北アイルランドのプロトコールをめぐるジョンソン政権の2019年の決断

英国はEUと離脱協定を結び、2020年1月31日にEUを離脱した。その離脱協定の中の北アイルランドのプロトコール(貿易上の手続き)をめぐって、英国とEUが対立している。英国は、北アイルランドの現状にふさわしくないとして、このプロトコールの抜本的な見直しを求めているが、EUにはその意思はなく、その代わりに現在のプロトコールをできるだけ柔軟に適用することで対応しようとしているEU側は、貿易上の手続きをしなければならないモノを大幅に減らす案を出してきた。英国側は、それでは十分ではないとの立場だ。

この中、2019年12月の総選挙時のジョンソン政権の考え方が改めて注目を浴びている。ジョンソン首相のトップアドバイザーだったドミニク・カミングスによると、ジョンソン政権は、英国のEUからの離脱を最優先し、北アイルランドの問題を含め、離脱協定の中で、ジョンソン政権の気にいらないものは、離脱後、改めて蒸し返すつもりだったというのである。そのため、不十分なものだとわかっていたが、北アイルランド問題の合意ができた時点で、ジョンソン首相が非常によい合意だと国民に訴えて英国の離脱を進めたというのである。

カミングスは、労働党のコービン党首(当時)が総選挙に勝って首相になるのを防ぎ、機運が大きくなりつつあったEU離脱をめぐる第2の国民投票につながるような芽を摘む必要があったとし、とにかくEUとの離脱協定をまとめる必要があった。そしてその判断は、北アイルランドの問題でさらに揉めるより、1万倍の意義があったとする。なお、カミングスによると、ジョンソン首相は、2020年11月まで北アイルランドのプロトコールの意味を分かっていなかったという。

カミングスは、2016年の国民投票で離脱賛成多数の結果をもたらした人物であり、何がなんでも英国のEU離脱を成し遂げるつもりだったのは明らかだ。もし2019年末の時点で、北アイルランドの問題のために離脱協定をまとめることができていなければ、総選挙に臨む国民に「この離脱協定で離脱する」と主張することができず、総選挙の結果が変わっていた可能性がある。そうなれば、英国のEU離脱が宙に浮く可能性もあった。カミングスらの戦略で、保守党は、総選挙で大勝利を収め、労働党には、歴史的な敗北を喫した。カミングスの判断はかなりの成功を収めたが、北アイルランドのプロトコール再交渉問題は大きな危険性を秘めている。

英国のEU離脱交渉の失敗から学べる事

英国のEU離脱交渉でEU側の交渉責任者である「チーフネゴシエーター」だったミシェル・バルニエの「私の秘密のブレクジット日記」が出版された。この日記の書評をもとに、英国側の交渉の問題点を見てみたい。なお、この書評は、英国のブレア首相のチーフオブスタッフ(首席補佐官)だったジョナサン・パウルによるものである。パウルは、イギリスの北アイルランドの平和をもたらした1998年のベルファスト(グッドフライデー)合意の舞台裏で交渉を取り仕切った人物で、北アイルランド議会が2007年に再開するまで北アイルランド問題に尽力した人物である。「北アイルランドの平和プロセスのチーフネゴシエーター」とも表現される。それ以降も世界中の紛争の調停者として活動している。

EU側は、終始一貫して、英国がEUにメンバーとして残ることを希望していた。交渉がどうなろうとも、EUの主力メンバーである英国が離脱することは大きな打撃である。パウルは、EU側が英国のEU離脱交渉で勝ち、英国は、欠陥のある離脱協定と不利な将来関係を背負ったとするが、より大きな観点では、この交渉では勝利者はいないとする。

パウルは、EU側がこの離脱交渉で成功した理由と英国側の失敗した理由を以下のように5つ挙げる。

1.EU側は、プロフェッショナルできちんと準備をしたが、英国側はそうではなかった。バルニエは、最初から交渉の着地点を想定し、交渉が始まる前に自由貿易協定の完全な法律文書を用意していた。

2.EU側27か国が結束した。バルニエを通さず、英国は個別の国と話をしようとしたが、バルニエと話すように言われた。

3.EU側は、この交渉で求めているものを知っており、それを貫き通した。一方、英国側は独りよがりな交渉に終始した。そのため、EU側が主導権を握り、議題を決め、思うように交渉を進めたという。

4.英国側のジョンソン首相は、EU側が動揺することを狙ってEU側を怒らせようとしたが、EU側は冷静に受け止めた。

5.EU側は、「最終期限」を効果的に使った。ジョンソン首相の前任者メイ首相は、その目的がはっきりしないまま、リスボン条約50条で定められた2年間の期間制限を開始させてしまった。

