安倍首相の正念場(PM Abe Faces a Hard Reality)

日経平均株価が一時10%も下がり、終値は7.3%減で落ちついたが、その原因は中国の製造業の減速とアメリカのバーナンキ連邦準備理事会議長の発言や理事会の議事録などから量的緩和を縮小するヒントがあったことによると言われる。欧州でも株価が下がっているが日本ほどではない。これは、日本では安倍政権の政策への期待がそれだけ大きかったことを示しているように思われる。

安倍政権の到来で、日本では金融緩和期待から経済の先行きに明るい見通しが広まり、また、円安を招き、それらが日本の株価をけん引していたが、その状況に一挙に陰りが出たようだ。

これは一時的なものだろうか?今後、これがなかったように安倍政権への期待が継続し、政権が運営できるかどうかが問われている。

安倍政権の誕生以来、強く感じられたのは、安倍政権のメディアマネジメントのうまさだ。政策にも連携した政権のアクションは、英国の政治メディアマネジメントにも似ており、もしかすると英国系のPR会社のアドバイスを受けているのではないかと感じられたほどだ。

ただし、メディアマネジメントで行えることには一定の限界がある。体裁を整えることができても、政治家、そして政権の本質を変えることは難しい。

現在の英国のキャメロン首相もメディアマネジメントを重視し、保守党が野党時代にアンディ・クールソンという人物を自分の給料の2倍以上支払って雇った。クールソンは、元ニューズ・オブ・ザ・ワールド編集長である。この新聞は英国の日曜紙最大の売り上げ数を誇っていたにもかかわらず、電話盗聴事件で廃刊となり、クールソンはその事件で起訴されている。この人物には、当初から疑問があったが、キャメロンは、自分の政権の広報局長として首相官邸入りさせ、なかなか手放そうとしなかった。クールソンは、自分は黒子の立場であるべきなのに、ニュースの焦点になったのでは仕事ができないと言って、逮捕されるかなり前に辞職した。

キャメロンは、ブレア労働党政権で広報戦略局長だったアラスター・キャンベルのような人物を求めていた。ブレアもキャンベルをなかなか手放そうとしなかった。キャンベルは、リーダーにビジョンがなくてもやっていけると言ったことがあるが、この発言は自分のブレアに仕えた経験からの話だと思われる。

確かにブレアが1994年に労働党の党首となった時には、労働党の近代化、つまり有権者が信頼して選挙で選ぶ政党にしたいと漠然とした方向性は持っていたものの、具体的に何をするかはっきりしていなかった。しかし、それ以降、ブレアは真剣に目的を追求し、国民に期待を与えて選挙に勝利し、そして政権に就いてから自分の取り組みたいのは公共サービスの向上だと信ずるに至った。そして3回の総選挙に勝ち、10年の長期政権を維持した。つまり、リーダーにビジョンや確信がなくても真剣に追求すれば、一定の成果が出せるといえるだろう。

この4月に亡くなったサッチャーはアイデアの人ではなかったが、自分の信ずる基本政策を首相となる前に用意していた。その1979年の保守党マニフェストを読むと、自立、税制、そして労働組合対策など、その意図がひしひしと伝わってくる。そしてサッチャーには、そういう基本政策を貫く強い意志があった。

キャメロンの基本的な政策、その最も重要なものは、政府の赤字・債務削減である。それに小さな政府を交えた基本的な考え方はある。保守党より左の自民党と連立政権を組んでいるために、政権の方針を必ずしも思うどおりに決められないという点があるものの、政権の基本的な方針というものはある。

しかし、ここにきて明らかになってきたのは、キャメロンのメディアマネジメントとスピン(情報操作)に頼った、状況に押されて変わる政権運営である。キャメロンはもともと政治家のスピンドクター(情報操作を担当する人)で、メディア関係の企業でも働いていた人物であり、もともと深く考える人ではないとされてきたが、その浅さが表面化してきた。キャメロンを信念の人と見る人は少ない。

つまり、メディアマネジメントは政権運営に大きな役割を果たすものの、首相には、基本的なビジョンと政策、そしてそれを貫こうとする意志、少なくともそれらを真剣に追求するといった資質が必要であるように思われる。

翻って、安倍首相はどうであろうか。安倍首相はどれだけの日本再生への基本構想を持ち、そしてそれをやり抜く信念があるのだろうか?

