。日本の結婚式と同じ音楽が演奏される。讃美歌も謳われたが、クリスチャンでない僕はただ聞くだけだ。しかし、雰囲気は良い。結婚式のメインとも言える、新郎新婦が誓いの言葉を交わす際には、司祭が先に数語ずつ言葉を言い、それをそのままそれぞれが復唱する。これはウィイアム王子とケイト・ミドルトンが結婚した時も同じだった。今日は、司祭が順番を誤り、やり直すというハプニングがあった。

教会を出てから、披露パーティ会場の新婦の実家に向かった。新郎新婦はリキシャに乗った。二つの座席がついた乗り物を自転車で引っ張るものだ。僕たちは友人の自動車で移動したので新郎新婦より先に着いたが、その途中、リキシャを追い越した。少し坂があり、自転車のペダルを踏んでいる人は大変だろうと思ったが、到着した時には汗びっしょりだった。

新婦の家の周辺はかなり大きな家がいくつもある。着くと、随分大きな家で、まさしくお屋敷という感じの家だった。入り口から家まで30メートルぐらいある。その家の横のパティオ部分と裏側の広場、まさしく広場という感じだが、そこでドリンクが提供された。10人ほどの人が給仕して120人ぐらいの出席者にシャンペンと様々なカナッペが振る舞われる。シャンペンのボトルを抱えた給仕が、出席者の間を回り、空になったグラスを満たしていく。それはカナッペも同じで、手の込んだカナッペが大きな皿に盛られ、給仕が持って回る。見ただけでは何かよくわからないので、給仕の人に何ですか、と何度も尋ねた。

この間に僕は大きなミスをしでかした。これまでに何度か話したことのある女性のお腹が出ていたので、おめでたですか、と聞いたのだ。その女性は愕然とした。「えー!」と言った。その瞬間、僕は大失敗したと気付いた。着ていた服のために、お腹が強調されて出たように見えただけだった。つまり、僕は、あなたお腹が出ていますね、と言ったのと同じことをしたのだ。後で妻に叱られた。あの人は50が近づいているのよ、と言われた。こういうことは、思っても口に出してはいけないことだった。

全体の写真や個別の写真がいたるところで撮られており、ドリンク接待が2時間ぐらい続いた。そしてその後、その広場の後ろに設営されたマーキーと呼ばれる大テントに全員が入り、披露パーティが始まった。この大テントは、中途半端なものではなく、中には床があり、カーペットが敷かれている。また、舞台が作られており、そこで生バンドが演奏され、ダンスもできるようになっている。大テントの横には調理場がついているようだ。トイレはポータブルだが、高級という名前にふさわしいものが用意されていた。

大テントの中には、十幾つかの丸テーブルが設けられており、入り口の座席表に従って10人程度ずつ座るようになっていた。乾杯の後、本格的なパーティが始まった。真夜中まで続く。

パーティの途中、新鮮な空気を吸おうと外に出た際にわかったのだが、この大テントの後ろには全天候型のテニスコートがあった。その周辺を高さ4メートルほどのフェンスが囲んでいる。新婦からホッケーをよくしているという話を聞いたことがあるが、恐らくテニスもかなりできるのだろうと思った。

大テント式の結婚披露パーティは、英国では、かなり行われている。しかし、これが安価なオプションかというと決してそうではない。まず、そのような大きなテントが立てられるだけの庭が必要だ。食べ物を作り、給仕するケータリングサービスも必要。この結婚披露パーティでは給仕などケータリング関係者が20人ぐらいはいたように思う。電源も延長コードで物足りるようなものではなく、特別な240ボルトの電気配線も必要だ。一度だけのパーティのために多くのものが特別に準備されなければならない。これらの理由で、大テント式の結婚パーティは、きちんとしようとするとかなりの費用がかかる。そのため、中流でもかなり上の方の人たちやお金持ちの人が使う傾向がある。自分の家の庭で行うのは、それだけ寛げるという利点はある。近所からの招待者もわざわざ遠くまで行く必要がない。

