これまでの英国2院制の強み The Strength of the Flexible British Parliamentary system

英国の議会制度は大きく変貌してきた。上下両院の議会制度は過去8世紀にわたる歴史を誇る。ウェストミンスター制度と呼ばれ、民主主義の代表的な例として多くの国がその制度を見倣ってきた。アメリカや日本もその例外ではない。しかし、18世紀や19世紀に英国式の二院制を取り入れた国々が、今やこの古い制度の罠に陥り、円滑な国政運営の大きな妨げになっているのに対し、英国には同じような問題がない。アメリカや日本では、ほぼ同じ権能を持つ上下両院の政党の勢力分野にずれがある「ねじれ」現象は深刻な問題だ。

英国では、よきにつけあしにつけ、融通の利く制度を持つがゆえにその制度が長続きしてきた。英国では、当初、上院(貴族院)だけで、後に下院が加わった。下院は、一般有権者による投票で選ばれ、上院は、任命制という形が長く確立している。これが英国の議会制の強みで、下院と上院の見解が大きく異なった場合、結局は任命制の上院側が妥協する。例えば、1840年の選挙法改正や20世紀当初のロイド=ジョージと上院の予算案をめぐる争いでは、下院の多数と政権を握る首相側が、上院の意思を変えるに足るだけの数の上院議員を新しく任命すると脅したために、上院側が折れた。つまり、上院側が任命制であることが、選挙で選ばれる下院の優越を保証し、それが議会法で確立されたのである。また、改正が通常困難な成文憲法ではなく、明文の憲法のない、いわゆる不文法の制度を取っている英国では、時間の経過や、状況の変化によって、柔軟に対処できる仕組みが備わっている。つまり、上院の任命制と不文法が英国の議会制度の柔軟さの主な原因である。

上院は時代遅れ Out of date Upper House

英国の議会制は、よきにつけあしにつけ、融通の利く制度であるため長続きしてきた。しかし、英国の連立政権は現在「より民主主義的な議会」のために、上院議員の選出に一般有権者による選挙を導入し、その特徴である融通性を大幅に減らし、新しい形の二院制をつくろうとしている。これは政党が「進歩的」なイメージを有権者に与えるための「見せかけの姿勢」だ。2010年の総選挙では、主要3党のすべてがこれをマニフェストに入れたが、本来、英国が取り組まねばならないのは、意義の薄れた2院制を廃止し、現在の下院だけの1院制とすることだ。

上院議員には任期がないが、このため、短期的な政党の利害に関わりなく、長期的な視野で国政に関与することができ、また、様々な分野の専門家が多く、法案などの吟味を実施する意義があると言われてきた。しかし、実際上、上院議員への任命には、爵位の授与が伴い、社会的な階級意識の存続にかなり大きな役割を果たしてきている。政党にとっては、上院は、古参の下院議員を送り、下院議員の世代交代を促す効果がある。また、閣僚などの大臣職に就くには上院か下院の議員であることが必要であることから、一般人を上院議員に任命して大臣職に任命できるので便利だ。さらに大口の政治献金者などを上院議員への任命で報いることも通常行われており、その上、ブラウン前首相も首相辞任時に行ったように、自分の秘書を上院議員に任命して長年の忠誠に報いるようなこともある。すべてが高尚な理由だけではない。

ところが、上院議員の選出に一般有権者による投票制を導入するということとなると、現在の上院と下院の権力バランスが変わる。上院議員の8割を選挙で選ぶという案が有力だが、これは、現在の制度で政党に好都合な面を残す意味がある。上院議員には、現在、給料はないが、そのほとんどが選挙で選ばれると、給料を出す必要がある。しかも上院の政治的な正当性が高まり、その発言力が増すこととなる。

一方、法案の吟味が上院で行われなければならないという理由はない。むしろ、社会的な階級意識を減らし、より開かれた議会を築き、屋上屋をかけるように上下両院の権能のバランスを再調整しようと努力するよりも1院制とした方が、コストの点でも、有権者の政治制度の理解の上でもはるかに効率的だと言える。2011年初め、下院の決定が法律になるのを遅らせるために、上院の長い歴史の中でも初めてアメリカ式の審議長引かせ戦術、フィルバスターが行われたが、このようなことは時代遅れだ。議会が2院である必要はない。主要政党にはいずれも多くの上院議員がおり、それらの議員からの圧力はかなり大きいものであろうが、上院の歴史的な役割は終わったという認識が英国に強く求められている。