昨年末の総選挙で発表された自民党の「政権構想」を見るかぎり、その基本図は不確かである。安倍首相の第一次政権(2006-7年)から見ると、信念の面でも不確かだと言わざるを得ない。安倍政権には高い支持率があるが、キャメロンに見られるような浅さがもし現れるようなことがあれば、有権者からの評価は大きく変わるだろう。

こういう状況下で求められるのは、ブレアを補佐したキャンベルのような優れたアドバイザーと、首相自身が冷静に、そして真剣に自分のビジョンを再考し、または自ら作り出し、磨いていく努力のように思われる。

「日本は今何をしなければならないのか?」その理念 (What Japan now needs to do)

デービッド・キャメロン首相は、いったい何をしたいのかわからないと攻撃されている。そこでトニー・ブレア首相のチーフ・スピーチライターだったフィリップ・コリンズが、キャメロン首相へアドバイスする記事を2012年4月20日のタイムズ紙に書いた。それに触発されて、ここでは「日本は今何をしなければならないのか?」の基本的な考え・理念を英国式に表現してみた。なお、マーガレット・サッチャーが首相となった1979年の総選挙のマニフェストの前文も参考にしている。

私たちは今この時を生きているだけではありません。現在だけではなく、歴史的な時間の流れの中で私たちのなさねばならないことを捉える必要があります。英国の思想家エドマンド・バークが「フランス革命の省察」の中で言ったように、わたしたちは、現在生きている人たちだけのパートナーシップを考えるのではなく、既に亡くなった人たちやまだ生まれていない人たちを含めたパートナーシップを考えて行かねばならないということです。つまり、現在生きている私たちが、過去から引き継ぎ、学んできたことの恩恵を感謝するとともに、将来へきちんと責任を持って引き継いでいくことが必要だということです。

私たちが今直面している課題には、昨年の東日本大震災と福島第一原発事故からの復興がありますが、最大の課題は、この国を再び健全な経済に立て直すことだと思います。国の債務が非常に大きく、巨額の財政赤字が恒常的になっています。これをきちんと立て直すことなしには、いかなる経済的な成長も脆弱なものとなると思われます。特に人口の少子化高齢化が急速に進んでおり、長期的にいかに健全な経済を維持できるかがカギとなると思います。

そのためには、あらゆる方策がとられなければなりませんが、その負担は、精神的なものを含めて、世代を超えて誰もが公平に背負う必要があります。皆が、それぞれの能力に応じて貢献していくことが大切です。そして、日本が健全な経済を取り戻し、再び繁栄を取り戻した暁には、それまでの苦労・努力が報われ、私たちの責任の一端が果たせると思います。その時は必ず来ると信じています。

しかし、健全な経済を取り戻すことが、すべての目的ではありません。健全な経済を取り戻したときに、きちんとした目的に基づいた成果も生まれている必要があります。イギリスで言えば、第二次世界大戦後に生まれたアトリー政権は、破産状態の国を抱えて、非常に厳しい緊縮策を実施しましたが、英国民が今もなお誇りにしている国民保健サービス(NHS)を生み出しました。サッチャーは、「欧州の老人」と呼ばれたように、国が機能しなくなるような労使関係を抱えていましたが、イギリスの経済を現代の世界で競争できるほどに立て直しました。

行政を含む公共セクターは、国がまかなえる中で最高水準のものを創り出していく必要があります。しかし、公共セクターでは、人口の高齢化、要求の多様化の中で需要が増大しており、これらに対応するためには、公共セクターが変わる必要があります。

教育では、全国には素晴らしい学校があり、素晴らしい能力を持った多くの教師の皆さんがおられます。しかし、子供たちの能力が最も大切な経済的・文化的な要素だということを考えると、教育の質を高める必要があります。

