長寿社会で根本的な変化を迫られる政治

長寿社会を迎え、政治は根本から変わっていかねばならない。社会も教育も大きな変化を迫られている中、政治が、これからありうる社会像を示し、それへのはっきりとした方向性、対応した政策を打ち出していく必要が出てきている。しかし、政治は、後手に回っている。

人々の平均余命はたいへんな勢いで伸びている。医学の進歩と生活水準の向上、そして身体も、腰や膝、臓器も含めて、不調になった部位を入れ替えることができるようになった。しかもこれらの研究は、加速度的に進んでいる。

イギリスの統計局の発表では、1980-82年と比べると、2011-13年には、出生時の平均余命が、1日当たり、男性で6.3時間、女性で4.6時間伸びている。また、平均余命にかなり影響していると思われる喫煙がかなり減っている。1974年には、60歳以上の喫煙率が、男性で44%、女性で26%だったが、2012年にはそれぞれ13%と12%となった。

コペンハーゲン大学のルディ・ウェステンドープ教授によると、我々の平均余命は、毎日6時間延びているという。心臓血管の病気で亡くなる人が減っており、しかも認知症になる可能性も、イギリスの大規模調査によると、過去20年で30%減っているそうだ。大幅に寿命が伸びており、現在の子供たちは135歳まで生きる可能性があるが、それへの心の準備ができていないと指摘する。65歳で定年退職、年金を受給して死を待つといった考え方は、19世紀的な妥協の産物の残滓で、親の世代の生き方が参考にならない時代だと言う。

未来学者のロヒット・タルウォーが私立学校長の会で講演した話は、教育の場で特に重要だろう。タルウォーは、これからの子どもたちは、120歳まで生き、100歳まで働く可能性があるという。長生きする薬剤や医療の進歩で、毎年5か月寿命が伸びており、現在11歳の子供は120歳まで生きる可能性があり、100歳まで働くうち、10の職種で、40の仕事に就くのではないかという。

もし、100歳まで働くとすると、労働年齢が、20歳前後から100歳まで80年にも及ぶ。また、ロボットや自動化が伝統的な仕事に取って替わるため、イギリスでは、仕事が今後10年から20年で、30~80%減る可能性があるという。つまり、産業構造が大きく変化する中、このような変化に対応できる人を育てる教育に変えていかなければならないというのである。

時代は急激に変化している。これらの予測がどこまで本当になるかは不明だが、人々が、これまでよりはるかに長く生きる時代となり、はるかに高い年齢まで、本人の意思もしくは必要で働く時代になってきている。これまでの固定した考え方では、とても対応できない。

イギリスでも高齢者で働く人がいる。1914年生まれの男性は、76歳でDIYショップのB&Qで働き始め、20年間働いた。B&Qには高齢で働く人は、他にもいる。また、公共放送BBCの人気ラジオ番組「アーチャー家(The Archers)」でペギー・ウーリーを演じている人は、1919年生まれで96歳だが、現在も現役である。こういう例が益々増えていくだろう。

イギリス政府は、年金の受給年齢を段階的に68歳まで上げ、年齢を理由にして退職させたり、差別することができないようにした。しかし、人々が120歳や135歳まで生き、100歳まで働き続ける時代には、根本的に異なるアプローチが必要になっていると思われる。

生活賃金を義務付けた財相

2015年総選挙のマニフェストで、保守党は、財政赤字を削減する一環として、福祉予算を削減するとした。その詳細は、7月8日の緊急予算で明らかにされたが、その中には、低賃金や貧困家庭の人たちの生活を助けるためのタックス・クレジットの制限・凍結が含まれている。

タックス・クレジットは、負の所得税とも言われる。この制度は、ブレア労働党政権のブラウン財相が、貧困家庭を無くすための手段として特に力を入れ、2003年に導入した。貧困家庭対策には確かに役に立ったが、弊害が生まれている。低所得者がこの制度に頼る傾向が出てきていること、さらに、使用者もこの制度に依存し、勤労者に低賃金を支払っても、タックス・クレジットで補われるという状況が生まれてきていることである。

また、勤労者にとっては、必要最低限以上の時間働くと、給付にマイナスに働き、働く価値が乏しくなるという問題がある。例えば、1人親家族の場合、最低週16時間、1人暮らしの場合、最低週30時間という具合である。

このため、財政削減の必要と、勤労者や使用者の依存に歯止めをかけるために、キャメロン首相は新しい方策を提唱した。つまり、福祉依存を減らし、賃金を上げるというものである。イギリスは生産性が低いが、これを改善するためにも、賃金を上げ、使用者に効率を上げるインセンティブを与える目的もある。

これは言うは易く、行うは難しいという部類に入る。しかし、キャメロン政権では、オズボーン財相が、7月8日の予算発表で、全国的に生活賃金を導入することを発表した。

イギリスの最低賃金は現在、時間当たり、6.50ポンド(1235円:£1=190円)である。これは法定である。それ以外に基本的な生活が営める生活賃金が設定されている(拙稿参照)が、これは、全国で7.85ポンド(1492円)、ロンドンで9.15ポンド(1739円)で、任意のものである。

キャメロン首相の戦略アドバイザーだったスティーブ・ヒルトンは、大手企業、例えば大手スーパーのテスコが従業員に低賃金を支払い、それを補うために政府がタックス・クレジットを支給しているのは、おかしいと指摘した。テスコが生活賃金を支払わないのは、企業がそれだけの利潤を得ていないためではなく、そのように選択しているからだという。生活賃金の支払いを義務化すべきだとした。