2016年に英国で行われた、EUから離脱するかどうかの国民投票で、英国民は離脱を選択した。なお、国民投票は、英国ではほとんど行われない。英国は、議会主権(日本は国民主権)であり、議会が決めることになっているからである。また、英国の下院(上院は公選ではない)は完全小選挙区制であり、一つの政党が比較的多数を占めやすいことから、総選挙で代表者が選ばれ、下院議員が総体として決定すれば足りるという考え方があった。そのため、これまで行われた全国的な国民投票は、1975年のEEC国民投票、2011年の選挙制度改革国民投票、そして2016年のEU離脱国民投票の3回である。この3番目の国民投票は、当時の保守党のキャメロン首相が、党内のEU離脱派を抑えるために実施したが、キャメロンは、EU離脱賛成票が多数を占めることになるとは考えていなかった。そしてキャメロンは首相を辞任する。準備が整っていなかった上、EU側を見くびっていたことが、交渉をより難しくしたと言える。

EUの慎重なブレクジット戦略

イギリスのボリス・ジョンソン首相は、EUとの離脱合意ができるかどうかにかかわらず、10月31日にEUを離脱するという立場を崩していない。これに対して、EUは巧妙で慎重な戦略にでてきた。

10月11日のイギリスの新聞の多くは、10月10日のジョンソンとアイルランド首相との会談で10月31日までにイギリスとEUとの合意のできる可能性が出てきたとする。(例えば、https://twitter.com/hendopolis/status/1182405405227520000/photo/1

しかしながら、EU側とジョンソン側との考えの違いは大きすぎ、そう簡単に埋められるものではない。特に以下の2点である。

①    ジョンソンは、イギリスがEU離脱後、自由にそれ以外の国と貿易交渉できるよう、EUと関税同盟を結ばない方針だ。EUとイギリスとの「国境」となる、アイルランド島内の北アイルランド(イギリス領)とアイルランド共和国(EU加盟国)との間には、現在何らの国境施設はなく、自由通行だが、イギリスのEU離脱後、モノの移動や基準を監視し、必要な関税を課するには、それを可能にする施設やシステムが必要である。ジョンソンは、テクノロジーを使った解決法を提示しているが、すぐ使えるものではなく、専門家はシステム構築を含めて最低10年はかかるという。つまり、EUがそのようなものを直ちに受け入れるとは思われない。

②    上記のような解決法を、すでに合意している暫定期間(離脱後2020年末まで)後、適用するかどうか、そして4年ごとにさらに継続していくかどうかについて、ジョンソンが閣外協力をしている民主統一党(DUP)に事実上、拒否権を与えていることだ。北アイルランドは、30余年の長い「トラブルズ」と呼ばれる域内闘争があり、その再来を防ぐような、ユニオニスト側(イギリスとの関係を継続したい立場で、DUPを含む)とナショナリスト側(アイルランドとの関係を重んじる立場)との両者が合意しなければ意思決定が極めて難しい制度を設けているためである。

ジョンソンは、第2点目を譲歩することができるかもしれないが、第1点目の譲歩は極めて難しい。この譲歩は、イギリスの自由な貿易交渉を制限することにつながり、ジョンソンが描いているような、大胆な国際貿易交渉をできるようなイギリスとはなれない可能性が高いからだ。

9月に成立した「ベン法」で、10月19日までにEUとの離脱合意ができる、若しくは、議会の納得する結果が得られなければ、ジョンソンは、EU側に10月31日までの交渉期間の延長を求めねばならないこととなっている。しかし、ジョンソンは、10月31日に離脱するという立場を崩していない。延長を避けるためにジョンソンの打てる手はないと見られているが、ジョンソン内閣が下院で不信任されても、ジョンソンは慣例を無視して首相官邸に居座るなどという情報が流されるなど、不測の事態が起きる可能性が指摘されている。

ジョンソンは、多くのコメンテーターも指摘するように、行き詰まった段階、もしくは最も自分に有利だと思われるタイミングで総選挙に打って出るつもりだろう。つまり、10月31日に離脱できるかどうかにかかわらず、「2016年の国民投票でEU離脱を支持した国民の意思を貫くジョンソン政権」と「その意思に背く議会」の対立構図を最大限に効果的に利用し、次期総選挙では、ブレクジット党の票も吸収して過半数を占めることが目的である。ジョンソン率いる保守党には、DUPを入れても過半数がない。もしEUとの交渉期間が延長されても、過半数を取れば、ジョンソン政権が強化され、EUとの交渉を有利に進められるとの考えがあろう。

なお、野党は、数的には、ジョンソンらの政権側を上回る。すなわち、数的にはジョンソン政権をいつでも倒せる。ところが、ジョンソン後に誰を首班とするかでまとまらない。一方、首相が総選挙の日を決められるため、ジョンソン政権を倒せば、ジョンソンが勝手に総選挙の日を10月31日離脱が可能な日に設定しかねないという恐れがある。そのため、ジョンソンを首相から除くことができないというジレンマにある。

