様々な思惑の絡む北アイルランド議会再開問題

英国の一部である北アイルランドは、アイルランド島の中でアイルランド共和国と陸上の国境を分かち合う。南のアイルランド共和国との統一を望む「ナショナリスト」と英国本土との強固なつながりの維持を求める「ユニオニスト」の間の、北アイルランドを中心にした血で血を洗う争いは、1998年のベルファスト合意(グッドフライデー合意)で一応の和解をし、ナショナリストとユニオニストそれぞれのリーダーにはノーベル平和賞が与えられた。その結果生まれた北アイルランド議会と政府は、何回もの長い中断を経て、途切れ途切れながらも、英国中央政府とアイルランド共和国などの介入でなんとか維持されてきた。しかし、2022年2月から北アイルランド議会と政府は停止しており、5月に議会議員の選挙が実施されたが、議会は再開されず、その後も停止したままだ。

その5月の選挙では、ナショナリストのシンフェイン党が最大政党となり、ユニオニストの民主統一党(DUP)が議会第二党となった。ナショナリストとユニオニストの共同統治の形をとる政府のトップ首席大臣と副首席大臣はそれぞれの側の最大政党から指名される。いずれかが欠けると政権は成立せず、DUPが副首席大臣の指名を拒否しているため、政権がスタートできない。DUPは、英国のEU離脱条約に含まれる北アイルランドプロトコールに反対しており、その改正もしくは廃止を求めているからである。

英国がEUを離脱する際の最も大きな問題の一つは、北アイルランドをどう扱うかであった。それまでEUの統一市場の下、EUメンバーだった英国とアイルランド共和国の間で、北アイルランドとアイルアンド共和国の間の国境は、地図上の境界線にすぎなかったが、英国がEUを離れると、EUの統一市場とEU外の市場との境を設ける必要が出てくる。最も容易な方法は、国境に検問所を設けることだが、これまでの歴史的な問題を考えると、そのような検問所は、テロの標的になりかねないということから、北アイルランドをEUの統一市場の一部とみなし、北アイルランドとアイルランド共和国の間のモノの往来をチェックしないこととした。その代わりに、英国本土のグレートブリテン島とアイルランド島の間のアイリッシュ海に想定上の貿易国境を設けて、グレートブリテン島とアイルランド島の間のモノの行き来をチェックすることとしたのである。ところが、DUPをはじめ、英国本土とのつながりを重んじるユニオニストの多くは、北アイルランドが本土と異なる扱いを受けるのは承服できないとしてプロトコールの改正、もしくは廃止を求めているのである。それがなされないと、北アイルランド政府を成立させないとする。

北アイルランドでは、一定の期日の前に政権が発足しないと、法律で、英国中央政府が選挙の実施を命じることになっている。そのため、当初選挙が2022年12月に行われると見られていたが、北アイルランド相クリス・ヒートン=ハリスは、クリスマス前に北アイルランド議会議員選挙を実施しないと発表した。選挙の実施には約600万ポンド(約10億円)の費用がかかる上、DUPがユニオニスト側最大政党になるのは確実で、政治情勢は何も変わらないと考えられたためだ。そしてウェストミンスター議会による法制定で4月ごろまで選挙を延ばし、その間にEUとの交渉を進め、プロトコールの修正で政権の発足できる状況を作りたいと考えている。

北アイルランドの情勢は、徐々に変化してきている。2022年5月の選挙で、ナショナリストのシンフェイン党が北アイルランド議会で最大政党となった。そして、その勢いは、継続し、支持率を上げており、もし選挙が行われれば、シンフェイン党はさらに数議席延ばす勢いだ。一方、ユニオニストのDUPも、プロトコールをめぐる強硬な立場で、ユニオニストの支持を強めており、支持率を上げている。ただし、北アイルランドの2021年国勢調査の結果では、ナショナリストを支持する傾向の強いカトリック信者の割合が、ユニオニストを支持する傾向の強いプロテスタント信者の割合を初めて上回った。また、自分を英国民とみなす人の割合が減り、アイルランド人とみなす人の割合が増えている。

一方、アイルランド共和国の政治情勢も変化している。シンフェイン党は、アイルランド共和国と北アイルランドの二つの地域にまたがる政党である。シンフェイン党全体の党首はアイルランド共和国下院議員、シンフェイン党全体の副党首は北アイルランド議会議員であり、北アイルランドのシンフェイン党を率い、北アイルランド議会・政権が再開すれば、北アイルランドの首席大臣となる立場だ。もともとIRAの政治組織であったシンフェイン党は、北アイルランドで勢力を伸ばす一方、アイルランド共和国でも勢力を大きく伸ばし、支持率で他の政党に大きな差をつけている。アイルランド共和国の前回の2020年総選挙では、シンフェイン党は最大の議席を獲得した。第2党、第3党と緑の党が連立し、連立政権が発足したが、シンフェイン党の支持率は最も高い。

もし、北アイルランド議会が再開しない場合、北アイルランドの有権者の59%は、ロンドンの英国政権がアイルランド共和国と相談しながら北アイルランドを統治していくべきだとする。徐々にアイルランド共和国の北アイルランドへの関与を増大していくことになるような対応は、ユニオニストの立場をさらに弱めていくことになりかねず、それは、結果的に、北アイルランドとアイルランド共和国両方のシンフェイン党への支持をさらに増やしていく可能性がある。