英国では、結婚披露宴の費用は伝統的に新婦側の親が持つ。新婦側の親にとってはかなりの負担だ。僕の隣に座った、知人の女性に、そのことを聞いてみた。自分も大テント式で親の家の庭で結婚披露宴をしたというが、その費用は自分の親が持ったという。新郎側は花の費用を出したぐらいだそうだ。

料理はお仕着せの料理ではなく、かなり手が込んでいる。フェタチーズの入ったサラダから始まった。これには、日本でおつまみによく使われるわさび豆も入っており、そのコンビネーションは意外だったが、おいしかった。英国では日本の食材が様々な形で使われている。その後、タジン鍋の子羊肉、カネロニなどがビュッフェスタイルで出された。青梗菜の入った炒め物には、青梗菜にちょうど良い加減で火が入っており感心した。そしてお腹いっぱい食べた後、デザート。ウェディングケーキやベリーのデザートが出された。スピーチはその後、始まった。日本でよくあるような、仲人などからの新郎新婦への将来のアドバイスのようなものはなく、新婦の父親のスピーチ、新郎のスピーチそして新郎のベストマンのスピーチと続いた。新郎のスピーチには、関係者やお世話になった人たちへの個別の感謝の言葉が入っており、非常によく準備されていると思った。後で新郎にそのことを話すと、実は原稿はもっと長かったが、短くするようアドバイスされてかなり減らしたとのことであった。スピーチが終わるとバンドが入り、ダンスも始まった。老若男女、新郎新婦、それに新郎新婦の両親らもダンスを始め、あまりダンスをしたことのない僕も加わった。一方、ドリンクと食べ物は引き続き提供されており、英国のフルーツスコーンとコーニッシュクリームなどが出された。

結局、僕たちは午後12時前にホテルに向かった。パーティはまだ続いていた。新郎新婦は、翌日から新婚旅行でハワイに向かう。日本からハワイは比較的近いが、英国からはアメリカ経由で行かねばならず、かなり遠い。僕たちを新郎新婦二人が見送ってくれたが二人とも幸せそうだった。

日本が英国自民党の失敗から何を学ぶことができるか?(What Can Japan learn from Nick Clegg’s Mistakes?)

英国の第3党、自民党の苦境から日本の政治が学べることがあると思われる。特に政党トップの意思決定に関することだ。自民党は、2010年総選挙後、党首クレッグのキャメロン保守党党首なら一緒に働けるという一種のフィーリングで保守党との連立に踏み切った。しかし、この決断のために自民党はその支持基盤を大きく揺るがせることとなった。

自民党は、近年、保守党と労働党の2つの大政党に飽き足らない有権者を惹きつけ、成長してきた。そして2010年総選挙では全体で23%の票を獲得した。しかし、保守党と連立政権を組んで以来、多くの支持者を失い、支持率は現在10%前後である。支持率は当然増減する、時間が経てば再び回復すると期待する向きは特に自民党に多いが、既に「汚染」されてしまった自民党への支持が急に回復すると見る人は少ない。2011年5月の地方選挙で自民党は40%の議席を失ったが、2012年の地方選挙でもさらに大きく議席を失うと見られている。地方議員は、自民党の足腰であり、その減少は、非常に大きな痛手だ。

クレッグの失敗は、総選挙で自民党に投票した有権者の期待がどのようなものだったか十分に把握していなかったことだ。総選挙後、選挙中のクレッグブームで大きく支持を伸ばしたように見えた自民党がなぜ予想外に低い議席数しか獲得できなかったのかの分析の混乱があり、はっきりと自民党の状況を把握することが難しかったこともある。しかし、フォーカスグループという世論の意識調査の方法や、それと併せた世論調査で、それを見極めることは可能だったと思われる。

フォーカスグループとは、ブレア元労働党党首・首相の下で、世論のトレンド分析を担当したグールド卿が草分けだが、少人数の様々なバックグラウンドの人を集め、自由に意見を言ってもらい、全体の意見を探る手掛かりに使う方法である。ブラウン前首相の下で世論調査を担当していた人が、その著書の中で、ブラウンがフォーカスグループで集めた結論を無視してそれとは反対の政策を打ち出し、それが、2007年秋に総選挙を断念する結果となったことを明らかにしているが、時に、大きな政治的な転機を生む可能性がある。もちろん、これに頼りすぎることには問題があるが、政治家の勘やフィーリング、さらに少数の側近の見解に頼る旧来の方法よりはるかに科学的だ。日本でも、有権者の期待を慎重にはかり、その上で政治的な決断をすることは極めて大切だろうと思われる。