このようなジョンソン政権の状況に対して、EU側は、3つの状況に対して準備を進める必要がある。まず、総選挙が実施され、ジョンソン保守党が過半数を占める場合だ。その場合には、さらに慎重に交渉をしていかねばならない。次に総選挙の結果、再び過半数を占める政党のない「宙づりの議会」となる可能性がある。その場合、連立、若しくは少数与党政権となり、政情は不安定、そして次の総選挙が早期に行われる可能性がある。そしてジョンソン保守党が再び復活するかもしれない。そして、3番目に、ジョンソンが無理に10月31日にEU離脱してしまう可能性だ。

EUは、その経済に与える影響を考えると、イギリスに合意なしで離脱をしてもらいたくない。一方、ジョンソンら離脱派に、EUのかたくなさのためにイギリスは合意なしで離脱したという理由を与えたくない。EU側は、EUの経済的統合を揺るがしかねないイギリスの要求を絶対に受け入れられないが、ジョンソンの現在の要求は、まさしくこれに触れる。それでも今後のシナリオを考えると、ジョンソンらに希望を与え続けておく必要があり、アイルランド首相は、まさしくそれをしていると言えるだろう。

メイ首相と国の運

トップ政治家にとって最も必要なのは「政治センス」である。これは、政治の状況を読んで、大きく、どういう政治の方向を取るか直感で判断できるとか、人々の気持ちを感じられ、それに対応できるというように、頭よりも心でそれを察知できる能力と言える。メイ首相はそれに欠ける。すなわち、多くの官僚に見られるように、与えられた仕事をきちんとこなす能力があっても、刻一刻変化する状況に対してクリエイティブな行動のできる能力に乏しい。メイは官僚としては優れているかもしれないが、イギリスがEUを離脱するような重大な時に国の舵を取る役割は、荷が重すぎる。メイが力を失い、早晩その地位から去る状況が生まれているのは、イギリスという国に運があることを示しているかもしれない。

イギリスは、1973年以来、過去44年間メンバーだったEUを離れることとなった。イギリスとEUとの関係は、単に全貿易の44%を占めるEUとの貿易関係だけではなく、産業、労働、消費、人権、研究開発、地域開発、セキュリティなどを含め、社会のほとんどすべての分野に及ぶ。EUを離れるにあたり、EU法や規制に関わる19000の法令を見直す必要がある。すなわち、EUを離れることは、イギリス人にとって、非常に大きな変化だ。そしていかにEUと別れるかは、今後のイギリスに大きな影響を与える。

メイ首相は、68日の総選挙で率いる保守党の議席を減らし、第一党の座を維持したものの全650議席のうち318議席と過半数を割った。お粗末な選挙戦を展開したためだ。その後のロンドンの公営住宅グレンフェル火災、10議席を持つ、北アイルランドの統一民主党(DUP)との閣外協力をめぐる協議、さらに、イギリスに住むEU国人のEU離脱後の権利をめぐるイギリスの提案などお粗末な対応が続いている。

メイのお粗末な政権運営

EU離脱交渉は、619日から始まったが、メイが昨年713日に首相となって以来の言動で、EU側(イギリスを除く27か国)の態度を硬化させ、EU側は、その既得権の維持、EUの今後を優先し、容易に譲歩する考えはない。EU側は、EU内のセキュリティなど他の問題の方が大切で、イギリスとのEU離脱交渉は二の次だとする。

メイは総選挙で当初、地滑り的大勝利を予測されながら、それまでの過半数をやや上回る状態から、少数政権となったことから、権威を失った。メイの側近らのスピン(情報、印象操作)で、有権者からの支持率はサッチャーを上回る、戦後最高レベルとなったが、本人の政治センスのなさが曝け出され、支持を失ったのである。

メイは、施政方針である、621日の「女王のスピーチ」で、首相就任以来主張してきた数々の政策を放棄した。保守党が過半数を大きく下回る非公選の上院(執筆時点で807議席のうち254議席)ばかりではなく、下院保守党内での見解の相違から、下院の賛成を得る見込みのないものは放棄せざるを得なくなったためだ。また、EUとの対決的な離脱交渉戦略を改めざるをえなくなった。しかし、メイの施政方針もEU離脱交渉も中途半端でとても維持できるものとは思えない。

メイの政策変更

メイ政権は、3月の予算で、2025年までに財政赤字をなくすとしたが、総選挙後、これまでの緊縮財政を緩和し、国家公務員や看護師らのNHSスタッフの給料も、過去7年間の1%アップ上限を変更し、増やす構えだ。ポンドが下落し、輸入品などの価格が上がり、物価が2.9%上昇する中、ある程度の賃上げが必要となっている。