もし、北アイルランドとアイルランド共和国の両方で、シンフェイン党がトップの政治ポストを握るようなことがあると、北アイルランドをアイルランド共和国と統一させるかどうかの「国境投票」実施への圧力が高まるのは確実だ。そのような事態をいかに避けるかがシンフェイン党以外の政党の頭にあるように思われる。

北アイルランドの将来

英国領の一部である北アイルランドの副首席大臣だった(2022年2月に首席大臣が辞任したため、副首席大臣も自動的に職を離れた)シン・フェイン党の副党首ミシェル・オニールが、アイルランド島の南部のアイルランド共和国はアイルランドの統一に向けて準備する時だと訴えた。シン・フェイン党は、北アイルランドとアイルランド共和国にまたがる政党で、両者の統一を目指している「ナショナリスト」の政党である。

オニールの発言には、北アイルランドとアイルランド共和国の両方でシン・フェイン党への支持が他の政党を抑えてトップになっていることが背景にある。次の北アイルランド議会選挙は、2022年5月5日に予定されているが、2022年2月の世論調査によると、シン・フェイン党が最大議席政党になる見込みだ。そうなれば、オニールが北アイルランドの首席大臣となることになる。

シン・フェイン党は、アイルランド共和国の前回2020年の総選挙で、最も高い得票率を上げ、最大政党に拮抗する議席を獲得した。その勢いは継続しており、2022年2月の世論調査によると、2番目の支持率を得ている政党に10%近い差をつけている。次の総選挙はまだ先の2025年であり、過半数を獲得するには至らないだろうが、結果によっては、他の政党との合従連衡で、シン・フェイン党党首のメアリー・ルー・マクドナルドがアイルランド共和国の首相となる可能性もある。シン・フェイン党は、IRA暫定派の政治組織であったが、北アイルランドのトラブルズと呼ばれる血で血を洗う時代のリーダーたちが身を引き、ルー・マクドナルドもミシェル・オニールも女性でイメージを一新している。

現在、北アイルランド議会の最大政党は、英国との関係を重んじる「ユニオニスト」の民主統一党(DUP)である。DUPは、2016年のEU離脱をめぐる国民投票で、英国のEU離脱に賛成した。しかし、ジョンソン政権がEUとの離脱交渉で、北アイルランドとEU加盟国であるアイルランド共和国との、アイルランド島内の地図上の国境に構築物を設けることを避けることとし、北アイルランドを、モノの移動の上でEU統一市場の内とする特別な扱いをする代わりに、北アイルランドと英国本土の間の海上に事実上の貿易上の国境を設けることとした。「北アイルランドプロトコール」と呼ばれる。これは、英国の国内市場とEUの統一市場にアクセスできることから「いいとこどり」だという見方が多い。ところが、ユニオニストにとっては、英国本土と異なって扱われ、分離を意味するため、ユニオニストの多くが嫌っている。このため、DUPの支持が大きく減少することとなった。

DUPは、2021年4月にDUP党首を辞任させた。ところが、その代わりに党首となった人物は就任して3週間もたたないうちに辞任することとなる。そしてその後の新党首の下で党勢の立て直しを図っているが、この顛末でかなり大きなダメージを受けた。ユニオニスト有権者の党離れを食い止めるため、2022年5月の議会選挙を目前に、「北アイルランドプロトコール」を廃止もしくは根本的に変更すると主張している。しかし、その動きは必ずしもうまくいっているとは言えない。新党首のジェフリー・ドナルドソンが「いいとこどり」の話をしたからだ。

さて、1998年のベルファスト(グッドフライデー)合意で、オニールが言うような北アイルランドとアイルランド共和国の統一は、住民の多数意思が求めた場合に行われることになっている。すなわち、住民の多数がそれを求めていると判断された場合、北アイルランドとアイルランド共和国の双方で「国境投票(Border Poll)」と呼ばれる国民投票が行われることとなる。ただし、今のところ、その機運はまだ高まっていない。北アイルランドの中では、英国に残りたいという人の割合が高い。一方、アイルランド共和国の中では、統一に賛成する人の方が多い。しかし、北アイルランドとアイルランド共和国の間には多くの違いがある。その一つは、北アイルランドで医療は基本的に無料だが、アイルランド共和国ではそうではない。コストの点や、ユニオニストの扱いの問題など簡単ではない問題がある。人口約500万人のアイルランド共和国が、人口190万人ほどの北アイルランドをすんなり受け入れるかどうかには予断を許さない点がある。

一方、英国がEUを離脱した後、北アイルランドとアイルランド共和国の双方の間の貿易は大きく増加している。なお、英国本土からアイルランド共和国への輸出は大きく減っているものの、その逆は大きく増えていることがアイルランド共和国の統計でわかった。ビジネス関係者には北アイルランドプロトコールを歓迎している人が多いようだ。

今のところ、北アイルランドとアイルランド共和国の統一は、まだ現実的な問題ではないと言えるが、今後、EU離脱後の英国が長期的にどうなるかで、アイルランドの統一問題が決まってくるように思われる。