確かにヒルトンの言い分は正しい。ただし、使用者に生活賃金の支払いを実施させるにはどうすればよいかという問題がある。野党の労働党は、総選挙のマニフェストで、2019年までに最低賃金を8ポンド(1520円)に上げることを挙げていた。労働党は、ヒルトンの主張に賛成したが、生活賃金を支払う使用者には税控除を提案した。

しかし、オズボーン財相の発表は、これらを上回るもので、新たに「全国生活賃金」を義務付け、2020年までに25歳以上の人の時給を9ポンド(1710円)にするというものである。そして来年の4月からは、時給が7.20ポンド(1368円)となる。

財務省は、「全国生活賃金」の導入で、270万人の賃金が上がり、その波及効果で325万人の賃金が上がると見ている。週に35時間、最低賃金で働いている人は、2020年までに、賃金が3分の1上がり、年に5020ポンド(95万3800円)収入がアップするという。

この「全国生活賃金」は、現在の「低賃金委員会(Low Pay Commission)」が今後、勧告する予定で、賃金のメジアン(中央値)の60%とするという。

一方、雇用に与える「全国生活賃金」の導入の影響は、2020年までに6万人の雇用減と見ているが、2020年までには雇用が全体で110万増加すると見ており、その影響は少ない。企業の利益には1%減の影響があると見ている。その結果、政府の税収入に若干の影響が出る見込みだ。

オズボーン財相は、また、雇用の増加に力を入れ、また、この2015年4月に20%となった法人税を、2020年までに18%とすると発表した。

「全国生活賃金」には、懐疑的な見方もあるが、オズボーン財相が発表した時、下院の端で、立って聞いていた、労働年金相のイアン・ダンカン=スミスが、両手のこぶしを振り上げて、喜びをあらわにした。保守党の党首の座を引きずり落とされた後、貧困の問題に取り組むため、社会正義センターを設立した人物である。その気持ちが伝わってきた。これが政治であると感じた。

政治問題のヒースロー空港第3滑走路建設

空港建設・増設は、経済問題であるが、同時に政治問題でもある。イギリスのハブ空港であるロンドンのヒースロー空港の場合、極めて政治的な問題となっている。

ヒースロー空港(現在2滑走路、以下同様)は、キャパシティが満杯で、ロンドン周辺の空港の拡張が緊急の課題である。例えば、ドイツのフランクフルト空港(4滑走路)からは、新興経済国の中国やブラジルの地方大都市にも直接飛べる便が出ている。それは、パリのシャルル・ド・ゴール空港(4滑走路)やオランダのスキポール空港(6滑走路)でも同様だ。中国には、以上の4空港ともに北京と上海への直行便があるが、ヒースローからはそれ以外の地方都市への便はなく、これではビジネス機会を失うとの危惧がある。

なお、ロンドンには、いくつかの空港があり、ロンドンで2番目の空港ガトウィック(1滑走路)は、比較的近距離の航路が中心である。現在使われているキャパシティは85%だが、ピーク時には満杯であるため、ロンドン地域の空港のキャパシティを増やすには滑走路を建設する必要がある。

ブラウン労働党政権下で、ヒースロー空港の第3滑走路の建設を決定したが、2010年総選挙で、保守党、自由民主党は、建設反対を訴えた。この理由の一つは、両党にとって重要な選挙区がヒースロー空港の離着陸ルートやその近辺にあり、約100万人が影響を受けているとの指摘もある騒音などの被害で住民が拡張に強く反対していたことがある。キャメロン連立政権誕生後、ヒースロー空港第3滑走路の建設は棚上げされた。しかし、空港の能力拡張は、経済的、政治的に急務であり、その結果、キャメロン政権は、第3者の「空港委員会(デイビス委員会)」を設けて、どのように対応するか勧告を出すよう求めた。

この委員会は、2015年総選挙に影響を与えないよう、総選挙後に報告することになっていたが、選挙前に3つの候補空港を発表した。①ロンドン西のヒースロー空港の第3滑走路の建設、➁ヒースロー空港の既存滑走路の延長、さらに③ロンドン南のガトウィック空港の第2滑走路建設だった。

それでも、オズボーン財相は、ビジネスの推す、ヒースロー空港第3滑走路の建設に前向きと言われており、当初からそれが有力であった。デイビス委員会の答申では、予想通りヒースロー空港の第3滑走路建設を強く勧告した。それでもガトウィック空港第2滑走路の可能性を残したものである。

デイビス委員会の答申の主な内容

項目 答申内容
建設コスト 176億ポンド(約3兆3千億円:£1=190円)。道路・鉄道追加公費57億ポンド(約1兆1千億円)
撤去の必要な住宅 783軒。時価に25%追加して買上げ。関連コストも負担
夜間飛行 午後11時30分から午前6時は禁止。拡張後可能となる
第4滑走路の可能性 法律で禁止すべき
騒音規制 騒音は増加しない
大気汚染規制 周辺自動車への課金など
離着陸 年に48万件から74万件へ増加
経済効果 今後60年間で1470億ポンド(約28兆円)
新航路 40。新興経済国の長距離ルート12を含む