グレンフェル火災以来、公営住宅をはじめとする、公共建築物の火災対策をめぐる巨額の財政負担が予想され、しかも総選挙マニフェストで挙げていた、高齢者の冬季燃料補助、年金上昇率の計算基準、高齢者ケア費用負担、無料学校給食の変更など数々の財源確保策を実施しないこととしたため、財政が混乱するのは間違いない。

壁にぶち当たるEU離脱交渉

EU離脱交渉は、既に壁にぶち当たっている。イギリスは、既に、EU側の求めた、2段階交渉プロセスに合意した。最初にイギリスのEU離脱交渉で合意し、その後、貿易をはじめとするお互いの将来の関係交渉に入るという段取りである。

第一段階のEU離脱交渉では、①イギリスに住むEU国人の権利、②メンバー国としてイギリスに責任のある、EU側に支払うべき「離婚料」、③アイルランドの北アイルランドと南のアイルランド共和国の国境問題がある。このうち最も容易な問題だと思われた、①イギリスに住むEU国人の権利とEU国に住むイギリス人の権利の問題では、メイが622日のEU首脳会談で提案したが、十分ではないと冷たい反応を受けた。それだけではなく、今後、このようなことは、正式な交渉の場で対応すべきで、重要なサミットで持ち出さないようにという指摘を受けたと言われる。さらには、EU加盟国のリーダーと個別に話をする場合には、離脱交渉に関する話を持ち出さないようにとクギをさされたと言われる。

このイギリスに住むEU国人の権利に関して最も重要な問題は、合意ができても、どのような形でその合意がきちんと実行されるかという点である。EU側は、欧州司法裁判所がその任に当たるべきだとする。メイは、まず、イギリスの裁判所がその任を果たすとする。メイは、これまでにイギリスが主権を取り戻すために欧州司法裁判所の管轄から離れると発言しており、また、保守党内の強硬離脱派への配慮から、欧州司法裁判所は受け入れ難い。一方、将来結ばれるであろう離脱条約で明記されれば、国際司法裁判所で扱える、もしくは、新たに仲裁機関を設けるなどの案もあるが、いずれも現在のところ実現性は乏しい。メイは、基本的に、これまでの発言から強硬離脱的戦略を捨てられない。

スムーズにいかないDUP閣外協力

メイの期待したDUPとの協力関係交渉も壁にぶち当たっている。DUPの要求しているとされる、北アイルランドのNHS(国民保健サービス)へ10億ポンド(1400億円)、さらにインフラ整備などに10億ポンド、計20億ポンド(2800億円)の財政要求は、バーネット・フォーミュラと呼ばれる予算計算方式で、自動的に他の地域、イングランド、スコットランド、ウェールズへの増額を招き、20億ポンドで済まず、総額700億ポンド(49千億円)となるという見方もある。北アイルランドの人口185万人はイギリスの全人口の3%弱であるため、全体額が35倍膨れ上がる可能性がある。財務省らが慎重だとも言われている。

その上、DUPはもともとEU離脱派だが、ソフトなEU離脱を求めている。また、北アイルランドと南のアイルランド共和国との国境は、現在のように、地図上国境はあるが、物理的な国境のない状態を維持したいとしており、メイの強硬離脱的な戦略とどのように折り合えるか疑問がある。

メイの後継首相 

現在のメイは、総選挙直後より強い立場だとする見方もあるが、とてもそのような状況とは言えず、まさしく風前の灯火であり、メイ政権は早晩崩れるだろう。

その後継首相は、もしすぐに総選挙が行われなければ、現離脱相のデービスとなるだろう。

長く筆頭候補だったジョンソン外相は、離脱交渉の終わる2019年前には党首選に出ないと示唆した。EU離脱に当たり、イギリスは何らの支払いをする必要はないどころか、むしろこれまでの貢献分から払い戻しがあるべきだと主張した上、昨年6月のEU国民投票キャンペーン中にEUを離脱すれば、週に35千万ポンド(490億円)をNHSに向けられると主張した。これらの発言と現実の交渉を両立させることは極めて難しい。また、ハモンド財相は、EU残留派だった上、ソフトな離脱を訴えており、党内をまとめることは難しい。

デービスは、離脱派の一人だったが、既に離脱交渉の難しさを十分に理解している。2005年の党首選で勝利するだろうと見られていたが、キャメロンに敗れた。キャメロン党首の下で影の内相となったが、人権問題で自分の考えを貫くために、議員辞職して再び立候補し、当選した人物である。625日のBBCテレビでのインタビューで、イギリス側とEU側が折り合える点を探ると発言したが、現実的な対応をするように思われる。