キャメロン首相の限界 Cameron – just spin, spin and spin

ロンドンから始まり、英国各地に瞬く間に広まった暴動は、警察が強硬な対処法を取り始めた途端、急速に止まった。マスコミがこぞってCCTVなどの映像を発表し、容疑者の顔写真を公表し、容疑者が次から次に警察に逮捕されるのを見て、一般の人々は胸をなでおろし、暴動を始める準備のあった者は考えを変えたようだ。暴動を起こしても、自分が痛い目に遭うとは思ってもいなかった者たちが、今回は違うと気が付いたようだった。

イタリアのトスカニーで休暇中だったキャメロン首相は、休暇を途中で切り上げ、ロンドンに帰り、コブラと呼ばれる緊急事態対応会議を開いた。その日からロンドン警視庁などが警官の大動員をかけ、警官の休養日と休暇をキャンセルし、それまでの6千人から1万6千人に増員した。警官がロンドンの商店街など暴動の標的になりそうな場所にはあふれ、多くの商店やパブ、バーなどが店を早く締めた。店の中には、木製のボードで外回りを完全に覆い、自己防衛するものもかなり出た。その結果、ロンドンでは直ちに暴動騒ぎは収まり、それ以外の地域でもその翌日には収まった。

この結果を見て、キャメロン首相は、自分が「勝利」をもたらしたかのような発言をした。キャメロン首相にとっての誤算は、警察側が直ちにそれに反駁したことだ。事態を鎮静化させた手段は、すべて警察が判断して実施したものであり、首相は、直接指示したり、警官の休養日や休暇をキャンセルしたりする権限はない、と言ったのだ。国民の多くは、首相にどういう権限があり、首相と警察との関係を知らなかった。結局、警察側の剣幕に驚いたキャメロン首相は、翌日には、警察官の勇気を称えるなど大幅にトーンダウンした。

キャメロン首相は、もともと広報マンで、見栄えの良い、聞こえのよい話を好む傾向がある。自分にプラスになると思われるチャンスは見逃さない。問題は、それが行き過ぎると、かえって逆効果になることだ。本来、責任は自分が取り、手柄は警察に与えるという態度が本当のリーダーである。「広報マン」首相キャメロンの限界である。

「素人」菅首相の限界 What is wrong with Japanese Prime-minister Kan

東日本大震災・津波、そして福島原発の対応で国際的に評価された菅直人首相を引きずり下ろそうとする日本のマスコミと政治家の動きは、一種のヒステリー状況のように見える。この中、日本の政治家が心しておかねばならない問題が浮き彫りになった。「素人」菅首相の犯した失敗だ。

菅首相は、6月2日、党内外からの強い圧力を受けて、時期を明確にしなかったが退陣を表明した。菅首相には、東日本大震災や福島原発危機の対応に不手際があったという人が多い。首相としての資質がない、リーダーシップがないという意見もある。確かに菅首相の人気は低いが、震災・津波後の復旧・復興、福島原発問題の対応や今後の原発政策など取り組まねばならない課題が山積している。誰が新首相に選ばれても、その職に落ち着き、仕事に慣れるにはかなりの時間がかかる。そのため、新首相が選ばれても、就任当初のハネムーンの時期はあるだろうが、新首相がすぐに菅首相より優れた仕事ができるだろうと考えるのは希望的観測のように思われる。

世界の常識・日本の非常識?

6月の初めに二つの国際機関のレポートが発表された。国際原子力機関(IAEA)は、福島原発事故の対応に対し、「日本の対応は模範的で、その長期的な対応、被害地域での退避処置など見事で、よく組織されている」と述べた。さらに、国際通貨基金(IMF)は「政府と日本銀行が、迅速で決然とした行動を取り、経済への影響を抑えるのに貢献した」と評価した。6月2日の内閣不信任案の採決前、英国の公共放送BBCの東京特派員が「菅首相は震災後、国民を鼓舞するリーダーシップを発揮したが、震災前からの政争でこの危機を迎えている」と述べたが、震災後の菅首相のリーダーシップは、国際的に評価されているといえる。しかし、日本では、菅首相の対応はお粗末で、リーダーシップがないと信じられている。この差はなぜ生じているのだろうか?