この答申は、これまでヒースロー空港拡張に大きな障害となると見られていた、騒音問題、大気汚染も細かく検討し、しかも地元コミュニティへの配慮も含んだ、総括的なものである。委員会の委員全員一致の結論だという。イギリスの将来を見据え、イギリスに最も必要な新興経済国との長距離ルートの新航路を重視した結果、ヒースロー空港第3滑走路を選択した。なお、ガトウィック空港の第2滑走路建設の地元住民への影響は最も少ないが、長距離ルートの点で大きく劣ると判断された。

この答申を受け、キャメロン首相は、年末までに政府の方針を決定すると発表した。しかし、ヒースロー空港第3滑走路の建設には保守党内部に強い反対の声がある。

次期保守党党首の最有力候補者であるロンドン市長ボリス・ジョンソンは、2015年総選挙で下院議員にも選出されたが、ヒースロー空港拡張に真っ向から反対し、自分のロンドン市長選挙でも、それを強く押し出した。テムズ川河口の新空港建設を強く推したが、この案は、デイビス委員会の最終候補に残らなかった。ジョンソンは、デイビス委員会の勧告を聞いても、ヒースロー空港の第3滑走路の建設は全くないと主張している。

また、来年2016年の次期ロンドン市長選の保守党候補となるのは確実と見られている、下院議員ザック・ゴールドスミスは、2010年の総選挙で、離着陸ルートの通る選挙区から、ヒースロー空港拡張反対を掲げて初当選した。もともと環境問題活動家で、もし保守党がヒースロー空港拡張を推進するようなら、下院議員を辞職して、補欠選挙を行うと約束した。デイビス委員会の勧告発表後も、その立場は同じだと主張した。すなわち、もしキャメロン首相がヒースロー空港第3滑走路建設を決めれば、ゴールドスミスは、保守党の政策に反対することとなり、その関係は、かなり複雑となる。

また、国際開発相のジャスティン・グリニングは2005年総選挙で初当選した時から、ヒースロー空港拡張に反対してきている。2010年総選挙後、キャメロン政権で、オズボーン財相の下、財務省の閣外相を務め、その後、運輸相に任ぜられたが、グリニングがヒースロー空港拡張に強く反対していることから、すぐに国際開発相に回された。この際、グリニングは、運輸相在任を強く求めたが、キャメロン首相の意向でやむなく受け入れたという経緯がある。グリニングは、ヒースロー空港第3滑走路建設に強く反対すると見られている。

さらに、メイ内相やハモンド外相もヒースロー空港の離着陸ルートに近い選挙区から選ばれており、これらの有力議員が強く反対すれば、それを押し切って、ヒースロー空港第3滑走路建設を推進するのはそう簡単なことではない。一方、ガトウィック空港周辺の選挙区選出の保守党下院議員には、ヒースロー空港拡張を速やかに進めるべきだという主張もある。

下院議員の空港拡張への立場には、これまでの主張や利害が深く絡んでおり、それらを乗り越えてまとめるのはそう簡単ではない。しかも、キャメロン首相は、2010年総選挙前の2009年に、ヒースロー空港の拡張は、絶対にないと主張している。つまり、公約違反ということとなる。

一方、野党の労働党は、ヒースロー空港第3滑走路建設賛成の立場だ。そのため、もしキャメロン首相がヒースロー空港第3滑走路の建設を決定すれば、下院で多数を得ることができると見られる。

政治的な判断でカギとなるのは、キャメロン首相は、5年未満で首相の地位を退くと総選挙前に発表していることだ。ヒースロー空港第3滑走路建設の決定をし、次期総選挙前に首相を退くという可能性があるだろう。近年の住民パワー、それに有力下院議員の反対、これまでの発言などで、このような重要な決定が引き延ばされ、ビジネスに影響を与えることは遺憾だが、それでも様々な利害が関係する中で、できるだけ多くの人の納得が得られるよう努力することは、政治家にとって必要なものと言える。

レトリックの効用

キャメロン首相のレトリックの使い方には、驚くべきものがある。これで保守党が総選挙に勝ったのではないかと思えるぐらいだ。

その端的な例は、移民の数の問題である。イギリス国民は、これに非常に大きな関心を持っている。イギリス独立党(UKIP)への急激な支持の増加は、この問題に端を発する。キャメロンは、前回の2010年総選挙前、政権につけば、移民数(正味の移民数で、移入者の数から移出者の数を引いたもの。いずれも1年以上の動きが対象)を間違いなく10万人未満にすると約束した。この総選挙期間中には、当時のブラウン首相(労働党)が、遊説中、ダフィーさんという年金生活者から東欧からの移民の問題を質問された後、お付きの人に、あの頑迷な女と言ったことが明らかになり、わざわざダフィーさんの自宅に謝罪をするために訪問した事件(ダフィーゲート)があった。

キャメロンは、その約束にもかかわらず、首相を5年務めた後、当時の最新の移民数統計は29万8千人で、約束した数の約3倍だった。公約を果たせなかったのである。これを質問されたキャメロンの答えは揮っていた。

「10万人は今でも目標で、それを達成したい」

公約を果たせず、申し訳ないとは言わず、その目標に向けて今も努力しているとの答えだった。イギリス国民は、これを言葉通り受け止め、この公約違反は、選挙期間中、大きな問題とはならなかった。