将来の繁栄をもたらすためには、私たちが変わる必要があると思います。もちろん、困っている人たちに手を貸すのは当然のことです。それが日本の美徳の1つでもあると思います。しかし、イギリスで見られる福祉国家は、もしアトリーが現代によみがえってきて、現状を見れば、恐れおののくようなものとなっているように思います。感謝を生まずに依存心と権利意識を生む制度へ成り果ててしまっているからです。こういう発想も変えていく必要があると思います。

世界で日本はまだまだ高く評価されています。しかし、日本は今や自信喪失に陥り混迷しているように見えます。この状態を見過ごしておくことはできません。私たちが再び名実ともに誇りを持てる国にするためには、現在の問題に長期的な視点から真っ向から取り組んでいくことが今を生きる私たちの責務であると思います。

「政治主導」とは何か?(What is the politicians’ initiative in Japan?)

「いったい政治主導とは何ですか?」という質問を受けることがある。日本でよく言われる「政治主導」は、多くの誤解を招いているようだ。中には、政治主導とは、より多くの政治家を省庁のトップに入れることだと考えている人がいたようだし、民主党政権の「事業仕分け」が政治主導の一つの形であり、また、その産物だと考えている人もいるようだ。一方、政治主導とは官僚主導の対極と考え、省益優先の官僚から、政策決定や予算作成の力を奪うことだと考えている人もいるようである。「政治主導」の理解は、全体の利益を考えた政治的な判断を重視する方向性では一致している点が多いものの、政治主導とは何か、という問いへの本質的な答えとなってはいないようだ。

結論から言うと、「より多くの政治家を省庁のトップに入れること」は政治主導ではない。日本で行った「事業仕分け」は政治主導とは言えない。官僚から政策決定権や予算作成の力を奪うことが政治主導の目的ではない。政治主導とは、基本的に、その業務を任された政治家が政策を決定し、その責任で実施し、その結果の責任を取るという体制である。政治家の数の問題ではない。「事業仕分け」のように、その仕事を直接任されていない人が意見を言い、言いっぱなしで、責任は他にあるというものではない。官僚に一定の範囲で裁量権を認め、実施させながらも、最終的にその責任は自分が負うという体制である。

英国の政治家の仕事ぶりを見ていると、日本の行き方とは相当異なるように思われる。2010年の総選挙後成立した保守党と自民党の連立政権では、巨額に上る政府債務に取組み、サッチャー保守党政権を上回る厳しい財政緊縮策を取ってきた。首相と財務相が打ち出したのは、基本的に4年間で25%の財政カットだ。財政カットの内容を決めるのは各省庁を司る政治家=大臣である。大臣が基本的な枠組みを官僚と決めた後、官僚が具体策を練り、それを大臣と相談した後、大臣の責任で財務相に提出する。もちろん財務相の下で働く財務省の官僚がそれぞれの省庁の官僚と連絡を取り合うが、それぞれの省庁の大臣が最終的な決定をする。そして提出した計画に問題や疑問などがあれば、財務相をはじめとするトップの大臣たちで構成するパネル、スターチェンバーと呼ばれるが、そこに所轄の大臣が呼ばれ、審問を受ける。それでもなおかつ意見がまとまらない時の最終的な決定権限者として首相が位置付けられる。実際には、このスターチェンバーにまで行かねばならなかった例はなかったと言われるが、この政策決定の過程は、内部での作業であり、財務相がその結果をまとめて公表した。

ここでは、トップ政治家が基本的な方向性、つまり財政削減の枠を決め、それを各所轄大臣が、自分のリーダーシップで、具体的な政策、削減策としていった。日本でも同じようなことができるだろうか?

「対立」を作り出す政治(Politics which create divisions)

私の英国政治勉強会で、かつての小泉首相や現在の橋下大阪市長の対決する姿勢、もしくはディヴィジョン(対立)を意識的に作り出す言動は、国民の関心を高め、人気を博したのではないかとの見方があった。確かに、この面があることは事実だ。ただし、政治家として成功するには優れた政治的なセンスが必要である。