一方、もし、総選挙があれば、労働党が政権に就き、党首コービンが首相となるだろう。コービンは政治センスが意外に優れていることが明らかになってきている。コービンは、昨年のEU国民投票の前、EU残留を10の内、7もしくは7.5賛成とし、EU残留に100%賛成ではなかった。しかし、EU離脱交渉では、労働党は、合意を必ずするとし、労働者を守るために、貿易関係を重視するとしている。メイと比べて、これまでのお荷物がはるかに少なく、より現実的な交渉ができるだろう。

メイの困難な立場は、多くの国民にEU離脱後の不安を掻き立てており、貿易で現実的な妥協を求めるようになってきている

この状況の中では、メイが首相の座を去ることは、恐らくイギリスにとって望ましいことのように思われる。イギリスがEUから離脱すること自体、長期的に見れば悪いことばかりではないだろう。しかし、その離脱の仕方が大切で、長期的な関係が維持できる、スムーズな離脱となるよう慎重な配慮が必要だ。もしイギリスに運があれば、政治センスのないメイがこの舞台から退場させられることとなるだろうと思われる。

EU離脱後の貿易関係

メイ首相が、EU離脱を定めたリスボン条約50条による、EUへの通知を来年3月末までに行うと発表した。この通知で2年間の離脱交渉期間が始まる。EU加盟国すべてが同意した時には、この交渉期間を延長できるが、その合意がなされても、それでイギリスとEUとの関係に決着がつくわけではない。

この離脱交渉では、離脱後のイギリスでのEU国人の取り扱い、また、他のEU国に住んでいるイギリス人の処遇等を含め、EUとイギリスの関係の清算に関する権利義務などの交渉が中心となる。

離脱後のイギリスとEUの関係の焦点はイギリスのEU単一市場へのアクセスと人の移動の自由の問題だが、離脱交渉中にある程度の話はできたとしても、イギリスがEUを離れた後でなければ合意はできない。この合意は、EUとEUに加盟していない国が行うべきものだからである。メイ首相はすでにノルウェー型などの既存のモデルではなく、イギリス独自の形とすることを表明しているが、それがどのようなものかはまだ明らになっていない。離脱派は、EU法の国内法に対する優越や、EUの裁判所の監督、それに負担金などに反対してきたが、これらを考えると、欧州経済地域(EEA)への加入は現実的ではない。いずれにしても詳細な交渉となり、2年では無理だと見られている。

しかもこれらの合意には、加盟国のトップが出席する欧州理事会で全員の同意と欧州議会の賛成が必要な上、加盟国議会と関連議会の36の議会の同意を得なければならない。もし、いずれかの当事者が反対すれば、それで進捗はストップする。すなわち、イギリスとEUの新しい関係が構築されるのは、離脱合意の後、かなり後のこととなる。それ以外の国との貿易合意も、例えばオーストラリアが関心を示したが、それはイギリスがEUから離脱した後だと明言したように、離脱後かなり時間がかかる。

そのため、離脱合意後、イギリスの貿易関係は基本的に世界貿易機関(WTO)のルールに従うこととなる可能性が高い。しかし、この道も「複雑な交渉」となる。いずれにしても、EU以外の国との貿易交渉は、EUがイギリスを含めた加盟国のために担当してきた。EU離脱後、イギリスは独自で徐々に築いていく必要がある。そのため、今後長期にわたり、不安定な貿易関係が存在する可能性が高い。

メイのBrexit

保守党の党大会が10月2日から始まった。7月に首相に就任したばかりのメイが党首として初めて参加する党大会である。直近の世論調査では、保守党支持率が39%で、党大会の終わったばかりの労働党に9ポイントの差をつけており、メイの首相としてのハネムーンは続いている。メイの首相としての能力への評価は高いが、その期待に応えられるかどうかが今後のカギとなる。特に、メイに期待される仕事で最も重要なBrexit、すなわち、いかにイギリスをEUから有権者の期待に沿うような形で離脱させられるかが課題となろう。

メイは、リスボン条約50条で定められたEU離脱のプロセスを開始する通告を来年3月末までに行うとし、この規定で定められた2年間の交渉の後、2019年の春にはEUを正式に離脱するという期待を高めた。また、イギリスがEU法の国内法への受け入れを定めた法(1972年欧州共同体法)を廃止すると発表したが、この法案を来年女王陛下の発表する政府の政策方針に入れ、イギリスが将来EUを離れる段階で発効させるようにする予定である。これらは、メイのBrexitへの取り組みに疑いを持っていた党内のEU離脱派を喜ばせる象徴的なものだ。

メイは、党大会初日の演説の中で、移民のコントロールを優先するとしながらも、できる限りEUの単一市場へのアクセスを図るとし、既存のモデル(ノルウェーやスイスなど)とは異なるイギリス独自のEUとの関係を築くとした。ただし、それがどのようなものかは未だにはっきりしていない。メージャー保守党政権で財相も務めた、ケン・クラークは、メイにはまだ具体的なアイデアはないとしたが、少なくとも、その詳細は、明らかにされていない。