日本の完璧主義

この差の原因は、マスコミ報道が「理想的な状態」と比較して菅首相の言動を批判しているためのようだ。例えば、菅首相が福島原発事故発生後、自ら原発に視察に行ったことに関して、現場の邪魔になる、首相は本部で全体を見ておくべきだ、などという批判が出た。これを始め、菅首相の一挙手一投足が批判される形となっている。BBCが6月15日に福島原発問題で、官邸と官僚、そして東京電力の間に信頼関係がなかったと報道したが、官僚からの情報が明らかにおかしく、その情報に信頼がおけない場合、より正確な情報を得るために首相は何らかの手を打つ必要がある。政府のすべての機能が効率的に働き、判断をするのに十分な正確な情報が届き、しかも指示が滞りなく正確に伝達され、実施される状況では、菅首相のヘリ視察批判が正当化されるかもしれないが、そういう状況ではなかったように思われる。

英国では、政府機関に何らかの問題がある、もしくは、首相が「完璧な人物」ではないことは当たり前であり、誰も「完璧」を追求しようとはしない。日本では、後で事実がはっきりしてから、完璧な状態と比較して、重箱の隅をつつく議論が多いように思われる。

菅首相の資質とリーダーシップ

菅首相は、「何かを成し遂げたい」という思いがないという批判があった。就任当初「強い経済、財政、社会保障を一体として実現する」といった目標を掲げ、「税と社会保障の一体改革」を実行すると打ち上げた。政権の目的としては妥当なものと言えるだろう。また、震災後の言動を見ると、日本の復旧を自ら成し遂げたいという強い意欲が窺われる。もし首相就任前に確たるものがなかったとしても、震災を経験し、それからの復興が一つの大きな目標となったのは疑いなく、菅首相が退陣時期を明確にせず、予想外の粘り腰を見せる原因となっている。

また、リーダーシップのレベルには様々なものがあり、震災後、少なくともBBCの東京特派員には、首相として国民をけん引するリーダーシップはあるように見えたようだ。もちろん、首相として内閣をまとめ、政府・官僚を率いるリーダーシップ能力はそれとは同じものではなく、政府内からも多くの首相批判があったようだ。しかし、日本の政治の問題の一つは、菅首相には「資質がない、リーダーシップがない」と批判する人たちが、次の首相にそれらを明確に求めているようには見えないことだ。

英国のトニー・ブレアが首相就任後、官僚トップの内閣書記官に「あなたには大きな組織を運営した経験がないから」と指摘されたことがある。ブレアは、首相として自分の成し遂げたいことを確立するのに3年近い時間がかかった。この間、継続してブレアの支持率は高かったが。

経営経験が乏しく、トップに就任してどのようなリーダーシップを発揮して政権を運営していくかというはっきりとした考えに乏しいように映る日本の政治家たちが、どの程度その仕事に対応していけるか疑問だ。首相にふさわしい「資質」やリーダーシップがどのようなものかはっきりさせないまま、首相としての資質がないとかリーダーシップがないと言うのは、きちんとした議論ではないだろう。「完璧な人」はおらず、しかも時間の経過やや状況の変化によって求められる人物像は異なってくる。

菅首相の失敗

菅首相の最大の失敗は、2010年参議院選挙の前、唐突に、消費税の問題で「自民党が提案している10%を参考にしたい」と提案して国民の不信を買ったことだ。このために菅首相は国民の信頼を失い、7月の参院選で民主党は惨敗した。菅首相は、参議院で多数を失い、ねじれ国会の状況を生み、それ以降、迷走してきた。結局、この出来事が菅首相の命運を決めることとなった。もし、この消費税の失言がなければ、菅首相は、衆院と参院の多数を占めており、その評価はかなり異なったものとなっていただろう。

信頼を失った効果

国民の信頼を失うことは、政治家にとってしばしば致命傷となる。もし国民の信頼があれば、「あばたもえくぼ」的な見方をされ、少々の失敗はたいした問題にはならない。初期のブレア元英国首相がこれに当たる。国民の信頼がなくなれば、何をしても、良いことでも悪いことでも、一挙手一投足が批判の対象となる。菅首相の場合、この状態に陥っているようだ。