つまり、これには条件がある。まず、国民や少なくとも選挙民によく知られているということだ。共感を集約できる存在である必要がある。それができる政治的なセンスが必要だ。さらに2人とも極めてハイリスクなストラテジーを取ってきた。小泉元首相の場合、まず、自民党の党首選で勝ち目がないと思われたにもかかわらず、出馬した。しかも郵政選挙はギャンブルだった(私はこの郵政解散を聞いた途端に、小泉首相の勝ちだと思ったが)。橋下市長は、「橋下」対「反橋下」の構図を作り、多くのマスメディアも敵にしてきた。英国の政治家ならまず取らない方法だ。いずれもハイリスクの方法を取りながら、勝ち残ってきた。要は、これができる、もしくはできるかもしれないと判断する政治的なセンスと、ここまでする勇気の問題だ。

英国では、政策のディヴィジョンを作り出すことは、政治手法の一つで、日常的に行われている。ただし、劇的で効果的なディヴィジョンを作り出すことは容易ではない。一般には、ディヴィジョンのためのディヴィジョンづくりに終始することになる。無理に違いを浮き彫りにしようとしたり、世論調査などを見て、多くの人が支持する方についたりする。つまり、自分たちの訴えることを信じていなくても、もしくは自分たちの議論に問題があるとわかっていてもそうする傾向がある。英国政治の残念な点だ。

民主党政権の「政治主導」?(Japanese Democrats’ Misunderstandings 1)

2009年の総選挙で政権についた民主党は、英国流の政治を導入しようとしたようだ。「官僚主導」に代わって「政治主導」を行おうとし、さらにマニフェストに基づく政治を推進しようとした。これまでの政治から新しい形の政治のやり方に取り組もうとしたその意図は評価されるべきだが、どうも「英国流の政治」が何かを誤解していたために、これらはうまく機能しなかったように思われる。

まず、「政治主導」を行おうとすれば何が必要だろうか?首相並びに閣僚、そしてそれに次ぐ政府の要職に就く政治家の人々が「主導」するために必要なものだ。まず必要なのは人材だ。大臣として省を率いて行くことのできるリーダーシップのある人がいるだろうか?「官僚主導」の体制の構造と問題をよく知り、これまで知識を蓄積し、経験を積んできた官僚に対抗できる頭脳のある人がいるだろうか?実際のところ、英国でもこれらの質問にYesと答えられる場合はそう多くないと思われる。しかし、英国の制度には、人材を育てる仕組みが内在している。例えば、野党の影の内閣のメンバーは、下院で大臣らと丁々発止の議論を交わす過程で、それぞれの省の仕事を深く理解していくことができる。また、政策に関しては、政党内部で政策を作るためにスタッフがおり、それを可能にするショートマネーと呼ばれる補助金などが提供される。2010年5月の総選挙後、自民党が連立政権に入り、与党となったためにこの補助金が受けられなくなり、政策スタッフを多数解雇する必要に迫られたことがあるが、「政治主導」のためには、それぞれの政党がきちんとした政策を作ることが重要だ。また、英国には多くのシンクタンクがあり、政策を供給し、また、それぞれの政党の政策への批判がかなり活発に行われる土壌がある。一方、日本では、官僚が政策スタッフ並びにシンクタンクの役割まで担っている面があるように思われる。さらに、英国では、マスコミのそれぞれの政党の政策に関して批評する能力が高く、例えば、新聞紙では、それぞれがかなり異なった視点で評価し、その結果、かなり幅広い分析が行われる傾向がある。これらの条件が「政治主導」のひとつの背景となっていることを忘れてはならないだろう。

さらに、英国の政治の基本は、国家公務員はその省の大臣に対して責任を持つが、大臣は、国会に対してその省の責任を持つ。つまり、大臣の国会に対する位置づけが極めて明確だ。議員は政府に対して質問があれば、担当の職員に連絡して聞くのではなく、大臣に手紙を書く、もしくは議会で口頭の質問をする。国家公務員は、時の政権の大臣に対して仕えるからだ。もちろんサッチャー元首相も好んで見たと言われるテレビシリーズ「イエス、ミニスター」や「イエス、プライムミニスター」にあるように官僚と大臣との狐と狸の化かし合いのようなことはあるけれども。大臣たちにはレッドボックスと呼ばれるブリーフケースで、担当省、または担当部門に関する書類が次々送られ、大臣たちはこれらの書類に目を通し、決済する必要がある。これらの過程で、自分の担当省の内容を細かく理解することになる。