これは、キャメロン前首相のEU国民投票実施の発表の際の状況にも似ているように感じる。2013年1月、キャメロンが2015年の総選挙後に自分が再び首相であれば、EUと交渉し、EUとの関係を改めた上で2017年までに、EUから離脱するか残留するかのEU国民投票を実施するとした。ところが、EUとの交渉は予想外に困難で、域内の人の自由移動にこだわるEUの壁を崩すことはできず、表面的なものに留まり、国民はEU離脱を選択することとなった。

メイは、具体的な交渉の詳細は今後とも発表しないとしたが、期待のコントロールは簡単ではない。特に、Brexit関係担当の3人の閣僚(ジョンソン外相、デービスBrexit相、フォックス国際貿易相)は、いずれもかなり癖の強い人たちである。

メイは、内相時代に重用したスタッフ2人を首席補佐官として自らの手元に置き、また内相時代に自らの部下だった閣外相(グリーン労働年金相、ブロークンショー北アイルランド相、ブラッドリー文化相)を閣僚に起用するなど、これまでの仕事上の経験と関係を重んじているようだ。

自らがキャメロン首相に抑えられた経験から、ジョンソン外相ら3人の閣僚を統御できると考えているのかもしれない。ただし、首相になる野心を持っており、失敗しないよう慎重だったメイとこの3人はかなり異なる。メイはBrexitを含む3つの内閣小委員会を自らが取り仕切り、すべてに目を配る体制を取っている。これは、既にコントロールフリークと攻撃されているが、そのような手法でBrexitの案がうまくまとめ切れるかどうか、それがメイの最初の課題だろう。そしてできるだけEUとの経済を含む関係を傷つけないような離脱そして将来の関係交渉となる。キャメロンの経験したようなEUの壁をメイが感じるのは間違いないだろうが、それにいかに対処するかでメイの真価が問われるだろう。いずれにしても、Brexitはまだスタートもしておらず、今回のメイの発表は、方向性の概要を示したに過ぎない。

EUを離脱するイギリス

6月23日に行われた、イギリスが欧州連合(EU)に留まるかどうかを決める国民投票で、イギリス国民はEUを離脱することを決めた。投票直前、そして投票中も、残留が優勢だという観測が高まったが、実際に票を開けてみると、離脱派の勢いが上回っていた。結果は、離脱52%、残留48%だった。わずかな差だったが、キャメロン首相は、いずれの結果が出てもそれを尊重すると宣言していた。

この結果を受けてキャメロン首相は、首相を辞任すると発表した。この10月に行われる党大会の前までに後継の保守党党首、そして首相を選ぶことになり、キャメロン首相は、3か月後に退くのである。

EUを離脱する交渉を正式に始めるには、リスボン条約で付け加えられた欧州連合条約50条により、イギリスがEUに離脱を通知することとなるが、それは、新しい首相によって行われる。すなわち、これから3か月ほどの期間、本格的な離脱交渉を始めるまでの準備作業が進められることとなる。

この結果でイギリスの政治は大きく変わる。首相が変わり、そして政府の目的も変わる。しかもイギリスとEUとの関係、それ以外の国との関係も含めて、新政府の課題は多岐にわたり、しかも膨大なものとなる。これまでEUに頼って進めてきた貿易交渉を自らの手で行う必要があり、政治、戦略的にも本格的な見直しに迫られる。

イギリスが離脱を選択した大きな理由は、EUとの関係や移民の問題を含めて、現在のイギリス政治に不満をいだく国民が、このような包括的な見直しを求めたためではないかと思われる。投票率は72%と、昨年総選挙の66%を大きく上回り、非常に関心の高かった国民投票だった。

投票日の6月23日には、豪雨などのため、各地で洪水が起き、交通網に影響が出るなどの影響があった。一方、開票結果の分かった翌日の24日早朝は、打って変わったいい天気だった。現状維持の「残留」ではなく、新しい未来を意味する「離脱」にはそれなりの魅力があり、「離脱」の結果に、肩が楽になったような気がした人は多かったと思われる。

しかし、このような気分は、1997年にトニー・ブレアが労働党を率いて総選挙で地滑り的大勝利を収めた時のものに似ているのではないか。ブレア政権は、投票日翌日の、素晴らしい五月晴れの日に政権についた。非常に大きな期待を受けて政権についたブレア労働党政権が、それほど振るわなかったような事態が「離脱派」に待ち受けているかもしれない。