失敗の原因

菅首相の失敗は、いくつかの原因があるだろう。その第一は、国民を読み誤ったことだ。英国の政治家なら、絶えず公の世論調査や政党の私的な世論調査で、国民の反応を常に念頭に置いて言動に注意を払う。大きな政策の提言や、政策転換を進める場合には、世論調査の上に、フォーカスグループという手法を用いて、国民の生の声を確認し、そして最終的な判断を下すことになる。フォーカスグループとは、一定の数の人を集め、そこで自由に意見を言ってもらい、その反応を分析するやり方だ。もちろん、世論調査やフォーカスグループの結果に完全に依然するというわけではなく、政治家本人の信念や政治状況からそれに反する決断をする場合もある。しかし、こういう慎重な方法は、国民の信頼をつなぎとめようとするには欠かせない。つまり、「政治家の勘」は、偶然に頼るもので、心もとないからだ。

第二に衆院で多数を占めていることへのおごりがあったように思われる。参議院選挙には勝利を収めるだろうと考え、その結果、国民を軽視していたということができるだろう。もちろん、消費税の問題は、極めてセンシティブな問題であることは承知しており、消費税を上げるためには、何らかの「選挙の洗礼」を受ける必要があるとの判断の下、消費税の話を持ち出したものと思われる。これは、英国とはかなり異なる。英国では、サッチャーでもその後のメージャーでも選挙前に「消費税を上げる」とは言わなかった。それはキャメロンでも同じだが、首相の座を確保してから消費税を上げた。こういうやり方が日本で受け入れられるかどうかは別の問題だが、少なくとも、菅首相が、消費税を上げることのできる政治状況を作るという配慮を怠ったのは事実だろう。

結局、政治を進めるうえで、トップ政治家が最も留意しなければならないのは、国民の信頼が維持される状況づくりをすることだ。それがなければ、菅首相のように一挙手一投足が批判されることになりかねない。

プロの政治

日本の政治に大きく欠けているのは、プロの政治だ。これは「素人の政治」、つまり思いつきの政治の対極を成す。問題の一つは、ほとんどの政治家が素人的だということだ。これは、選挙で選ばれることを考えればある程度やむをえないことだが、大臣に就任する人のほとんどが、実は「素人」だ。英国でも同様の問題がある。しかし、英国では、それを補うために、トップ政治家をプロの集団が取り囲み、つまり、なるべく「素人」の弊害が出てこないようにしている。プロの集団とは、単に特定の分野の専門家であるとか、政策に詳しいというだけではない。むしろ、総合的に大局を見て、世論の動きや状況の変化を把握し、問題を把握し、個別のアドバイスができることを指す。

なお、日本の政治家の中で「剛腕」と言われる小沢一郎氏は、プロの政治家だという人がいるかもしれない。しかし、「菅降ろし」の動きの中で見せた小沢氏の動きは、かつての田中角栄氏の「闇将軍」的なものを思い出させ、現代の政治には既にそぐわなくなっているという印象を受ける。また、小沢的な「プロ」は、政略に長けているかもしれないが、上に述べたプロとは意味が異なる。さらに、プロの政治家を人間関係や調整のプロととらえる人もいるかもしれないが、本当のプロとは、リーダーシップや国民との関係を重んじるものである。

「素人」菅首相の限界

菅首相の限界は、この「素人」の壁を越せなかったことだ。この素人の壁を超える人が現れてこそ、日本の政治が進展するチャンスが生まれてくるように思われる。

これからが難しいオズボーン財相 Chancellor Osborne has difficult time ahead

キャメロン連立政権成立以降1年余りたつが、財務大臣を務めるジョージ・オズボーンは、これまでのところあまりマスコミなどから批判を受けずに来た。しかし、これからはそうはいかないだろう。特に肝心の経済が思ったように成長していないからだ。

オズボーンがこれまであまり批判を受けてこなかったのには幾つか理由がある。まず、これまで財政カットなど、公に発言した政策を変えなかったことだ。そのため、批判される直接の材料を与えなかった。これは、実は、苦肉の策と言える。