なお、財源の問題について、2010年の総選挙で保守党は、保守党が政権についた場合の政府の予算カットの財源として、保守党のために政府の無駄削減策を提言している元官僚の提案を入れ、それに基づいた数字を公に使っていた。ところが、英国の有力新聞フィナンシャル・タイムズ紙がこの人物に直接これらの数字について問いただしたところ、その数字がかなりあいまいであることがわかった。例えば、保守党は、国家公務員の削減は、定年や退職などの自然減で達成できると主張していたが、この計算の前提となる条件が適切ではないことがわかり、専門家が、大幅な人員解雇が行われなければその目標値は達成できないと指摘した。また、政府の契約関係の見直しで20から30億ポンド(2~3千億円余り)のお金が削減できるとの元官僚の計算は、連立政権が発足して見直しを始めた結果、契約解除や変更が予想ほど簡単ではなく、ほとんど無視できるほどのお金しか削減できなかった。これらに見られるように、英国でも野党は財源問題に苦しむ。問題は、政権の財政削減の目的が達成できるかどうかにあり、この点では現在の連立政権はこれまでのところ成功しているように見える。

財源問題では、ある程度似通った問題があるとはいえ、英国と日本とでは基礎的な条件がかなり異なっており、いきなり英国政治の一局面だけを捉え「政治主導」として日本にあてはめようとしても実際に運用できるだろうか?英国で長年の間に生まれ、育まれ、それぞれの時代に合うように変えられてきた慣習や条件なしに、「政治主導」のスローガンを唱え、その責任を与えようとするだけでは、その精神の導入はかなり困難だと言わざるをえない。

日本が英国自民党の失敗から何を学ぶことができるか?(What Can Japan learn from Nick Clegg’s Mistakes?)

英国の第3党、自民党の苦境から日本の政治が学べることがあると思われる。特に政党トップの意思決定に関することだ。自民党は、2010年総選挙後、党首クレッグのキャメロン保守党党首なら一緒に働けるという一種のフィーリングで保守党との連立に踏み切った。しかし、この決断のために自民党はその支持基盤を大きく揺るがせることとなった。

自民党は、近年、保守党と労働党の2つの大政党に飽き足らない有権者を惹きつけ、成長してきた。そして2010年総選挙では全体で23%の票を獲得した。しかし、保守党と連立政権を組んで以来、多くの支持者を失い、支持率は現在10%前後である。支持率は当然増減する、時間が経てば再び回復すると期待する向きは特に自民党に多いが、既に「汚染」されてしまった自民党への支持が急に回復すると見る人は少ない。2011年5月の地方選挙で自民党は40%の議席を失ったが、2012年の地方選挙でもさらに大きく議席を失うと見られている。地方議員は、自民党の足腰であり、その減少は、非常に大きな痛手だ。

クレッグの失敗は、総選挙で自民党に投票した有権者の期待がどのようなものだったか十分に把握していなかったことだ。総選挙後、選挙中のクレッグブームで大きく支持を伸ばしたように見えた自民党がなぜ予想外に低い議席数しか獲得できなかったのかの分析の混乱があり、はっきりと自民党の状況を把握することが難しかったこともある。しかし、フォーカスグループという世論の意識調査の方法や、それと併せた世論調査で、それを見極めることは可能だったと思われる。

フォーカスグループとは、ブレア元労働党党首・首相の下で、世論のトレンド分析を担当したグールド卿が草分けだが、少人数の様々なバックグラウンドの人を集め、自由に意見を言ってもらい、全体の意見を探る手掛かりに使う方法である。ブラウン前首相の下で世論調査を担当していた人が、その著書の中で、ブラウンがフォーカスグループで集めた結論を無視してそれとは反対の政策を打ち出し、それが、2007年秋に総選挙を断念する結果となったことを明らかにしているが、時に、大きな政治的な転機を生む可能性がある。もちろん、これに頼りすぎることには問題があるが、政治家の勘やフィーリング、さらに少数の側近の見解に頼る旧来の方法よりはるかに科学的だ。日本でも、有権者の期待を慎重にはかり、その上で政治的な決断をすることは極めて大切だろうと思われる。