そして、2015年総選挙の2週間後、最新の移民数の統計が発表された。それによると、前回より減るどころか、さらに増え、2014年には31万8千人だった。この数字は、過去最大の2005年の32万人に迫る数字である。前年から50%ほど増えている。キャメロンは、それでも、選挙期間中と同じことを主張した

労働党支持の新聞、デイリーミラーは「キャメロンの大嘘」と第一面で批判した。タイムズ紙は、社説で、キャメロンのように、恣意的に数字を決めるのは誤りとした。

もともと正味の移民の数を調整するのは、極めて難しい。移入してくる人には、大きく分けて3つある。移民の自由の権利のあるEU内の人たち、海外から帰国してくるイギリス人、それにEU外から来る人たちである。このうち、EU外からの人たちは規制できても、それ以外の人たちは難しい。その上、外貨の大きな収入源であるEU外からの学生、技能や人手の不足している分野の労働力など、規制を強めることは、自らの首を絞めかねないという問題がある。例えば、医師や看護婦などが不足しており、キャメロンは、医師5千人など、この分野での雇用を拡大するとしているが、いったいこの医師がどこから来るのかという疑問がある。EU外からの移民に頼らざるを得ないと見られている。

その上、EUの景気が低迷している中、経済成長で雇用の増加しているイギリスは、EU内の人たちには非常に魅力的だ。イギリスの増加する雇用の半分近くは、移民に行っている。

一方、移出していくのは、帰国する外国人と、海外に移住するイギリス人である。いずれも、数を規制するのは困難だが、この数字は30万人台で安定している。

これから見ると、もともと恣意的な数字を挙げたこと自体、判断に疑問がある。しかし、ここでの問題は、その判断ではなく、そのレトリックである。キャメロンは、偽りとも言えるような言葉、表現で乗り切っている点だ。

来るEUに留まるかどうかの国民投票の問題でも同じような手段を用いている。キャメロンは、2015年総選挙に勝ち、首相に留まれば、イギリスが有利となるようEU各国との交渉を行い、その上で、2017年末までに、この国民投票を実施すると約束していた。この国民投票は、2016年に行われるとの見通しが強まっているが、EUとの交渉でキャメロンの達成したい目標がはっきりしていない。

EU内の人の移動の自由を制限するための方策の中心は、イギリスで受けられる、タックス・クレジット(給付付き税額控除)などの福祉手当を、最初の4年間は受けられないとするものである。しかし、これがEUで認められるかどうかに疑問がある上、もし認められてもイギリスで福祉手当を受けているEU国民はわずか6%しかおらず、その効果は乏しいのではないかと見られている。しかも、違法移民の取り締まりを強化すると言うが、自発的、強制的国外退去の数は減っており、また、関連の予算はさらに削られる方向であり、言うことと実際に行うことの間にはかなり大きな差がある。

その上、イギリスのEU交渉での大きな目標の一つは、EUの統合を強めていくという従来の方向性を変え、イギリスに独自の道を許されるようにするというものである。確かに、シンボル的な意味はあろうが、実際にどの程度の効果があるか疑問である。

EU国民投票は、イギリスの将来に大きな影響を与えるが、レトリック、もしくは言葉で乗り切ろうとする意図があるようだ。確かにこれらは大切だ。特に政治家にとってはそうだろう。

国民は、保守党が過半数を獲得した今回の選挙結果を概して歓迎した。「ハングパーリメント(宙づり国会)」となる可能性が高かったために、不安があったからだ。そのためだろう、総選挙前に保守党が何を言ったかにこだわる向きはあまりない。このような有権者心理から考えると、キャメロンのレトリック戦略は成果を生む可能性が高いと思われる。しかし、同時に、危ういものがあるように感じられる。また、一つ間違えば、有権者の政治不信を招く可能性もあろう。

保守党支持拡大につながっていない予算発表

オズボーン財相は、現在のイギリスの経済成長は、自分の財政・経済政策が正しいからだ、有権者は保守党政権を堅持すべきだと訴える。

確かに、オズボーン財相は、イギリスの財政赤字の削減に尽力した。NHS、学校、海外援助以外の予算を約5分の1減らし、財政赤字を半分とした。また、財務省とイングランド銀行がFunding for Lending という金融機関に安くお金を貸し付ける制度を設け、一方、財務省は、Help to Buy という住宅購入補助政策を打ち出した。これが住宅価格を押し上げる効果を生み、消費ブームをもたらし、現在の経済成長につながっている。

ただし、現在の経済成長は、数々の幸運によるものでもある。例えば、2010年にオズボーン財相は、2015年までに財政赤字を無くすと約束したが、ユーロ圏危機とイギリスの経済停滞で、その約束を先延ばしにした。もし約束通りにしていれば、現在の経済成長はなかっただろうと言われている。

また、保守党の移民の公約は、正味の移民の数(1年以上滞在する入国者から同様の出国者を引いた数)を10万人以下とすることだった。しかし、実際には、30万人近くと、その3倍になっている。ところが、この移民なしでは、イギリスはここまで経済成長できなかったといわれる。

経済成長で、税収が伸びており、しかも、石油価格が低落し、低いインフレ率で、実質賃金が上がるばかりではなく、政府の債務に対する支払いも減っており、イギリスは、財政の黒字化に大きく踏み出した。