2010年5月の総選挙前に、保守党、労働党、そして自民党の3党の財政担当者のテレビ討論が行われた。そこでは、労働党の現職財相であり、10年間財相を務めたゴードン・ブラウン首相の下で既に3年近くその地位にあったアリスター・ダーリングと、自民党のベテラン、ヴィンス・ケーブルの間に挟まれ、経験不足を露呈した。ケーブルは、経済学の博士号を持ち、大手石油会社シェルのチーフ・エコノミストを務め、政府関係機関での仕事にもあたったことのある経済の専門家だ。一方、オズボーンは、大学で近代歴史を学んだ後、保守党本部に入り、政治を担当した人物だ。2005年から影の財相を務めてきたが、テレビ討論でのパフォーマンスは、それまでの5年間いったい何をしてきたのだろうかという疑問を抱かせるものであった。実際、保守党のマニフェスト発表時に環境税の問題で質問が出たが、それに答えられなかった。キャメロンが党首選挙に出馬した時、その選挙マネージャーを務めたこともあり、キャメロン党首との信頼関係はあるが、選挙期間中、汚い役割も買って出、キャメロン政権での財相の職を確保するよう努力しているのではないかと思われた。選挙の後、財相に就任し、巨額の財政赤字と債務を抱えた英国の財政カットに取り組んできた。しかし、財相として、機動的な対応をするのではなく、既定の路線に固執してきた。これは、今まで正当化されてきた。

既定の路線を守ることは、経験の不足している人にとっては取りやすい道だ。英国のためにUターンしないと言い、問題が出てきても、前の労働党政権の無責任な財政運営で生まれた財政問題を解決するにはやむを得ないと強弁する態勢を取ってきた。実際のところ、機動的に取り組み始めると、他の政策にも様々な齟齬が出てきて、全体の調整を取るのはかなり難しい。かなりの経験と能力が必要となる。現在のように、イングランド銀行の金融政策委員会で、さらなる量的金融緩和政策を取る必要性が話し合われるような状況の中、英国の短中期的な経済見通しは明るくなく、政府が何らかの政策変更を迫られる可能性がある。そうなれば、オズボーンの「張り子の虎」が一挙に表面化してくる可能性があろう。要は、この1年余りでどの程度「成長」してきているかだ。

次に、財政カットの進め方だ。連立政権の最初から、財政カットの立案、実施は各省庁に任せ、担当大臣が進める形を推し進めてきた。実は、財政カットの立案の過程で、財務省のスタッフが非常に密接に関わっており、オズボーンがかなり深く関与しているのだが、オズボーンは表にはほとんど出ず、各大臣の責任で行われている。そのため、例えば、国有林の売却問題で環境相が方針をUターンした時でも、それは担当大臣の責任で、オズボーンは直接関係がないように見える。キャメロンの後の保守党党首の座を狙うオズボーンにとって、財相の地位を維持することは必要最小限のことで、深い傷を負いやすい財政カットで表に出ないことは将来の戦力とも関わっている。

さらに、財務副大臣で自民党のダニー・アレクサンダーの役割だ。財務副大臣のポストは、閣僚級で、閣議にも出席する。このポストは予算の配分交渉や、国家公務員の給与、福祉制度改革などを担当しているが、アレクサンダーが、国家公務員の年金受給年齢を上げることを発表し、労働組合から猛反発を食らった。つまり、オズボーンは、財務省全般を管理監督する責任があるが、このような問題では、アレクサンダーが矢面に立つわけだ。後で、アレクサンダーが方針を若干修正するためにオズボーンと交渉していると報じられたが、実際のところオズボーンが後ろで糸を引いている。

つまり、オズボーンは今までうまく立ち回って、傷を負うことを避けてきた。財政カットが順調に進み、経済も向上すれば、それはオズボーンの功績となる。しかし、6月30日には一部公務員組合らのストライキが実施される予定であり、今秋にかけて労働組合の大規模なストライキが予想され、しかも今後の景気動向次第で、オズボーンが何らかの政策の変更を迫られた時、本当のオズボーンの姿が露呈されるだろう。オズボーンにとっては難しい時が目前に迫ってきていると言える。

クレッグ副首相の失敗 – Clegg’s Blunder on the Nationalised Bank

ニック・クレッグ副首相は、連立政権を構成する自民党の党首だが、自民党の低い支持率を回復するために政権内での存在意義を示そうと躍起だ。しかし、その意欲は時に裏目に出る。

NHS(国民健康サービス)の改革法案への見直しで、世論の声を反映して自民党が見直しに積極的に貢献したような印象を与え、一定の成功を収めたかのように見えた。しかし、クレッグが突如打ち出した案、金融危機で政府が部分的に国有化した二つの銀行The Royal Bank of Scotland(82%国有)とLloyds (41%国有)の政府所有株式を国民(4600万の有権者)に無償で与える案は、不発であったところか逆にクレッグを攻撃する材料を与えることとなった。