自民党の行方(What choice for the Liberal Democrats)

これまで2回にわたり、2010年5月の総選挙後、保守党と連立政権を組んだ自民党の問題を見てきた。自民党は、支持率を大幅に減らし、いかようにも動きようがない、極めて苦しい立場に陥っている。保守党と連立すると決めたのは、党首のニック・クレッグであるが、自民党の党則に従い、党の連合幹部会(The Federal Executive)の支持を得た。その上、必要なかった臨時党大会まで開いて保守党との連立の了承を得たという経緯があるが、クレッグの党首としての責任は免れない。

その臨時党大会では、二代前の党首、チャールズ・ケネディが保守党との連立に反対した。ケネディは、アルコール中毒のために党首を辞めたが、優れた政治的感覚の持ち主だ。その前の党首パディ・アッシュダウンから引き継いだ党を2回の総選挙を経て、順調に成長させてきた。しかし、ケネディの声は、少数派にとどまった。もちろん、この背後には、アッシュダウンらの用意周到な根回しがあったと思われる。

今回の党大会中、党首クレッグを他の人と交代させようとする動きが報道された。このままでは自民党は、次期総選挙が新選挙区割りで行われても、現状の区割りで行われても大敗するのは間違いないと考え、それを避けようという動きだ。これを「汚染除去」と呼ぶ人がいる。連立政権に参画して自民党が「汚染」されたので、その汚染を除去しようというのである。確かにこれは一つの対策だろうが、その効果は限定的だと思われる。クレッグを除去しても、その「汚染」は完全には払しょくできないからである。クレッグの連立の決断の前、政治的コメンテーターのほとんどは、自民党が保守党と連立政権を組むことに懐疑的だった。自民党員や支持者の反対を予測したことと、有権者の多くが自民党に期待したものとかなり異なっていたためである。

有権者の多くは、自民党と労働党を似た政党と捉え、保守党に対して反対する勢力として位置付けていた。そのため、自民党支持者が労働党に投票する、またその逆は、かなり広範囲に行われており、これはタクティカル・ボーティング(戦術的投票)として選挙を決める重要な要素と考えられていた。その結果、2010年の総選挙で自民党に投票した人のかなり多くは、自分は保守党を支えるために自民党に投票したのではない、と感じている。これらの人たちが、自民党への支持をやめたことが、自民党の支持率が23%から10%へ減少した大きな原因になっている。

また、自民党は、きれいごとを言うが、それなりの原則があると考えられており、その点で有権者から一定の敬意を受けていた。それが、保守党との連立によって、大きく「汚染」されてしまったのである。つまり、「汚染」の原因をクレッグと考えて、それを除去すれば問題が解決するかというと、決してそうではないということだ。自民党の「対保守党」のスタンス、さらにその党としての原則が「汚染」されてしまったからである。

一方、今でも自民党の党員や自民党を支持している人たちが党首からクレッグを引きずりおろしたいと考えているかというと必ずしもそうではない。むしろ、連立政権内での自民党の役割を評価している人が多い。特に、9月19日のタイムズ/Populus世論調査では、保守党の少数与党ではなく、保守党と自民党の連立政権ができてよかったと考える自民党支持者は81%もいる。つまり、自民党の中では、クレッグの連立参加への決断を疑問視する声は少数にとどまっている。この状況下では、クレッグを引き下ろそうとするのはかなり難しい。また、英国の政治では、一般に「暗殺者はトップになれない」と言われる。つまり、クレッグを倒そうと誰かが名乗りを上げれば、その人はトップに選ばれないということだ。その近年の代表的な例は、サッチャーを倒そうとしたマイケル・ヘーゼルタインである。このため、現労働党党首エド・ミリバンドの兄のデービッドは、2009年に立てば、人気を失ったゴードン・ブラウンを倒す可能性がかなり高かったにもかかわらず、躊躇した。それと同様、例え、クレッグの党内での支持がかなり弱くなったとしても、それだけで対抗馬がすぐに立つとは考えにくい。