日本も英国下院選挙区割りの見直しを見倣うべきだ(Japan should follow British Boundary Changes)

英国の下院選挙の選挙区割りが見直され、その具体的な選挙区別の案のイングランド分が9月13日に発表される。その後、地区別の聴聞会などを経て決定されるが、既に圏域ごとの議席数配分や線引き基準は発表されており、区割り案の変更は微修正にとどまる見通しだ。これまでの過程で、政治的な思惑があったのは事実だが、今やかなりフェアな制度になろうとしている。この見直しは、一票の格差の問題を抱える日本にとっての参考となると思われる。

今回の選挙区割りの最も重要な点は、ごく少数の特別な事情のある選挙区(すべて1選挙区から一人の議員を選ぶ小選挙区で、650選挙区を600選挙区に減らされるが、その内の5選挙区)を除いてすべての選挙区内の有権者の数を全国平均の5%以内に抑えることとした点だ。これは、日本でも見倣うべきだ。

キャメロン首相は、もともと誤差を1%以内にするように希望していたが、区割委員会は技術上の問題から10%以内とするよう求め、妥協で5%に落ち着いたという話を聞いたことがある。キャメロン首相は、できるだけ誤差を少なくしようとした。これは、実は、公平さを装いながら、実は保守党の利を狙ったものであった。保守党はもともと選挙区の有権者数を均等化すれば、労働党に有利な現状を変え、自党に有利になると考えていた。昨年5月、自由民主党との連立政権を組むに当たり、自由民主党に「代替投票制(AV)」の国民投票の実施を譲る代わりに、選挙区均等化を求め、両党で合意したのである。つまり、その時点では、もし代替投票制が実施されることになると、自由民主党に有利、保守党には不利となり、それを埋め合わせるために選挙区均等化を行うということであった。そのため、この法案の国会の審議中には労働党から「ゲリマンダリング(自党に有利な選挙区線引き)」だ、という批判の声があった。今年5月の国民投票の結果、代替投票制は否決されたが、選挙区均等化はそのまま続行することになったのである。

面白いのは、保守党は自党にかなり有利になると思い込んでおり、自由民主党にはあまり影響がないと信じられ、マスコミもそれを基にした憶測報道をしてきたことだ。しかし、保守党にかならずしも有利とは言えず、自由民主党には大打撃となるという専門家の見方もある。結局、次回の選挙後に、どの政党が利益を受けたかはっきりすることになるが、全般的にはかなりフェアな制度と言えよう。この制度を設ける動機はともかく、英国のより透明な選挙制度のためには大きな前進と言える。

「素人」菅首相の限界 What is wrong with Japanese Prime-minister Kan

東日本大震災・津波、そして福島原発の対応で国際的に評価された菅直人首相を引きずり下ろそうとする日本のマスコミと政治家の動きは、一種のヒステリー状況のように見える。この中、日本の政治家が心しておかねばならない問題が浮き彫りになった。「素人」菅首相の犯した失敗だ。

菅首相は、6月2日、党内外からの強い圧力を受けて、時期を明確にしなかったが退陣を表明した。菅首相には、東日本大震災や福島原発危機の対応に不手際があったという人が多い。首相としての資質がない、リーダーシップがないという意見もある。確かに菅首相の人気は低いが、震災・津波後の復旧・復興、福島原発問題の対応や今後の原発政策など取り組まねばならない課題が山積している。誰が新首相に選ばれても、その職に落ち着き、仕事に慣れるにはかなりの時間がかかる。そのため、新首相が選ばれても、就任当初のハネムーンの時期はあるだろうが、新首相がすぐに菅首相より優れた仕事ができるだろうと考えるのは希望的観測のように思われる。

世界の常識・日本の非常識?