ただし、これらの成功と、5月の総選挙を有利に進めることができることとは別の問題である。予算発表後に行われた世論調査によると、確かに、有権者は、今回の予算を歓迎しており、オズボーン財相への評価は、高くなっている。しかしながら、もう一つの世論調査では支持率で労働党がリードしており、オズボーンの予算が政党支持に必ずしもつながっていないようだ。今回の予算発表の内容が、もう少しはっきりと理解されるようになるには、もう少し時間が必要かもしれないが、有権者は、保守党政権がどうしても必要だとはまだ考えていないようだ。

思惑通りにいかない予算

3月18日は、5月の総選挙を控え、今国会最後の予算発表だった。2010年5月に発足したキャメロン政権下で、オズボーン財相の6回目の予算である。キャメロン政権の総決算とも言えるものだった。

イギリスは、先進国G7の中で、2014年にはトップの経済成長率を達成し、しかも2015年はアメリカに次いで第2位の見込みである。独立機関の財政責任局OBRは、2015年の経済成長率の予測を2.4%から2.5%に上方修正した。雇用は上昇し、失業者の数は減っている。国民の多くは、キャメロン首相とオズボーン財相の財政・経済運営を高く評価している。一方、野党労働党のミリバンド党首とボールズ影の財相の財政・経済運営は、そう期待できないと見る人が多い。

そこで、これまでに政府の財政赤字を半分に減らしたオズボーン財相は、これまでの実績をもとに、来る選挙は、実績のある保守党に政権を継続させ、安定した財政・経済運営を行わせるか、2010年までの財政運営で巨額の財政赤字を生んだ労働党に、混乱した財政・経済運営を行わせるか、の選択肢だと訴えた。

なお、世論調査では、保守党と労働党の支持率は、30%台前半で並んでおり、保守党は、これを契機に、労働党に差をつける狙いがあった。

予算の中で発表されたものには、以下のようなものが含まれている。

・税がかかり始める、所得税の最低限度額を、2016年に10,800ポンド(194万4千円:£1=180円)に、2017年に11,000ポンド(198万円)まで上げる。また、40%の所得税のかかり始める限度額を、2017年に43,300ポンド(779万4千円)に上げる。

・貯蓄の利子にかかる税金額を1000ポンド(18万円)まで(40%の所得税のかかる人は500ポンドまで)免除する。

・Help to Buy ISAという、初めて住宅を買う人が手付金を作るのを援助するための少額投資制度を設け、200ポンド(3万6千円)に対し、政府が50ポンド(9千円)の上増しをする制度を設ける。

・ビール、ウィスキーなどの税を若干下げ、自動車燃料などの税を据え置く。

これらは、有権者の気持ちを良くさせる方策といえる。

また、財政赤字の額(単位は10億ポンド)は以下の計画のようにし、2019年度には70億ポンド(1兆2600億円)の黒字を出すようにした。

年度 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019
-97.5 -90.2 -75.3 -39.4 -12.8 +5.2 +7.0

実は、昨年12月の「秋の声明」で、2019年度の黒字額は、231億ポンド(4兆1580億円)としていたが、そこまで財政削減を進めると、GDPあたりの公共支出の割合が、1930年代と同じになると、労働党に攻撃されたため、70億ポンドとして、労働党のブラウン財相時代の2000年と同じ程度に変更した。この変更は、労働党を出し抜いたとして評価する向きが強かった。

ところが、意外にも、この「財政削減」が大きな焦点となった。

保守党は、選挙後、政権につけば、主に財政削減で財政赤字を減らす計画だ。OBRは、2016年度と2017年度の財政削減は、これまでの5年間で経験した最も厳しいものの2倍にもなる一方、2019年度には経済成長に見合って公共支出を増加するとの計画を、上下の動きの激しいローラーコースターのようだと形容したのである。

年度 2015年度 2016年度 2017年度 2018年度
削減割合 ‐1.3% ‐5.4% ‐5.1% ‐2.9%

オズボーンは、そのような厳しい財政削減を実施することを否定した。2016、17年度に300億ポンド(5兆4千億円)の財政削減を計画しているが、それは、福祉予算の120億ポンド(2兆1600億円)、政府省庁の予算の130億ポンド(2兆3400億円)の節約、そして税金逃れの取り締まりの強化で50億ポンド(9千億円)をねん出するから大丈夫だと主張していたが、OBRは、これらの内容の詳細が明らかにされていないことから計算に入れていない。そのために上記のような形容詞が使われる事態となった。

さらに、イギリスで最も信頼されている、独立シンクタンク、財政問題研究所IFSが、福祉予算の節約120億ポンドをどのようにして生み出すのか明らかにすべきだと求めたことから、この問題は、そう簡単に処理できる問題ではなくなった。

保守党は、既に、投票率の高い、年金生活者の福祉支出には手をつけないとしているだけに、福祉予算のうち、それ以外の分野、すなわち、勤労者、子供、身体障害者など、どの部分に手をつけるのかを明らかにすることは政治的に厄介な問題である。

今回の予算は、有権者の次期政権の選択に少なからぬ影響を与えそうな問題に発展してきた。

大失敗した、キャメロンの移民の約束

5月7日の総選挙で、移民の問題は、大きな争点の一つである。イギリス独立党(UKIP)への支持が高まった大きな原因は、移民である。

キャメロン首相は、前回の総選挙で、移民を減らすと約束した。そしてその数を10万人以下とすると言ったのである。ところが、その数は、今やその3倍近く、キャメロンが首相に就任した時より、はるかに多い。そしてこの数字は、総選挙前最後の数字であるために、キャメロン政権の移民政策が、これで評価される。つまり、キャメロンは、約束を守れなかった、むしろ、悪化させた。キャメロン首相は、その約束を全く守れなかったのである。