しかし、現在の支持率のレベルが継続すると、結局は、クレッグが自分から党首を退くということになろう。ただし、それは相当先のことだ。9月15日に定期国会法が成立し、基本的に5年間の会期となった。そのため、次の総選挙は、予定通り2015年の5月ごろに行われることになるだろう。あと3年半余りある。この期間に、クレッグは、自民党の政権内での貢献度をアピールし、支持を回復するよう精力を絞ることになる。ただし、一度「汚染」したイメージは、そう簡単には除染できない。保守党が1997年の総選挙で大敗して以来、「嫌な党」のイメージが今でも完全には拭い去れていないのと同じだ。最近発行された「ニック・クレッグ:伝記」は、クレッグの妻がこの期限りで党首・副首相を退くように嘆願し、クレッグがそれを受け入れたと言うが、クレッグはそれを否定し、次の総選挙後も党首を継続すると主張した。もちろん、クレッグには、それ以外の答えはないだろうが、クレッグの去就が、今後とも大きな課題であるのは間違いない。なお、英国では何事にも賭け屋が出てくるが、クレッグが次期総選挙前に党首を辞める賭け率は、賭け屋大手のウィリアムヒルによると、1-3で、その可能性はかなり低い。

苦しむ自由民主党(Liberal Democrat Agony)

連立政権の副首相ニック・クレッグの率いる自由民主党(自民党)の支持率は、2010年5月の総選挙時の23%から現在の10%前後に大きく下落した。自民党の支持率は連立政権参画後、徐々に下降し、2010年9月ぐらいから現在のレベルに落ち着いている。その後、11月に大学学費値上げに関する学生の激しい抗議デモがあった。自民党の議員たちは、総選挙前に大学学費値上げに反対するという誓約書を大学生組合と交わしていたが、それを破ったことをマスコミは大きく報じ、自民党のイメージをさらに大きく傷つけた。党首クレッグは特に傷ついた。自宅のレターボックスに糞を投げ込まれた。また、デモ取締りに警察はケトリングというデモ参加者を囲い込む、物議を醸した戦術を取ったが、クレッグの誕生日に学生たちは自民党の党本部までデモ行進し、クレッグの誕生日のプレゼントとしてやかん(ケトル)を届けた。クレッグのために学生たちはケトリングで苦しまねばならないというプロテストの意思表示だった。

その上、保守党との連立政権に参加する代償として、自民党は、AVという自民党に有利になると思われた投票制度を導入する案の国民投票を実施する約束を取り付けた。しかし、2011年5月の国民投票では、この制度改革は大差で否決された。

さらに、下院の選挙区の数を650から50減らし600とし、その選挙区のサイズを均等にする選挙法改正法が成立し、現在その作業が進められており、そのイングランド地区の新区画案が先日発表された。この変更は、AVの国民投票を実施する代わりに、それがもし導入された場合不利となると思われた保守党が要求して行われることになったものである。この案を分析した専門家は、自民党が最も大きな打撃を受ける可能性があると分析している。

この状態を受けて、自民党は、連立政権の中で、自民党が保守党の独走を抑えて、国民を守る盾になっているとアピールする戦略を取ってきた。しかし、この戦略の効果があまり出ていない。9月19日のダイムズ/Populusの世論調査では、自民党のために連立政権の政策がより公平になっていると答えた人が54%いたが、9月18日のサンデータイムズ/YouGovの世論調査では、そもそも自民党が連立政権に加わったのは正しかったと答えた人は35%しかおらず、それが誤りだったと答えた人が48%にも上った。また同じ世論調査で、クレッグが副首相として仕事をよくやっているかどうかという問いに対し、よくやっていると答えた人は24%にとどまり、よくやっていないと答えた人は66%に上った。これらの結果が現在の低迷する支持率に反映している。

つまり、自民党は、保守党との連立に踏み切ったために、大きなダメージを受け、その党首クレッグは、それよりもさらに大きなダメージを受けていると言える。その結果、党勢を回復するには1世代かかるという見解もあるぐらいだ。