クレッグは、キャメロン首相もこの案には非常に乗り気だと説明し、私も最初、クレッグが国民に評価されると思った。国民は銀行、そして銀行家たちへの報酬に強い批判を持っているからだ。しかし、この案の分析が進むにつれて、この案には多くの問題点があることが明らかになった。例えば、政府が株式を取得するに要した費用を回収する必要があり、現在の株式の価格では、そのレベルに到達しておらず、将来、株価が上がり、株式を販売してもその費用を除いた残りが国民の手に残るだけであること。また、専門家によると、国民に株式を与えるにしても、その作業や管理がかなり複雑で、その費用に2億5千万ポンド(330億円)もかかるとみられること。さらには、これらの銀行の株式を政府が保有して、将来販売して出た利益を減税や国の債務削減などに使った方がはるかに効率的だと考えられることなどだ。つまり、クレッグ副首相は、これらを十分検討しないまま、この案を打ち出してしまったのである。首相官邸は、一案に過ぎないと説明し、クレッグのメンツを立てながらもこの案が実現する可能性はないと示唆した。

6月24日の、英国で販売部数の最も多い大衆紙のサンは、その風刺画で、クレッグが株式証券を街頭で振り捲いているのを見た人が、気のふれた人がいると警察に電話しているものを載せ、社説で、クレッグに「黙れ」と言った。結局、クレッグの信用をさらに失う結果となった。日本の菅首相と同様、いったん信用を失うと、それを回復するのはかなり難しく、しかもよかれと思っての言動がマイナスになることが多いことを示した形だ。

英国は上院改革ができるか?House of Lords Reform: Never-ending Story?

英国の国会は二院制で、下院と上院がある。下院は一般の選挙で選ばれるが、上院はそうではなく、貴族院であり、一部の世襲貴族と大多数を占める一代貴族で構成される。この上院をより民主的な選挙で選ぶ仕組みを作ることが過去100年間検討されてきた。2010年の総選挙でも主要三党の保守党、労働党、自民党がこの問題を取りあげ、議員全員もしくはその大多数を選挙で選出することをマニフェストで掲げた。これを受けて、保守党と自民党は、連立合意でこの課題に取り組むこととし、それを担当する自民党党首で副首相のニック・クレッグが5月に下院でその原案を発表した。しかし、上院は現状維持を望んでいる上、下院でも改革案に賛成する議員が少ないことから、これが実現する可能性は当面ないだろうと見られる。

クレッグの政府案の骨子は、以下の通りだ。
1. 定数を基本的に300とし、その内、80%にあたる240を選挙で選出し、60は任命制。それに12名の英国国教会主教が加わる。
2. それぞれの議員は15年間の任期で、一期限りとする。
3. 5年ごとに80名ずつ選挙で選ばれる。
4. 選挙は、単記委譲式投票(STV)と呼ばれる比例代表制で行う。
5. 最初の選挙は、2015年に行う。

日本の国会も二院制だが、両院とも議員が選挙で選ばれ、両院の権限が一部を除き同等であるが、英国の場合、選挙で選ばれる下院が政治の中心であり、上院は補完的な役割を果たすにとどまる。上院は法案の審議を一年間引き延ばすことができるが、予算の伴う法案ではそれはできず、法案の修正も基本的にはできないことになっている。また、上院は、総選挙で下院の多数を占めた政党のマニフェストに含まれた政策には反対しないことになっている。さらに上院議員には給料はなく、出席した場合の日当や経費が支給されるにとどまる。

上院議員の選出に選挙を行うようになると、このような上院の役割が少なからず変えられることとなる。例えば、下院は、選挙で選ばれるがゆえに大きな力を発揮するが、上院も同様に選挙で選ばれるようになれば、上院にさらに大きな権限を与えざるをえず、両院の力関係が変化するだろう。また、給与を支給し、オフィスを用意し、秘書を提供する必要が出てくる。つまり、多くの追加費用がかかることとなる。また、現在800名近くいる一代と世襲議員をどうするかという問題がある。これらの問題を解決しないことには、上院改革は前に進まない。そのため、危急の問題とは言えないこの課題に本格的に取り組み、上院議員を選出する選挙が2015年に行われる見通しは、極めて小さい。