6月の初めに二つの国際機関のレポートが発表された。国際原子力機関(IAEA)は、福島原発事故の対応に対し、「日本の対応は模範的で、その長期的な対応、被害地域での退避処置など見事で、よく組織されている」と述べた。さらに、国際通貨基金(IMF)は「政府と日本銀行が、迅速で決然とした行動を取り、経済への影響を抑えるのに貢献した」と評価した。6月2日の内閣不信任案の採決前、英国の公共放送BBCの東京特派員が「菅首相は震災後、国民を鼓舞するリーダーシップを発揮したが、震災前からの政争でこの危機を迎えている」と述べたが、震災後の菅首相のリーダーシップは、国際的に評価されているといえる。しかし、日本では、菅首相の対応はお粗末で、リーダーシップがないと信じられている。この差はなぜ生じているのだろうか?

日本の完璧主義

この差の原因は、マスコミ報道が「理想的な状態」と比較して菅首相の言動を批判しているためのようだ。例えば、菅首相が福島原発事故発生後、自ら原発に視察に行ったことに関して、現場の邪魔になる、首相は本部で全体を見ておくべきだ、などという批判が出た。これを始め、菅首相の一挙手一投足が批判される形となっている。BBCが6月15日に福島原発問題で、官邸と官僚、そして東京電力の間に信頼関係がなかったと報道したが、官僚からの情報が明らかにおかしく、その情報に信頼がおけない場合、より正確な情報を得るために首相は何らかの手を打つ必要がある。政府のすべての機能が効率的に働き、判断をするのに十分な正確な情報が届き、しかも指示が滞りなく正確に伝達され、実施される状況では、菅首相のヘリ視察批判が正当化されるかもしれないが、そういう状況ではなかったように思われる。

英国では、政府機関に何らかの問題がある、もしくは、首相が「完璧な人物」ではないことは当たり前であり、誰も「完璧」を追求しようとはしない。日本では、後で事実がはっきりしてから、完璧な状態と比較して、重箱の隅をつつく議論が多いように思われる。

菅首相の資質とリーダーシップ

菅首相は、「何かを成し遂げたい」という思いがないという批判があった。就任当初「強い経済、財政、社会保障を一体として実現する」といった目標を掲げ、「税と社会保障の一体改革」を実行すると打ち上げた。政権の目的としては妥当なものと言えるだろう。また、震災後の言動を見ると、日本の復旧を自ら成し遂げたいという強い意欲が窺われる。もし首相就任前に確たるものがなかったとしても、震災を経験し、それからの復興が一つの大きな目標となったのは疑いなく、菅首相が退陣時期を明確にせず、予想外の粘り腰を見せる原因となっている。

また、リーダーシップのレベルには様々なものがあり、震災後、少なくともBBCの東京特派員には、首相として国民をけん引するリーダーシップはあるように見えたようだ。もちろん、首相として内閣をまとめ、政府・官僚を率いるリーダーシップ能力はそれとは同じものではなく、政府内からも多くの首相批判があったようだ。しかし、日本の政治の問題の一つは、菅首相には「資質がない、リーダーシップがない」と批判する人たちが、次の首相にそれらを明確に求めているようには見えないことだ。

英国のトニー・ブレアが首相就任後、官僚トップの内閣書記官に「あなたには大きな組織を運営した経験がないから」と指摘されたことがある。ブレアは、首相として自分の成し遂げたいことを確立するのに3年近い時間がかかった。この間、継続してブレアの支持率は高かったが。

経営経験が乏しく、トップに就任してどのようなリーダーシップを発揮して政権を運営していくかというはっきりとした考えに乏しいように映る日本の政治家たちが、どの程度その仕事に対応していけるか疑問だ。首相にふさわしい「資質」やリーダーシップがどのようなものかはっきりさせないまま、首相としての資質がないとかリーダーシップがないと言うのは、きちんとした議論ではないだろう。「完璧な人」はおらず、しかも時間の経過やや状況の変化によって求められる人物像は異なってくる。

菅首相の失敗

菅首相の最大の失敗は、2010年参議院選挙の前、唐突に、消費税の問題で「自民党が提案している10%を参考にしたい」と提案して国民の不信を買ったことだ。このために菅首相は国民の信頼を失い、7月の参院選で民主党は惨敗した。菅首相は、参議院で多数を失い、ねじれ国会の状況を生み、それ以降、迷走してきた。結局、この出来事が菅首相の命運を決めることとなった。もし、この消費税の失言がなければ、菅首相は、衆院と参院の多数を占めており、その評価はかなり異なったものとなっていただろう。