連立政権を組んだために自民党の支持が低迷しているのなら、一つの選択として、連立を解消するという方法がある。しかし、現在、総選挙になっても、支持率の大きく下降した自民党は総選挙時の57議席から、もしかすると10議席台に落ち込む可能性があるという見解もあり、とてもとれる選択肢ではない。また、現在の厳しい経済情勢の中で、政権を倒すことはできないだろう。自民党が国民を見捨てたとしてさらに大きなダメージを受ける可能性があるからだ。つまり、連立政権の中でとどまるしか手がないのである。自民党は苦しんでいる。

政治的リーダーシップ:クレッグ自民党党首・副首相(Political leadership: Lib Democrat Clegg)

連立政権を下院第一党の保守党と組む自由民主党の党大会が17日始まった。自民党の党首ニック・クレッグは連立政権の副首相として政府の政策決定に一定の影響を及ぼしており、保守党議員からその影響が強すぎると批判されているくらいだ。しかし、有権者にはそれがあまり理解されていない。クレッグのこれまでのリーダーシップを見てみよう。

2010年5月の総選挙前の主要三党首テレビ討論でクレッグは大きな人気を博し、「クレッグマニア」という言葉が生まれるくらいのブームが起こったが、予想に反して自民党は62議席から57議席へと5議席減らした。保守党が最も多くの議席を獲得したが、過半数を獲得できず、少数政権の樹立やむなしという状況となった。自民党は労働党の左だと一般に考えられており、保守党との連立は考えられないという見方が強かったからだ。一方では、労働党と自民党が連携しても過半数に足らず、そのほかの小さな政党らの協力が必要で、もしこれらの2,3位連合プラス小政党の政権ができたとしても不安定だと考えられた。

その中、保守党は、少数政権では短期政権になるのは確実であり、しかもその結果、保守党の政権運営能力に大きな疑問符がつくという判断から、自民党との連携を模索した。特に、「あの不人気のブラウン」を党首に抱える労働党を抑えて過半数を獲得できなかったのは、党首キャメロンの責任だという声が保守党内から出てきており、キャメロンの中長期的な党首としての地位も危ぶまれる状況で、キャメロンは自民党との連携を最優先としたのである。一方、クレッグは、ブラウンと手を結ぶことは総選挙中から否定的で、しかもブラウン抜きでも労働党との連携には消極的であった。クレッグは、経済的リベラルであり、自由貿易と小さな政府を信じる人物で、ブラウンや労働党よりもキャメロンとの間に考え方に類似点が多かった。クレッグとキャメロンは2人とも同じ年齢で、しかも裕福な家庭で育ち、日本とは比べ物にならないぐらい授業料の高い私立学校を経て、キャメロンはオックスフォード大学、クレッグはケンブリッジ大学を出たという条件もあった。

総選挙直後、クレッグがキャメロンと会った後、キャメロンとなら一緒に政府で働けると判断し、保守党との連立政権の樹立に踏み切った。キャメロンは、かつて財相、内相のスペシャルアドバイザーとして政府内で働いた経験があったが、基本的には大臣・首相として新人であり、是非クレッグを口説き落としたいと低姿勢だった。これは、大臣・首相として経験豊富だと自負するブラウンらの見下すような対応とは好対照であった。クレッグには自分の能力を政府で試してみたいということもあったと思われる。英国官僚トップの内閣書記官(日本の官僚のトップである内閣官房副長官よりもかなり強力なポジション)から「不安定な政権では英国の株式市場が崩れる」との警告を連立政権に参画するための理由に使った。

クレッグは党首として議席を減らしたが、総選挙中の人気の余韻が残っていた。連立合意の報に当初ショックを受けた自民党員も多かったが、党内の了承を得た。しかし、連立政権に参画後、自民党の支持率は急落したのである。総選挙で自民党は23%の得票率を得たが、今や自民党の支持率は10%前後である。過去20年で最悪の支持率を記録しており、今年5月の地方選挙でも大きく議席を減らした。