もちろんキャメロン首相には政治的な痛手が大きい。そこでメディア対策である。キャメロン首相は、メディアにこの問題で出ない。移民を管轄する内務省のメイ内相も出ない。テレビに出てくるのは、内務省の担当大臣である。また、約束を守れなかったのは、イギリスの経済が他のEU加盟国よりかなり良いためで、EU内の移民を誘っている、また、連立を組む自民党の制約があったからだ、と主張した。しかし、実際には、政府のコントロールが効くはずの、EU外からの移民が大きく増えている。

この移民の問題は、既にメディアでは織り込み済みで、当日、テレビやラジオのニュースではトップニュースの一つとして扱われたが、他に大きなニュースがあったために、翌日の主要新聞では第一面で扱われなかった

政府統計局が2月26日に発表した2014年9月までの1年間の移民の数は、29万8千人である。次の発表は、5月21日の予定であるため、5月7日の総選挙の後となる。つまり、キャメロン首相は、この数字で、約束を果たしたかどうかを判断されることとなる。キャメロン首相が政権に就いた時の移民数は25万2千人ほどであったため、就任時より大きく増えたことになる。

なお、この場合の移民の数は、外国からイギリスに、1年以上住むために、来る人の数から、イギリスから、1年以上、外国で住むために出ていく人の数を引いたものである。これには、イギリス人で外国に移住する人や外国から帰ってくる人も含んでいる。

また、政府は、外国からイギリスに来る人の数を制限することができるかもしれないが、イギリスから外国に行く人の数を制限したり、増やしたりすることはかなり難しい。このため、キャメロン首相の約束は、最初から、コントロールできないものを含んでいたが、2010年以降、移出の数は安定している。

EU加盟国からの正味の移民は16万2千人で、その前年の13万人より増えているが、EU外からの正味の移民は、19万人と、前年の13万8千人から大きく増えている。つまり、政府の説明は、実態をきちんと説明していない。

ただし、有権者がどの程度「10万人以下」にこだわっているかには、疑問がある。メディアが騒ぎ、野党労働党の「影の内相」は強く批判したが、それらは、うつろな批判に聞こえる。有権者の多くは、EUからの移民を大きく制限しない限り、移民は減らないと見ている。

政治的には、そのような「有権者の認識」は重要で、政治は、それをもとに動くが、それが必ずしも真実ではないことも注意しておく必要があろう。

保守党と労働党の財政政策

キャメロン首相がスピーチで語った。子供たちに大きな借金を残したいですか?我々には借金の問題を片付ける責任があります。収入の範囲内で生活するようもとに戻すべきですと。なお、日本の政府債務は、国内総生産(GDP)の240%だが、イギリスでは、その3分の1ほどである。

5月の総選挙に向けて、保守党は財政赤字対策が対労働党の主要なテーマと見定めている。保守党と労働党の差は以下のようなものだ。 

  方法 内容 期限
保守党 財政削減で赤字を解消 歳出総額の赤字 2018年度まで
労働党 財政削減と増税で赤字を解消 投資は別 2020年まで

労働党はイギリスが金融危機で経済が大きく下降した時に政権を担当していた。そのため、保守党は現在の大きな政府債務をもたらしたのは労働党であり、次期総選挙で、財政運営能力がなく、課税し使う労働党が政権を担当すれば、それは破滅的だという。保守党に任せれば安全できちんと財政赤字を減らし、政府債務を減らし始めることができると主張する。

保守党は、付加価値税(VAT)を含めて増税はしないとし、逆に減税を行うという。財政削減、福祉手当削減、そして税回避策への対策強化で、投資を含めた歳出総額の赤字を無くす方針だ。

労働党は、保守党の言うような財政削減が行われれば、それは1930年代の財政と同じレベルとなると主張する。これは、保守党のイデオロギーに基づくもので、必要以上のものだと批判している。キャメロン政権は、財政赤字を急激に減らそうとしたために、賃金と生活水準の下降を招き、経済成長を阻害した、賃金と生活水準が上がれば、より大きな経済成長を達成し、財政赤字削減が進んだはずだ、と主張する。

労働党も財政削減に取り組むが、保守党とは異なり、投資は別とする。増税策としては、200万ポンド(36千万円:£1=180円)以上の住宅への豪邸税、15万ポンド(2700万円)以上の所得への税額50%復活、そして銀行ボーナスへの増税などを考えている。

保守党は、総選挙への公約に、この財政赤字削減策を中心に据えているが、労働党は国民健康サービス(NHS)を中心に据えている。保守党はNHSへの支出は毎年増やすと約束しているが、労働党は、保守党ではNHSを有効に運営していくことはできないという。労働党は、保守党より多くの予算を約束している。いずれにもそれなりの理屈があるが、国民は、経済財政運営ではキャメロン保守党がミリバンド労働党よりも優れていると見ている。

保守党と労働党の議論には、五十歩百歩の面があるが、イギリスでは、権威ある独立シンクタンク、財政研究所(IFS)が厳しい目でこれらの議論を評価、批判している。このような中立的な評価者がいれば議論はかなりわかりやすくなると言える。