信頼を失った効果

国民の信頼を失うことは、政治家にとってしばしば致命傷となる。もし国民の信頼があれば、「あばたもえくぼ」的な見方をされ、少々の失敗はたいした問題にはならない。初期のブレア元英国首相がこれに当たる。国民の信頼がなくなれば、何をしても、良いことでも悪いことでも、一挙手一投足が批判の対象となる。菅首相の場合、この状態に陥っているようだ。

失敗の原因

菅首相の失敗は、いくつかの原因があるだろう。その第一は、国民を読み誤ったことだ。英国の政治家なら、絶えず公の世論調査や政党の私的な世論調査で、国民の反応を常に念頭に置いて言動に注意を払う。大きな政策の提言や、政策転換を進める場合には、世論調査の上に、フォーカスグループという手法を用いて、国民の生の声を確認し、そして最終的な判断を下すことになる。フォーカスグループとは、一定の数の人を集め、そこで自由に意見を言ってもらい、その反応を分析するやり方だ。もちろん、世論調査やフォーカスグループの結果に完全に依然するというわけではなく、政治家本人の信念や政治状況からそれに反する決断をする場合もある。しかし、こういう慎重な方法は、国民の信頼をつなぎとめようとするには欠かせない。つまり、「政治家の勘」は、偶然に頼るもので、心もとないからだ。

第二に衆院で多数を占めていることへのおごりがあったように思われる。参議院選挙には勝利を収めるだろうと考え、その結果、国民を軽視していたということができるだろう。もちろん、消費税の問題は、極めてセンシティブな問題であることは承知しており、消費税を上げるためには、何らかの「選挙の洗礼」を受ける必要があるとの判断の下、消費税の話を持ち出したものと思われる。これは、英国とはかなり異なる。英国では、サッチャーでもその後のメージャーでも選挙前に「消費税を上げる」とは言わなかった。それはキャメロンでも同じだが、首相の座を確保してから消費税を上げた。こういうやり方が日本で受け入れられるかどうかは別の問題だが、少なくとも、菅首相が、消費税を上げることのできる政治状況を作るという配慮を怠ったのは事実だろう。

結局、政治を進めるうえで、トップ政治家が最も留意しなければならないのは、国民の信頼が維持される状況づくりをすることだ。それがなければ、菅首相のように一挙手一投足が批判されることになりかねない。

プロの政治

日本の政治に大きく欠けているのは、プロの政治だ。これは「素人の政治」、つまり思いつきの政治の対極を成す。問題の一つは、ほとんどの政治家が素人的だということだ。これは、選挙で選ばれることを考えればある程度やむをえないことだが、大臣に就任する人のほとんどが、実は「素人」だ。英国でも同様の問題がある。しかし、英国では、それを補うために、トップ政治家をプロの集団が取り囲み、つまり、なるべく「素人」の弊害が出てこないようにしている。プロの集団とは、単に特定の分野の専門家であるとか、政策に詳しいというだけではない。むしろ、総合的に大局を見て、世論の動きや状況の変化を把握し、問題を把握し、個別のアドバイスができることを指す。

なお、日本の政治家の中で「剛腕」と言われる小沢一郎氏は、プロの政治家だという人がいるかもしれない。しかし、「菅降ろし」の動きの中で見せた小沢氏の動きは、かつての田中角栄氏の「闇将軍」的なものを思い出させ、現代の政治には既にそぐわなくなっているという印象を受ける。また、小沢的な「プロ」は、政略に長けているかもしれないが、上に述べたプロとは意味が異なる。さらに、プロの政治家を人間関係や調整のプロととらえる人もいるかもしれないが、本当のプロとは、リーダーシップや国民との関係を重んじるものである。

「素人」菅首相の限界

菅首相の限界は、この「素人」の壁を越せなかったことだ。この素人の壁を超える人が現れてこそ、日本の政治が進展するチャンスが生まれてくるように思われる。