クレッグは、EUの欧州委員会で、サッチャー保守党政権で財相を務めたレオン・ブリトン委員の下で働いていた。ブリトンから認められ、保守党から下院議員に立候補するよう勧められたが、かつての保守党首相サッチャーを嫌っていたクレッグはそれを断った。そこでブリトンが自民党の元党首パディ・アッシュダウンに紹介し、アッシュダウンに政治家として育てられたのである。そして欧州議会議員1期を経て、下院議員に2005年に当選し、2007年に自民党党首として選ばれる。議員歴は短いが、アッシュダウンの後押しを受けていたことは、クレッグには大きい。2010年総選挙後、保守党との連立政権樹立で、クレッグがアッシュダウンと逐次連絡し、指導を受けていたことは間違いない。この期間、アッシュダウンがBBCから総選挙後の自民党の動きについて質問され、あまり知らないというような発言をしたが、これは煙幕だったと思われる。アッシュダウンの介入なしに、二人の直前党首、チャールズ・ケネディとメンジー・キャンベルをバイパスして連立政権の話を進めることは困難だっただろう。この連立政権参加のクレッグの決断は、1997年のブレア労働党があまりにも大勝したため、アッシュダウン率いる自民党の労働党との連立構想がご和算になったことにも関係しているだろう。ただし、この決断は、クレッグのものだ。アッシュダウンの下で、広報担当を務めた女性が「新しい人のすることはわからない」と発言したが、クレッグ以外が党首では、これまでの党同士の関係から、連立が成立するようなことは極めて難しかっただろうと思われる。問題は、自民党経験の比較的少ないクレッグのこの決断で、自民党の支持率が大幅に下がってしまったことだ。結局、クレッグは、政治家として英国の有権者を十分に理解していなかったということだ

日本も英国下院選挙区割りの見直しを見倣うべきだ(Japan should follow British Boundary Changes)

英国の下院選挙の選挙区割りが見直され、その具体的な選挙区別の案のイングランド分が9月13日に発表される。その後、地区別の聴聞会などを経て決定されるが、既に圏域ごとの議席数配分や線引き基準は発表されており、区割り案の変更は微修正にとどまる見通しだ。これまでの過程で、政治的な思惑があったのは事実だが、今やかなりフェアな制度になろうとしている。この見直しは、一票の格差の問題を抱える日本にとっての参考となると思われる。

今回の選挙区割りの最も重要な点は、ごく少数の特別な事情のある選挙区(すべて1選挙区から一人の議員を選ぶ小選挙区で、650選挙区を600選挙区に減らされるが、その内の5選挙区)を除いてすべての選挙区内の有権者の数を全国平均の5%以内に抑えることとした点だ。これは、日本でも見倣うべきだ。

キャメロン首相は、もともと誤差を1%以内にするように希望していたが、区割委員会は技術上の問題から10%以内とするよう求め、妥協で5%に落ち着いたという話を聞いたことがある。キャメロン首相は、できるだけ誤差を少なくしようとした。これは、実は、公平さを装いながら、実は保守党の利を狙ったものであった。保守党はもともと選挙区の有権者数を均等化すれば、労働党に有利な現状を変え、自党に有利になると考えていた。昨年5月、自由民主党との連立政権を組むに当たり、自由民主党に「代替投票制(AV)」の国民投票の実施を譲る代わりに、選挙区均等化を求め、両党で合意したのである。つまり、その時点では、もし代替投票制が実施されることになると、自由民主党に有利、保守党には不利となり、それを埋め合わせるために選挙区均等化を行うということであった。そのため、この法案の国会の審議中には労働党から「ゲリマンダリング(自党に有利な選挙区線引き)」だ、という批判の声があった。今年5月の国民投票の結果、代替投票制は否決されたが、選挙区均等化はそのまま続行することになったのである。

面白いのは、保守党は自党にかなり有利になると思い込んでおり、自由民主党にはあまり影響がないと信じられ、マスコミもそれを基にした憶測報道をしてきたことだ。しかし、保守党にかならずしも有利とは言えず、自由民主党には大打撃となるという専門家の見方もある。結局、次回の選挙後に、どの政党が利益を受けたかはっきりすることになるが、全般的にはかなりフェアな制度と言えよう。この制度を設ける動機はともかく、英国のより透明な選挙制度のためには大きな前進と言える。