下院選挙区区割り変更で最大の被害を受けるのは、労働党ではなく自民党 The impact of constituencies’ boundary changes

次の下院総選挙は、2015年5月の予定だ。その総選挙では、現在の定数650が600に減り、選挙区の有権者数の差が、特定の選挙区を除き、5%の上下の幅に抑えられることとなっている。当初、この変更で有利となるのは保守党で、不利になるのは労働党、そして自由民主党は不利にも有利にもならないと見られていた。そのため、この法案の審議過程で、労働党はこの変更は、選挙区の線引きを政権政党が自党に有利に変えるゲリマンダーだと言って非難した。そして上院で労働党議員によるフィルバスターが起きたほどだった。しかし、最近の研究によると、保守党には思ったほど有利にはならず、労働党にはそれほど大きく不利にはならないが、自由民主党への影響は非常に大きいことが明らかになった。

この研究は、リバプール大学の『民主的監査』(Democratic Audit)が行ったものである。結果は、

http://filestore.democraticaudit.com/file/5618fc68c4694271e17e44762ef93e19-1307458033/summary-boundary-changes—all-countries-and-regions-v2.pdf

これによると、650から600議席へと50議席減る中で、主要政党の議席数の変更は、保守党マイナス15、労働党マイナス18、そして自由民主党マイナス14である。2010年総選挙の獲得議席数は、保守党307、労働党258、そして自民党57であり、各政党の減少割合は、保守党5.9%、労働党7%、そして自民党は、24.6%である。つまり、新しい区割りが実施されると、自民党は選挙の前から既に4分の1の議席を失っていることになるのである。(参考http://www.bbc.co.uk/news/uk-politics-13665221 なお、この記事は、6月6日付であるが、民主的監査は6月7日に結果を修正しているために、数字に若干の違いがある。)

若干の背景説明が必要だろうと思われる。まず、新選挙区区割りは、2013年秋までに確定されることになっており、それは、2010年12月の有権者名簿に基づいて行われる。また、選挙区区割り委員会(イングランド、スコットランド、ウェールズそして北アイルランドの4つの区割り委員会)は、既に多くの区割り方針を発表しており、各地方で減らす議席数を発表している。例えば、ウェールズで何議席減り、ロンドンで何議席減るといった具合だ。今後、具体的な選挙区区割り案が発表され、ヒアリングが行われ、最終的に確定するという順序を経る。民主的監査は、今回の発表は、予想ではないと言うが、そのメソロドジーなどから、結果にそう大きな差は出ないものと思われる。

なぜ、今回の区割りの変更が自民党に不利になるかだが、これは、自民党が議席を獲得している地域がいくつかの拠点に集中しており、隣接の選挙区からその議員が出ているところが多く、そのために区割りの影響を直接受けるためである。自民党にとっては、下院選挙制度変更の国民投票の否決、連立政権参加後の大幅な支持率の低下と相まって、更なる大きな打撃である。

どうすれば能力のある大臣になれるか – How to become an effective Minister

先日ある有力シンクタンク(The Institute for Government)が「大臣の課題(The Challenge of being a Minister)」と題するレポートを発表した。これでは、どういう基準で大臣や大臣の候補者を評価するかはっきりしていないために、大臣の任命は、偶然に任されることが多く、大臣に選ばれた人に必要な能力がない場合がしばしばあると言う。

しかもこれまで一つの大臣職に就いている期間は、平均で2年余りと短く、回転率が高いためにその職を効果的に遂行する専門知識や経験を積む時間が短く、内閣改造をするたびに政府の質を悪化させることになると言う。

この問題に取り組むためには、大臣の勤務評定を取り入れるべきであり、野党である「影の内閣」の閣僚も日ごろからもっと真剣に仕事に取り組むべきだと言う。また、経験の十分でない人をその役割に備えさせ、いったんポストに就いた後もその能力を継続して伸ばすことができるようなシステムが必要だと言う。

つまり、能力のある大臣とするには、まず、その基本的な能力のある人を選び、継続して勤務評価しながらその能力を伸ばし、経験を積ませ、そしてかなり長い期間その職に在任させることだというのだ。

日本で「能力のある大臣」もしくは「効果的な大臣」となるためにはどうしたらよいか、という議論があるのだろうか?