北アイルランドの将来

英国領の一部である北アイルランドの副首席大臣だった(2022年2月に首席大臣が辞任したため、副首席大臣も自動的に職を離れた)シン・フェイン党の副党首ミシェル・オニールが、アイルランド島の南部のアイルランド共和国はアイルランドの統一に向けて準備する時だと訴えた。シン・フェイン党は、北アイルランドとアイルランド共和国にまたがる政党で、両者の統一を目指している「ナショナリスト」の政党である。

オニールの発言には、北アイルランドとアイルランド共和国の両方でシン・フェイン党への支持が他の政党を抑えてトップになっていることが背景にある。次の北アイルランド議会選挙は、2022年5月5日に予定されているが、2022年2月の世論調査によると、シン・フェイン党が最大議席政党になる見込みだ。そうなれば、オニールが北アイルランドの首席大臣となることになる。

シン・フェイン党は、アイルランド共和国の前回2020年の総選挙で、最も高い得票率を上げ、最大政党に拮抗する議席を獲得した。その勢いは継続しており、2022年2月の世論調査によると、2番目の支持率を得ている政党に10%近い差をつけている。次の総選挙はまだ先の2025年であり、過半数を獲得するには至らないだろうが、結果によっては、他の政党との合従連衡で、シン・フェイン党党首のメアリー・ルー・マクドナルドがアイルランド共和国の首相となる可能性もある。シン・フェイン党は、IRA暫定派の政治組織であったが、北アイルランドのトラブルズと呼ばれる血で血を洗う時代のリーダーたちが身を引き、ルー・マクドナルドもミシェル・オニールも女性でイメージを一新している。

現在、北アイルランド議会の最大政党は、英国との関係を重んじる「ユニオニスト」の民主統一党(DUP)である。DUPは、2016年のEU離脱をめぐる国民投票で、英国のEU離脱に賛成した。しかし、ジョンソン政権がEUとの離脱交渉で、北アイルランドとEU加盟国であるアイルランド共和国との、アイルランド島内の地図上の国境に構築物を設けることを避けることとし、北アイルランドを、モノの移動の上でEU統一市場の内とする特別な扱いをする代わりに、北アイルランドと英国本土の間の海上に事実上の貿易上の国境を設けることとした。「北アイルランドプロトコール」と呼ばれる。これは、英国の国内市場とEUの統一市場にアクセスできることから「いいとこどり」だという見方が多い。ところが、ユニオニストにとっては、英国本土と異なって扱われ、分離を意味するため、ユニオニストの多くが嫌っている。このため、DUPの支持が大きく減少することとなった。

DUPは、2021年4月にDUP党首を辞任させた。ところが、その代わりに党首となった人物は就任して3週間もたたないうちに辞任することとなる。そしてその後の新党首の下で党勢の立て直しを図っているが、この顛末でかなり大きなダメージを受けた。ユニオニスト有権者の党離れを食い止めるため、2022年5月の議会選挙を目前に、「北アイルランドプロトコール」を廃止もしくは根本的に変更すると主張している。しかし、その動きは必ずしもうまくいっているとは言えない。新党首のジェフリー・ドナルドソンが「いいとこどり」の話をしたからだ。

さて、1998年のベルファスト(グッドフライデー)合意で、オニールが言うような北アイルランドとアイルランド共和国の統一は、住民の多数意思が求めた場合に行われることになっている。すなわち、住民の多数がそれを求めていると判断された場合、北アイルランドとアイルランド共和国の双方で「国境投票(Border Poll)」と呼ばれる国民投票が行われることとなる。ただし、今のところ、その機運はまだ高まっていない。北アイルランドの中では、英国に残りたいという人の割合が高い。一方、アイルランド共和国の中では、統一に賛成する人の方が多い。しかし、北アイルランドとアイルランド共和国の間には多くの違いがある。その一つは、北アイルランドで医療は基本的に無料だが、アイルランド共和国ではそうではない。コストの点や、ユニオニストの扱いの問題など簡単ではない問題がある。人口約500万人のアイルランド共和国が、人口190万人ほどの北アイルランドをすんなり受け入れるかどうかには予断を許さない点がある。

一方、英国がEUを離脱した後、北アイルランドとアイルランド共和国の双方の間の貿易は大きく増加している。なお、英国本土からアイルランド共和国への輸出は大きく減っているものの、その逆は大きく増えていることがアイルランド共和国の統計でわかった。ビジネス関係者には北アイルランドプロトコールを歓迎している人が多いようだ。

今のところ、北アイルランドとアイルランド共和国の統一は、まだ現実的な問題ではないと言えるが、今後、EU離脱後の英国が長期的にどうなるかで、アイルランドの統一問題が決まってくるように思われる。

北アイルランドのプロトコールをめぐるジョンソン政権の2019年の決断

英国はEUと離脱協定を結び、2020年1月31日にEUを離脱した。その離脱協定の中の北アイルランドのプロトコール(貿易上の手続き)をめぐって、英国とEUが対立している。英国は、北アイルランドの現状にふさわしくないとして、このプロトコールの抜本的な見直しを求めているが、EUにはその意思はなく、その代わりに現在のプロトコールをできるだけ柔軟に適用することで対応しようとしている。EU側は、貿易上の手続きをしなければならないモノを大幅に減らす案を出してきた。英国側は、それでは十分ではないとの立場だ。

この中、2019年12月の総選挙時のジョンソン政権の考え方が改めて注目を浴びている。ジョンソン首相のトップアドバイザーだったドミニク・カミングスによると、ジョンソン政権は、英国のEUからの離脱を最優先し、北アイルランドの問題を含め、離脱協定の中で、ジョンソン政権の気にいらないものは、離脱後、改めて蒸し返すつもりだったというのである。そのため、不十分なものだとわかっていたが、北アイルランド問題の合意ができた時点で、ジョンソン首相が非常によい合意だと国民に訴えて英国の離脱を進めたというのである。

カミングスは、労働党のコービン党首(当時)が総選挙に勝って首相になるのを防ぎ、機運が大きくなりつつあったEU離脱をめぐる第2の国民投票につながるような芽を摘む必要があったとし、とにかくEUとの離脱協定をまとめる必要があった。そしてその判断は、北アイルランドの問題でさらに揉めるより、1万倍の意義があったとする。なお、カミングスによると、ジョンソン首相は、2020年11月まで北アイルランドのプロトコールの意味を分かっていなかったという。

カミングスは、2016年の国民投票で離脱賛成多数の結果をもたらした人物であり、何がなんでも英国のEU離脱を成し遂げるつもりだったのは明らかだ。もし2019年末の時点で、北アイルランドの問題のために離脱協定をまとめることができていなければ、総選挙に臨む国民に「この離脱協定で離脱する」と主張することができず、総選挙の結果が変わっていた可能性がある。そうなれば、英国のEU離脱が宙に浮く可能性もあった。カミングスらの戦略で、保守党は、総選挙で大勝利を収め、労働党には、歴史的な敗北を喫した。カミングスの判断はかなりの成功を収めたが、北アイルランドのプロトコール再交渉問題は大きな危険性を秘めている。