新政権の手腕が問われることとなる。新首相の最右翼と目されている前ロンドン市長ボリス・ジョンソン下院議員にどれだけの能力があるか見ものだ。

あと2週間足らずとなったEU国民投票

6月23日にイギリスが欧州連合(EU)を離脱するか残留するかを決める国民投票が行われる。移民(離脱派)か経済(残留派)かの戦いとするメディアが多いが、現在の政治への見方、不満も重なり、有権者の考え方は、そう単純ではない。

この段階では、離脱派に勢いがあるように思える。筆者の知人にも、当初、残留に投票するとしていた人たちが、今では迷っている、もしくは離脱に投票することを考えているという人が何人もいる。

筆者は日本人であり、投票する権利がないが、ある知人に、もし投票できればどちらに投票するかと聞かれ、当初は残留だったが、今では決めかねていると答えた。

確かに、イギリスがEUを離脱すれば、その経済に与える影響は少なくないだろう。残留派のキャメロン首相が、イギリスはEUから離脱しても存続していけるが、経済成長は低下すると発言した。少なくとも短期的なショックはかなり大きいと思われる。しかし、現在のEUにはかなり行き過ぎている面がある。イギリスの中央銀行であるイングランド銀行の前総裁マービィン・キングが指摘するように統一通貨ユーロが破たんする可能性があり、もしそうなれば、EU自体の存続が問題となるだろう。移民問題などで苦しむEUを無理にまとめようとする努力は不毛かもしれず、将来イギリスが迫られてEUから離れるよりも、この機会にEUの重荷を離れて、独自の立場を確立することにはそれなりの意味があるように思われる。

ただし、イギリスがEUを離脱することとなれば、EU諸国の中に同様の国民投票実施を迫られる国があると見られており、その影響はかなり大きい。また、欧州の経済だけではなく、世界経済に与える影響もあるだろう。

最も新しい世論調査では、残留と離脱が均衡しているが、まだ決めていない人が一つでは11%、もう一つでは13%となっている。しかし、まだ決めていない、もしくは決められない人はもっと多いのではないか。2015年総選挙では、世論調査会社が保守党の過半数の議席獲得を事前に読めなかった。その理由の一つは、どの政党に投票するかを投票所で決めた人がかなりいたためではないかという見方がある。

今回の国民投票では、総選挙のように指標となる前回の選挙がないため、その予測と結果の誤差はかなり大きいと見られている。つまり、世論調査の結果による予測がはずれる可能性が高い。

イギリスの賭け屋は、最近の世論調査などの結果、大きく賭け率を変えている。以前、残留が圧倒的に優勢だったが、離脱に賭ける人が増えており、離脱の賭け率が減っている。今でも残留が強いが、キャメロン首相らは、この展開を心配していると伝えられる。

EU国民投票の予測

6月23日投票の欧州連合(EU)国民投票は、イギリスがEUに残留するか離脱するかを決めるものだ。キャメロン首相らの推す残留派と、同じく保守党の前ロンドン市長ボリス・ジョンソン下院議員らの離脱派が熾烈なキャンペーンを転換している。

結果の予測には、世論調査がカギとなる。世論調査は、2015年総選挙で保守党の過半数を予測できなかったことから、かなり信用を失った。そのため、世論調査の業界団体(British Polling Council⦅BPC⦆)やイギリス選挙研究会(British Election Study⦅BES⦆)らが、なぜ予測できなかったのかを探ってきた。その大きな原因は、サンプルに問題があったと見られている。労働党支持者は世論調査会社が比較的コンタクトを取りやすいのに対し、保守党支持者にはコンタクトが取りにくかったことと、保守党支持者の投票率が高いのに対し、労働党支持者は投票率が低く、労働党支持が過大に評価されたことが大きな原因ではなかったかと見られている。それまででも世論調査会社はそれなりの分析をしてこれらのバイアスを除く努力をしてきたが、それが十分ではなかったようだ。

この調査結果は、現在のEU国民投票の世論調査にも反映されている。ただし、このバイアスの問題が完全に解決されているわけではない。その典型は、オンライン世論調査と電話世論調査の結果が大きく異なっていることだ。オンライン世論調査とは、登録世論調査受託者の中から抽出した人たちに質問票を送って答えを求めるもので、電話世論調査とは、これを電話で行うものである。

なお、EU国民投票に関しては、これまでの傾向としてオンライン調査では残留派と離脱派が拮抗しているが、電話調査では、残留派がかなりリードしている。

5月16日に発表された世論調査会社ICMの結果を見てみよう。ICMは、EU国民投票の支持動向と次期総選挙への政党支持とをオンラインと電話の両方で同時に行った。その結果は以下のようである。

EU国民投票の動向(残留支持か離脱支持か)