イギリスの住宅政策の問題点

イギリスの持ち家率が大きく下がっている。人口が増加し、世帯数が増加する中、住宅供給が遅れているために住宅価格が高騰し、購入が難しくなっていることが背景にある。持ち家率の増減は経済と政策の影響が大きいが、ここではっきりしているのは、政府の住宅供給策が十分ではないことである。

欧州連合(EU)の統計局Eurostatによると、2005年から2013年までの持ち家率は以下のようだ。 

2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013
持家率 70 71.4 73.3 72.5 69.9 70 67.9 66.7 64.6

2007年に73.3%であったが、2013年には64.6%まで大きく下がった。「借家の国」といわれるフランスは2013年には64.3%だったが、現在までに持ち家率でイギリスを追い抜いたと見られる。なお、EU平均は70%、ドイツは52.6%。日本は平成22年度の国勢調査によると61.9%である。 

家を持ちたがるイギリス人

イギリス人は誰でも家を持ちたがる。これには、日本のアパートやマンションのようなフラットも含まれるが、長期的に見れば住宅は価値が上昇すると考えられている。通常、まず、最初の足がかり的な住居を購入し、その価値の上昇をもとに、次の住居を購入し、家族が大きくなればさらに大きな住居へ移っていくという具合にステップアップしていくこととなる。

住宅の売買には諸費用や税がかかるが、単純に説明すると以下のようなこととなる。例えば、元手の資金が2万ポンドあり、8万ポンド借りて、10万ポンドでフラットを買うとする。数年たてば、そのフラットの価値が上がり、例えば12万ポンドとなり、元手の資金2万ポンドと併せて4万ポンドの自己資金ができる。さらに12万ポンドを借りて16万ポンドの家を買うとする。数年たってその家の価値がさらに上がり、20万ポンドとなれば、自己資金は8万ポンドとなる。そしてさらにお金を借りて次の家を買うという具合になる。

日本と異なり、イギリスでは住宅は築後年数がたっても必ずしも価値が下がらない。むしろ、ヴィクトリア時代の家、エドワード時代の家、1930年代の家など人々は歴史的な家を特徴があると好む傾向がある。歴史的に見ると、住宅価格に若干の上下変動があったが、上がる傾向は継続している。近年では2008年の金融危機以降、住宅の価値が一時下がったが、2014年には住宅価格が大きく上昇した。

ただし、上記の連鎖を利用するためには、最初の住居を入手する必要があり、この買い手、いわゆるファーストタイムバイヤーはイギリスの住宅政策では重要である。ところが、現在の住宅価格は上がりすぎ、このファーストタイムバイヤーたちにはかなり敷居が高くなっている。 

住宅建設の遅れ

持ち家率の減少の背景には、イギリスの厳しい住宅建設許可制度、特にグリーン地帯と呼ばれる地域の住宅建設が難しいことがある。政府は住宅建設を促進するために、住宅建設許可制度の緩和をし、さらに開発業者や住宅購入者などへの低利ローン制度などを設けた。また、ロンドンなど大都市近郊の住宅不足を解消するために、ガーデンシティのような新タウンの建設を推進している。しかし、そのような対策には地元住民の反対が少なくない。キャメロン首相の保守党内でも総論賛成、各論反対で、地元選出の議員が反対する傾向がある。Nimby(ニンビー:Not in my back yard:私の裏庭(近所)はダメ)である。 

さらに、住宅価格が大幅に上昇しているのに、賃金の上昇率はインフレ率より低く、住宅を購入することが難しくなっており、住居を求める人たちは賃貸住宅へ向かうこととなる。

一方、お金のある人は、Buy-to-letと呼ばれる投資用賃貸物件へ投資する人が多い。これらの賃貸物件への投資は税制面などで優遇されており、しかも住宅供給の不足から家賃が上昇している。そのため、賃貸物件は増え、持ち家率はさらに下がることとなる。

これまでの傾向

イギリスの統計局が10年ごとに行われる国勢調査の結果をもとにしたイングランドとウェールズの持ち家率の分析では、2001年に持ち家率は69%だったが、2011年には64%に減少した。77%の世帯が借家だった1918年以来、初めて借家率が増加した。1953年から持ち家率が急速に上昇し、1971年には持ち家率と借家率が同じになり、それ以降も上昇していたが、それが下がったのである。

その原因を統計局は以下のように分析する。世帯数が2001年には2170万世帯であったのが、2011年には2340万世帯に増加し、住宅価格は2001年から2011年の間に約2.5倍となった。インフレ率が賃金上昇率を上回り、しかも2008年の金融危機で住宅ローン貸し出しの制約が厳しくなりさらに住宅購入が困難になった。

なお、持家率の上昇には、住宅政策が大きな役割を果たした。1919年に地方自治体に公営住宅の供給を義務付け、その結果1981年には公営住宅の割合が31%まで上昇した。サッチャー政権下で1980年に公営住宅のテナントが、住んでいる住居を購入できるように政策変更し、その後、地方自治体の公共住宅への義務を大幅緩和したため、2011年には公営住宅の割合が18%まで減少した。なお、日本では公営借家の割合は4.2%である。 

住宅供給対策

キャメロン政権での住宅建設促進政策にもかかわらず、現在年に20万軒必要な新住宅の建設がその半分に留まっており、とても住宅需要に追いつく状態ではない。

野党労働党は、次期総選挙に勝てば、年間20万軒の住宅を建設し、5年の任期中に100万軒の住宅を建設すると公約に掲げている。その政策には、住宅建設に適した土地を強制的に吐き出させるものが含まれており、反ビジネス的だと批判されている。一方、保守党は、ファーストタイムバイヤー重視の政策を打ち出している。

保守党も労働党もその支持層への配慮などから、なかなか思い切った政策が打ち出せない傾向がある。いずれにしてもイギリスで住宅建設が急務であるのは間違いなく、それを進めていくには、政治の強力なリーダーシップが求められている。

イギリスの最低賃金と生活賃金

イギリスの最低賃金は101日から時給6.50ポンド1183円:£1=182円)となった。これに併せて11月初め、基本的な生活費をまかなうことのできる賃金、生活賃金(Living Wage)が発表された。これはロンドンとそれ以外のイギリスとで別々であり、以下の通りである。

イギリス全体(ロンドンを除く)で7.85ポンド1429円)
ロンドンは9.15ポンド1665円)

最低賃金は法定であり、低賃金委員会(Low Pay Commission)が勧告し、財務相が決定する。なお、低賃金委員会は組合代表3人、使用者代表3人、労働市場専門家3人の9人のメンバーで構成されている。そして最低賃金は、歳入関税庁(HMRC)が取り締る。 

一方、生活賃金は、強制的なものではないが、現在までに公共機関や比較的小さな企業も含め、千余りの使用者が採用している。その数は前年より2倍以上に増えた。

なお、イギリス全体の生活賃金はラフブラ大学の社会政策研究センターが設定し、ロンドンの生活賃金は大ロンドン庁が設定している。

大手会計監査法人KPMGによると2013年には生活賃金時給7.65ポンド(当時)を下回る賃金受給者の数は520万人であり、労働力人口の22%で、その前年より1%増えた。

イギリス経済は雇用が伸びているものの、その多くは低賃金の雇用であり、しかも賃金の上昇(0.9%)がインフレ率(1.2%)に追いついていないという実態がある。

生活賃金の法定化?

最低賃金は、ブレア労働党政権下で保守党やビジネスの反対を押し切って導入されたが、生活賃金の法定化は、企業の人員削減を招くとの見方が強い。

20149月に労働党のミリバンド党首が、次期総選挙で労働党が勝てば、2020年までに最低賃金を8ポンド(1456円)にすると発言した。これに対して、賃金の問題に政治家が介入すべきではないという批判が貧困問題を扱う慈善団体などからもあったが、もともと最低賃金そのものの導入が政治的なものであったという事実を軽視しているように思える。

ミリバンドは、実際のところ、生活賃金を法定化したいという気持ちが強いのではないかと思われる(2012年の拙稿参照)。しかし、それは労働者の失業を招くという懸念があるほか、反ビジネスの政策と見られる可能性が高いことから、総選挙前にそのような考え方を示唆することを避けているように思われる。

現在の最低賃金制度の下では、政府が貧困家庭を減らすため、その低い収入を補うための様々な福祉給付を実施している。そのため低賃金を支払う企業が、間接的に公的な補助を受けていることとなっているが、低賃金を福祉で補うシステムは基本的におかしいと言える。つまり、あるべき姿としては、勤労者がきちんとした生活ができる賃金が使用者によって支払われ、それを社会で認め、支える仕組みが必要だと思われる。

日本ほどではないが、大きな政府債務を抱えたイギリスでは、政府赤字を減らし、国の債務を減らしていくために国民が自ら支えられる仕組みを作っていくことが急務であろう。高齢化の問題でも、日本ほどではないが、NHSなど健康医療の制度に非常に大きな負担がかかってきており、今後多額の追加予算が必要とされる。その中、社会的な責任関係の見直しが必要だ。

高い賃金は雇用や経済にマイナスばかりではない。この点で、スイスの例が参考になるかもしれない。スイスは世界の繁栄ランキングでノルウェーに次いで世界第2位である。その賃金は他の国に比べてはるかに高い。20145月の国民投票では、最低賃金を時間給22スイスフラン(2618円:1スイスフラン=119円)、すなわち月に4000スイスフラン(476千円)とすることを否決した。2010年の統計では、フルタイムの労働者の約10%が月に4000フラン以下だった。スイスには全国的な最低賃金法はないが、もしこの国民投票が可決されていれば、その実質的な購買力の比較で、2012年のOECD統計による、ルクセンブルグとフランスの10.60ドル(1219円:1USドル=115)やオーストラリアの10.20ドル(1173円)を上回る14.01ドル(1611円)となっていたという。国民投票は否決されたが、ディスカウントスーパーのリドルが、最低賃金を月4000スイスフランに上げるなどの動きが出ていたことが明らかになった。これらで浮き彫りになったのは、スイスの物価は高いが、労働者の非常に多くがかなり高い賃金を支払われているということである。それでもスイスは繁栄のレベルで世界のトップの国である。

もちろん生活賃金を法定化すれば、企業の解雇、海外投資の減少などで経済に影響が出る可能性がある。しかも上記で見られるように貧困問題を扱う団体なども反対するかもしれない。しかし、生活賃金を法定化するかどうかにかかわらず、使用者がきちんとした賃金を支払うべきだと社会的な合意を得ることが長期的には正しい方向のように思われる。