  残留 離脱 未定
オンライン 43 47 10
電話 47 39 14

この結果は、極めて興味深い。オンラインでは、離脱派が4ポイントリードしているのに対し、電話調査では残留派が8ポイントリードしている。電話調査では、直接聞かれるので、態度未定者の割合が少ないと言われるが、これでは電話調査の方がオンラインより多くなっている。なお、この調査は、世論調査で時にある異常値であるという疑いがあるかもしれないが、次期総選挙の政党支持から見るとそうでもないようだ。

次期総選挙の政党支持(もし総選挙が明日あればどの政党に投票するか)

  保守党 労働党 自民党 UKIP 緑の党
オンライン 34 32 7 17 4
電話 36 34 7 13 4

これでは、保守党と労働党の支持率の差はいずれも2ポイントである。一般にオンラインではイギリス独立党(UKIP)支持が高いと言われ、その傾向が出ている。UKIPは、イギリスをEUから離脱させることを目的とした政党であり、その支持が高ければ、離脱派が多くなるだろう。

EU国民投票では、労働党支持者の3分の2が残留支持だと言われる。電話調査で、残留支持が離脱派を大きくリードしているのは、応答者の多くがコンタクトの比較的容易な労働党支持者であることが過大に出てきている可能性も否定できない。労働党支持者の投票率は一般に低いが、キャメロン首相は、労働党支持者の投票率を上げようと、労働党支持のタブロイド紙デイリーミラー紙にも寄稿して、残留支持を訴えた。

電話調査の方が、多くの費用がかかり、より正確だと一般に信じられているが、結局のところ、オンライン調査と電話調査の間に落ち着くという見方がある。このオンラインと電話調査の結果の差は、6月23日の国民投票の結果がわかった時点で改めて検討されることになろう。なお、イギリスの大手賭け屋ウィリアムヒルの賭け率は、残留1-4、離脱11-4で、残留が優勢である。

EU離脱のマイナス効果

オズボーン財相が、4月18日、財務省のエコノミストの分析に基づき、イギリスが欧州連合(EU)を離脱すれば、イギリス経済は2030年までに6%縮小し、そのマイナス効果は、一家族当たり、年に4300ポンド(65万円:£1≒150円)と主張した。

これらの数字だけを聞けば、非常に大きなマイナスだと感じられるが、オズボーン財相の目的は、そのような印象を与えることである。実際には、イギリスがEUに残留する場合と離脱した場合には2030年までに6%の差が出てくる可能性があり、また、その差は、一家族当たり4300ポンドとなるとの計算である。家族の所得がそれだけ減るわけではない。また、これは、多くの仮定に基づいたものであり、確実にそうなるというものではない。つまり誤解を招くようにする目的があるのである。その必要があるような状況になっていること自体、遺憾な事態であると言える。

確かに、イギリスのEU離脱には多くのマイナス面がある。イギリスの人口は6500万人ほどであるのに対し、イギリスを除いたEUの人口は5億人ほど。イギリスの輸出の44%はEU向けであり、一方、EUからイギリスへの輸入は8%足らずである。イギリスはその輸出先としてEUにかなり依存している。そのため、離脱の場合、EUとの貿易協定などを新たに結ぶ必要がある。カナダとEUとの貿易協定の前例があるではないかとの声もあるが、この貿易協定締結までには7年かかっており、2年間の移行期間中には、難しいかもしれない。なお、ゴブ法相の主張するような「自由貿易地域」で欧州の市場に完全にアクセスできるが、規制を受けないという考え方は、非現実的である。

さらに、イギリスは、EUの貿易交渉に大きく依存しており、そのEU離脱の影響は、対EUだけに留まらない。カナダには、経験豊富な人材がいたと言われるが、イギリスにはそのような人材が不足していると思われる。

いずれにしても、オズボーン財相は、EU離脱はイギリスに大きなマイナスだと主張する。しかし、このEU国民投票そのものはキャメロン首相とオズボーン財相が生み出したものである。オズボーン財相は、イギリスの財政への危険を少なくしようと、財政赤字を2020年までに無くし、国の債務を減らす必要があるとするが、このEU国民投票のような「賭け」で国の将来に大きな危険を招く可能性を生み出すのは、その本来の目的に反しているように思われる。

一方、イギリスの景気は悪化している。NIESRによると、2016年第一四半期の経済成長は0.3%で、その前の2015年第四四半期の半分だ。他の指標も軒並み下がっている。中央銀行のイングランド銀行の金融政策委員会によると、EU国民投票による不確かな経済環境でポンドは下がっており、ビジネス判断が先延ばしになっている、企業の借入需要の減退、また、商業物件の取引が大きく下がるなどの状況が生まれている。

イギリス経済はEU国民投票のためにマイナスの影響を受けている。また、オズボーン財相が指摘するような危険があるのなら、これらの政治家が国の将来を本当に憂えているというよりは、自分たちの政治的な目的を達成するために、危険な賭けに出ていると言われてもやむを得ないだろう。